ジェラシーキス 少々遅くなってしまった。 任務を終わらせたカカシが指定されていた居酒屋へと向かってみると、がやがやと騒がしい宴会場は既に、宴もたけなわという様相を見せていた。 宴会場になっている座敷の出入り口から辺りを見回し、まずはこの中に居るだろう恋人の姿を探す。だが、トイレにでも行っているのかその姿は無かった。 今日は上忍中忍を交えた忘年会だ。カカシの恋人であるイルカは、その人当たりの良さからか、こういう席で絡まれる事が多い。上忍から酒を勧められれば、中忍であるイルカが断る事は困難だ。 もしかすると、既に大量に呑まされて気分でも悪くなっているのかもしれない。 「遅ぇぞ、カカシ!」 心配になったカカシが、ちょっと探しに行こうと踵を返そうとした所で、カカシの姿を目敏く見つけたらしい咥え煙草のアスマから大声で声を掛けられた。見れば、他の上忍仲間も一緒だ。 それに片手を上げて応えたカカシが背を向けようとした途端、黄色い歓声があちらこちらで上がる。 (・・・しまった) それを聞いたカカシの眉根に僅かに皺が寄った。 ここで捕まると何かと厄介だ。イルカを探しに行く為に急いでその場を辞そうと思ったカカシは、だが、カカシの両腕にすかさず伸びてきたくのいちたちの手によってその動きを阻まれてしまった。 振り解こうにも周囲をずらりと囲まれてしまい、巧みに座敷の奥へと誘われてしまう。 くのいちたちに囲まれて呑むのはさすがに不味い。彼女たちが勧める場所への誘導は何とか退け、忌々しくも捕まる切っ掛けをくれたアスマの隣に座る。 「・・・ちょっと。オレが探しに行こうとしてたの分かってて声掛けたでしょ」 カカシとイルカが恋人同士である事を、友人であるアスマは知っている。呻るような声で小さくそう問い掛けると、何を言ってやがるとばかりに大量の煙を吐き出された。 「酒が足りなくなったんでな。取りに行かせてるだけだ。すぐに戻る。・・・ちゃんと目ぇ光らせてやってたんだ。感謝しろ」 こちらも小さな声で綴られたアスマのその言葉で、イルカが無事だと分かりホッとする。だが、カカシの大切な恋人であるイルカを良い様に使っているらしいアスマに、文句の一つでも言おうとした時だった。 両手に酒を手にしたイルカが座敷へと戻ってきた。 だが、出入り口で同僚らしき男に捕まってしまっている。一緒に呑めとでも言われているのだろう。苦笑を浮かべ、断っているらしいイルカの姿を視界の端に捉えるカカシは、表情にこそ出してはいないが気が気ではなかった。 イルカの名を呼びたいのをぐっと堪え、イルカがこちらへとやって来るのを待つ。 「すみません、遅くなりました」 「おう、すまねぇな」 そう言いながら側に膝を付き、手に持っていた酒をアスマに渡していたイルカが、その隣に座るカカシへと柔らかな笑みを向けてくる。 「・・・カカシさんも戻られてたんですね。お帰りなさい。任務お疲れ様でした」 「イルカ先生もお疲れ様。アスマに扱き使われてるんでしょ?大変じゃない?」 こちらも笑みを返しながらそう問い掛けてみると、カカシがその事で少々不機嫌なのが分かったのだろう。イルカの笑みが深くなった。 「酒を断る理由が出来て助かってますよ」 そう言うイルカだが、それでも断り切れない酒があったのだろう。少々酔っているのか、漆黒の瞳が潤んでいる。 これ以上飲ませたくは無い。絡まれないよう出来れば隣に座らせておきたい所だが、いくら知り合いが多いと言っても、中忍であるイルカを上忍の中に座らせるのは忍びなかった。イルカ本人からも、恋人だからといって特別扱いしないで欲しいと常々言われている。 「それじゃあ、俺はこれで」 そう言って立ち上がるイルカを引き止めたいのを堪え、カカシは「ん」と、少々淋しさが滲む笑みを浮かべてイルカを見送った。 イルカとは付き合ってまだ間もないが、その大らかな性格のお陰だろう。共に居て、二人の間に階級差がある事を気にした事は殆ど無い。 だが、こういう公の席ではそうもいかない。カカシは周囲の目など気にしないが、イルカはそうではないのだろう。二人きりの時はもっと砕けた話し方をするイルカの口調や態度が、こういう時だけ固くなるのが少し淋しい。 「・・・辛気臭ぇ顔になってるぞ」 イルカが居ないのに笑みなんて浮かぶはずも無い。