相合傘キス どんよりとした雲に覆われた夜空から、次から次へと雨が降り注ぐ。 夜になってから降り出した秋雨は冷たく、色付き始めている木の葉をもっともっとと促すかのようだった。 始まったばかりの里の紅葉は、この雨で一気に進む事だろう。 居酒屋で借りた傘の下、昼休みに見た僅かに色付く山を思い浮かべるイルカから、小さく溜息が零れ落ちる。 (出来れば・・・) 一気にではなく、少しずつ里が色付いていく様を見たいと思う。でなければ、何かと仕事に追われる身であるイルカは、綺麗に色付いた紅葉を楽しむ間も無く、気付けば木々がその葉を散らせていた、なんて事になってしまう。 とは言え、今のイルカには、この雨の冷たさが少しありがたかった。傘から僅かにはみ出た肩を濡らして歩きながら、酒のせいだけではない頬の火照りが早く冷めてくれる事を祈る。 煩い程に鳴っている心臓の音を、雨が掻き消してくれて助かった。自らの胸の音と傘を打つ雨の音を聞きながら、イルカは夜闇に包まれた道を真っ直ぐ見つめて歩く。 「初めて受け持った子が今日、アカデミーまで会いに来てくれたんですけど、少し見ない間に凄く成長してて・・・」 傘を持つ手が少し震えてはいるが、声はまともに出せている。と、思う。 隣を意識しないようにと思っても、時折当たる肩や腕がそれを許してくれない。それに。 「・・・ナルトも、こんな風に成長して戻ってくるのかなぁって?」 すぐ傍らから聞こえてくる笑いを含むその声に、イルカの胸の高鳴りが一層激しくなる。 低くてとびきり甘いその声の持ち主は、イルカが恋人としてお付き合いしているカカシだ。 小さく苦笑を浮かべ、鼻頭の傷を掻く。 「そうなんです。足元に纏わり付いてたあいつも、こんな風に俺を越していくのかなぁと思ったら、少し感傷的になってしまって」 同じ傘の下、イルカの隣を歩くカカシが再び小さく笑う。 「そっか。それで今日のイルカ先生、あまり元気が無かったんだ・・・」 今日のイルカは、恋人であるカカシに心配を掛けまいと、いつも以上に元気に振舞っていたつもりだったのだが、やはりというか、カカシの目は誤魔化されなかったらしい。気を付けて見てくれているのだと知り、呟くようなその言葉に少し嬉しくなる。 「ま・・・、その気持ちは分からなくは無いですよ。オレもそのうちアイツに追い越されるんでしょうしねぇ」 続いて聞こえてきた意外なその言葉に、イルカは隣に居るカカシを少しだけ伺った。 ナルトの事を思い出しているのだろうか。少し俯き、目元を僅かに緩ませたカカシがそこに居る。僅かだが哀愁漂うその横顔に、イルカの胸が擽られる。 「ナルトがカカシさんを追い越せるのは、まだまだ先でしょう?」 「分かりませんよ?オレなんてすぐに追い越して・・・」 「・・・火影、ですか?」 ナルトの口癖を思い出したイルカの可笑しそうなその言葉に、イルカへと視線を向けたカカシがその深蒼の瞳を弓形に細める。 「ま、そう簡単に追い越させるつもりはありませんけどね」 まだまだ先だろうとは思うが、里一番の実力者と言われるカカシがそう言うのなら、ナルトの夢も近いのかもしれない。 嬉しくなったイルカは、小さく笑みを浮かべ雨が降り続く空を見上げた。 「・・・ナルトの奴、元気にしてるでしょうか・・・」 もうすぐナルトの誕生日だ。 毎年ナルトと共に誕生日を祝っていたイルカは、だが、今年は一緒に祝ってやる事が出来ないだろう。 遥か遠い地で頑張っているだろうナルトを想うイルカの視界が、不意に何かで塞がれる。 (え・・・?) それと同時に自らの唇も塞がれたイルカは、その瞳を見開いていた。 口布を引き下ろし、端正なその顔を晒したカカシがすぐ側に居る。少し伏せた深蒼の瞳と至近距離で視線が合ってしまったイルカは慌てた。 