お姫様抱っこキス 夕暮れの暖かな色をした太陽が、前を往く影を徐々に長くしている。 任務報告書を仲間に頼んだカカシは、恋人であるイルカのアパートへと向かいながらチッと小さく舌打ちしていた。 何度も通った道のりだ。だが、すぐそこにあるはずのイルカのアパートが随分と遠く感じる。 それだけ身体が重くなってきているという事だろう。慣れていると言えば慣れている感覚が、すぐそこまで近付いてきているのが分かる。 側にあった塀に片手を着いたカカシは、不味いなと大きく溜息を吐いた。 (ていうか、慣れちゃダメでしょ・・・) スタミナがない事は自覚している。だから、チャクラ配分には充分気を付けていたつもりだったのだが、今回の任務で少々チャクラを使い過ぎてしまった。 帰るまでは持つだろうと思っていたのだが、どうにも危うい。 だが、こんな所で倒れ込んでしまったら、イルカの家ではなく病院に運ばれてしまう。それだけは避けたい。 怪我はしていないし軽いチャクラ切れ程度なのだから、一日休めば元に戻るだろう。しばらく動けなくなるなら、病院よりも落ち着けるイルカの家の方がいい。 カカシは鈍い身体を奮い立たせると、ゆっくりと歩みを進めた。 イルカの家にようやく辿り着き玄関を潜った所で安堵したのか、カカシのチャクラはそこで切れてしまった。 サンダルだけは何とか脱いだが、玄関先に座り込んだまま動けなくなる。 こうなると自分ではどうにもならない事は、充分過ぎるほどに知っている。カカシは背後の壁に凭れると、イルカが帰ってくるのを大人しく待つかとハァと溜息を吐いた。 (心配掛けちゃうだろうねぇ・・・) カカシが少しでも怪我をして帰ってくると、その眉間にクッキリと皺を寄せるイルカだ。 今回は怪我ではなくチャクラ切れだが、それでもきっと、イルカは怒ったような顔をするのだろう。 その顔を思い出したカカシは、背後の壁に後頭部をコツンと当て、ふと小さく苦笑していた。 まだ二人が付き合っていない頃の話だ。 任務報告の際、カカシが怪我をしているのに手当てもしていない事に気付いたイルカは、その眉間にクッキリと皺を寄せた。カカシを受付所に設置されたソファに座らせ、そこで怪我の応急手当てをしてくれたイルカの眉間は、手当てが終わるまでずっと皺が寄ったままだった。 「ちゃんと病院で治療して貰って下さい」とそう言うイルカの声は低く、怒っているらしいイルカが分からなくて、その時のカカシは正直かなり戸惑った。 それからも、カカシが怪我をして帰ってくるたびイルカの眉間には皺が寄り、怒ったような顔をしたイルカに有無を言わさず手当てされた。 それが何度と無く繰り返されるうち、カカシは、イルカは怒っているのではなく心配してくれているのだとようやく気付いた。 その時のカカシの顔の緩み具合と言ったら無かった。眉間にクッキリと皺を寄せたイルカに、またも手当てされている身だというのに小さく笑ってもしまい、「笑ってる場合じゃないでしょう!」とイルカに叱られた。 上忍であるカカシを叱り付ける中忍なんて、後にも先にもイルカくらいだろう。そうやって、階級差も気にせずカカシの事を心配してくれるイルカが堪らなく愛しいと思った。 それからは極力怪我をしないよう努力するようになり、イルカに近付く努力もした。 今では、貰った合鍵でこうして家に上がり込める恋仲だ。 背後の壁に凭れ、イルカを想いながら瞳を閉じていたカカシは不意にその口元を緩めた。 受付所で聞いたのだろう。焦ったように近付いてくる気配はイルカのものだ。ゆっくりと瞳を開く。 すぐそこにある玄関の扉に視線を向けた途端、大きな音を立ててそれが開いた。