「な・・・っ」 俯きながら後退こうとして、いつの間にか腰に回されていたカカシの腕に阻まれる。 唇に残るこの感触は、もしかしなくてもカカシの唇だろう。口元を手の甲で押さえるイルカの顔が羞恥に染まる。 カカシに口付けられたのは今回が初めてではないが、外でされたのは初めてだ。 「・・・そんなに淋しそうな顔しないで。アイツには自来也様が付いてますし、あなたにはオレが居るでしょ・・・?」 耳元で聞こえたカカシの潜めた低いその声に首を竦める。 さらに羞恥に顔を染めたイルカは、囚われているカカシの腕の中から抜け出そうと身を捩った。 「カカシさん・・・っ、誰かに見られたら・・・っ」 「雨が降ってるし、夜も遅いから。誰も居ませんよ」 カカシが小さく笑う気配がする。 「それにホラ。傘が隠してくれてるでしょ?」 心臓が破裂しそうなほどに焦っているイルカに対し、聞こえてくるカカシの声は落ち着いたものだ。悔しくなったイルカは、さらに抗議しようと顔を上げた。 「ん・・・っ」 途端、再度口付けられ慌てる。首を振って逃げようとするが、カカシはそれを許してくれない。 (こんな所で・・・っ) 誰かに見られたらと身体を離そうとするのだが、傘を持つ手を掴まれ逃げられなくなる。 さらには、唇の隙間からカカシの舌が侵入し、戦慄く舌を絡め取られた。まだ逃げようとするイルカを叱るように、強く吸われてしまう。 「んん・・・っ、ん・・・ぅ・・・っ」 器用な舌はイルカの口腔内を時に優しく、時に強引に愛撫していった。 互いの唾液を交換するような深い深い口付けに堪らなくなる。巧みな愛撫に、身体が反応しそうになる。 (も・・・、駄、目だ・・・っ) 膝が崩れそうになり、それまで抗議していたイルカの手が、カカシのベストを縋るように掴む。そこに至って、カカシはようやく口付けを解いてくれた。 長く唇を塞がれていたからか、イルカの息が荒い。頬が熱く、自分でも蕩けた表情を浮かべているのだろうと分かる。 「・・・大丈夫?」 慣れない自分が恥ずかしい。赤くなっているだろう顔をカカシから隠すように俯く。 (力が入らな・・・) 口付けだけで身体の力が抜けてしまった。カカシの問いに小さく首を振る。 すると、ふと笑みを浮かべたらしいカカシが、小さく「ゴメンね」と謝ってきた。きつく抱き締められる。 「ナルトに嫉妬しちゃった」 耳元で囁くように告げられたその言葉の調子は軽く、それを聞いたイルカは小さく笑ってしまっていた。だが。 「・・・っ」 顔を上げたイルカのその顔から、それまで浮かんでいた笑みが消える。 イルカに聞かせた声とは違い、カカシのその表情は真剣で、深蒼の瞳には激しい情欲の焔を宿らせていた。 「・・・イルカ先生の家で続き、してもいい・・・?」 イルカの首筋にゆっくりと顔を埋めたカカシに、潜めた低い声でそう訊ねられ、イルカはぴくんと身体を震わせた。身体の熱が一気に上がる。 続きを求められたのは今日が初めてだ。 どうしようと迷うイルカを、カカシは急かす事なく待ってくれている。多分、イルカが断ったとしても、カカシは柔らかな笑みを浮かべ、また今度ねと言ってくれるのだろう。 (胸が痛い・・・) 高鳴る心臓のせいだけじゃない。その気になれば強引に事を進めることも可能だというのに、カカシはそれをせず、イルカの意思を確認してくれている。 大切にされている。その事実に堪らなくなる。 躊躇いながらも、カカシの背にそっと片手を回す。きゅっと抱きつく事で、了承の意思を伝える。 「・・・しっかり掴まってて」 傘を閉じたカカシが瞬身したのだろう。頬に冷たい雨が当たる間も無く、低いその声と同時に酩酊感に襲われたイルカは、その瞳をぎゅっと閉じた。 |