まだ明るいオレンジ色の空を背負ったイルカが、玄関先で座り込みイルカを見上げるカカシを見止めた途端、その瞳を大きく見開く。 「ッ!こんな所で何やってるんですか、カカシさんッ!」 一瞬キィンと耳が鳴った。さすがはアカデミー教師。怒鳴り慣れてるなと感心していると、サンダルを脱いだイルカがカカシのすぐ側に急いで膝を付き、ペタペタと身体中を触り始めた。 その眉間にくっきりと皺が寄っているのを見て、ふと苦笑する。 「怪我はしてませんよ。軽いチャクラ切れです」 カカシのその言葉にイルカがホッと安堵の溜息を吐く。 「ゴメンね?心配掛けて」 苦笑しながらそう告げるカカシへとイルカの手が伸び、額当てを取られる。 「・・・そう思うなら、俺の家じゃなく病院に行って下さい」 口布も下ろされたカカシは、そう言ったイルカに突然抱き付かれた。きつく抱き締められ、イルカがどれだけ心配したのか小さく震えるその身体で分かってしまう。 「・・・おかえりなさい」 イルカのその声も震えており、それをすぐ側で聞いたカカシは瞳を眇めた。抱き締め返してやれないのが申し訳なかった。せめてと、イルカに優しい声を聞かせる。 「ん・・・。ただいま、イルカ先生」 動かない身体を懸命に動かし、イルカの頭に擦り寄る。 すると、泣いていたのか小さく鼻を啜ったイルカがゴシゴシと忍服の袖で目を拭い、その顔を上げた。 「ベッドに運びますね」 泣いてしまったのが恥ずかしいのだろう。カカシと視線を合わせないようにそう告げたイルカに大事そうにそっと抱き上げられ、カカシは嬉しさからふと小さく笑みを浮かべた。 「迷惑掛けちゃってゴメンね?イルカ先生」 「いえ、迷惑だなんてそんな事は・・・」 カカシの身体を抱き直すイルカが僅かに頬を染める。 「・・・本当は、カカシさんが真っ先にここに来てくれて、凄く嬉しかったんです・・・」 寝室へと歩き始めたイルカが、こちらへは視線を向けないままそう告げてくる。恥ずかしいのか、小さく告げられるその言葉が嬉しくて愛しい。 「イルカ先生」 カカシの呼び掛けにイルカが視線を向ける。 「ただいまのキスが出来ないから、お帰りなさいのキス、して・・・?」 小さな声でそう強請った途端、イルカの顔が真っ赤に染まった。 イルカはかなりの恥ずかしがり屋だ。キスして貰うのは無理かもしれないと思ったが、カカシの願いはあっさりと聞き届けられてしまった。 (うそ・・・) その瞬間、カカシはその瞳を僅かに見開いていた。 視線を伏せたイルカが、カカシのすぐ目の前に居る。唇にそっと押し当てられた暖かな感触は、確かにイルカのものだ。 ゆっくりと離れていくイルカを呆然と見上げていたカカシだったが、その顔が真っ赤に染まっているのに気付き、ふと笑みを浮かべた。 動けないカカシの願いを叶えてくれたイルカの優しさが嬉しい。 「・・・イルカ先生にお姫様抱っこされるのは初めてだな・・・」 足腰が立たなくなったイルカを抱っこして風呂まで運ぶ事はあったが、カカシが運ばれるのはこれが初めてだ。 カカシがそう小さく呟いた途端、動揺したのかイルカの足が僅かに揺れる。 「・・・ちょっと黙ってて貰えますか」 イルカの眉間にクッキリと寄せられた皺は、羞恥によるものだろう。それを見たカカシはふと笑みを浮かべると、「はーい」と良い子のお返事をして口を噤んだ。 あまり揺らさないよう気をつけてくれているのか、イルカのゆったりとした歩調に合わせ、ゆらゆらと揺れる身体が心地良い。 ベッドまでの短い間ではあったが、カカシは幸せなその揺れを心行くまで堪能した。 |