隣に座るアスマからそう言われたカカシの眉根に、僅かに皺が寄る。 「仕方ないでしょ?」 遠くで同僚たちと飲むイルカの姿を視界の端に捉えるカカシは、内心切ない溜息を吐きながら、目の前のテーブルに置かれていた杯を手に取った。 寒空の下、カカシの口布越しに吐き出される息が白い筋を成す。 トイレに立つ振りをして、まだ盛り上がっていた宴会場からそっと抜け出したカカシは、いつの間にやら姿を消していたイルカの家へと急いでいた。 イルカと共に飲んでいた同僚らしき男にそれとなく訊ねてみた所、酔ってしまったのか、気分が悪くなったと言って一人で先に帰ったと言われたのだ。 イルカの不調に気付かなかった自分が腹立たしい。そうと気付いていれば、一人で帰す事なんてしなかったのに。 もう眠ってしまったのだろうか。少々古びたアパートへと辿り着いてみると、二階にあるイルカの部屋は灯りが点されておらず暗かった。 とりあえず様子だけでも見て帰ろうと、アパートの階段を上り、つい先日貰ったばかりの合鍵で部屋の鍵をそっと開ける。 イルカの気配を辿って寝室へと続く襖を音も立てずに開けてみると、眠っているのではと思われていたイルカは、カカシの予想に反し、抱えた両膝に顔を埋めてベッドの上で蹲っていた。 それを見たカカシの口元に小さく苦笑が浮かぶ。 (二度目だな・・・) 珍しく落ち込んだイルカが、自己嫌悪に陥った時に見せる姿だ。イルカと付き合い始めて日の浅いカカシだが、イルカのこの姿を見るのは二度目になる。 一度目は、雨が降る中、アカデミーの校舎裏でだった。カカシからの告白を手酷く断ったイルカは、カカシが立ち去った後に降り出した雨に濡れながらも、その場に蹲りいつまでも動こうとしなかった。 イルカも同じ気持ちだったにも関わらず、カカシに自分は釣り合わないと思ってしまったイルカは、どうせなら嫌われてしまった方がいいと酷い言葉で断り、その事でカカシを傷付けたと激しい自己嫌悪に陥ったのだ。 「・・・イルカ先生」 寝室の出入り口からそっと声を掛けてみると、気配を消していたから驚いたのだろう。イルカの身体が大きく震えた。だが、顔を上げようとはしないイルカに、カカシの苦笑が深くなる。 額当てを取り去りながらベッドへと近付いたカカシは、口布も下ろして素顔を晒し、蹲るイルカのすぐ側にそっと腰を下ろした。 「どうしたの・・・?」 そう問い掛ける声を出来るだけ優しく響かせる。怒ったり呆れたり、ましてや嫌いになったりなんてしないから、イルカが自己嫌悪に陥ってしまった理由を聞かせて欲しいという想いを込めて。 するとしばらくして、イルカのずずという鼻を啜る音と共に、「俺が・・・」という小さな声が聞こえてきた。 時々詰まりながらも、小さな声で綴られたイルカの言葉を要約するとこうだ。 イルカが皆の前では特別扱いしないで欲しいと言ったのにも関わらず、今日の飲み会でカカシの側に居られない事が淋しくて堪らなかった。カカシの元へ、次から次へと女性たちが酌に訪れる様子を見るたびにその淋しさは一層募り、カカシの隣は自分の場所なのにという理不尽な怒りすら沸いてしまい、そんな自分が嫌になったのだと。 それを最後まで静かに聞いていたカカシは、聞き終えた途端、その顔を盛大に綻ばせてしまっていた。 イルカのこれは、間違う事無く嫉妬だ。本人もそれを自覚しているのか、決して顔を上げようとしないイルカが愛しい。 「イルカ先生。顔を上げて見せて・・・?」 可愛らしく嫉妬してくれたのだ。イルカの顔が見たいとそう願うも、「酷い顔だから駄目ですっ」と首を振られてしまう。 普段、それ程落ち込まない人だからだろうか。一度自己嫌悪に陥ったイルカを立ち直らせるのは困難を極める。だが。 「酷くてもいいから見せて?オレはどんなイルカ先生も大好きだから」 カカシのその言葉を聞いたイルカの鼻を啜る音がピタリと止む。それに気付いたカカシは、イルカを見つめる瞳を愛おしそうに眇め、その口元に柔らかな笑みを小さく浮かべていた。 「嫉妬しちゃうイルカ先生も、そんな自分がキライになっちゃうイルカ先生も、オレは大好きですよ」 そう告げながら、まだ外していなかった手甲を外したカカシは、その手をゆっくりとイルカへ伸ばした。小さく丸められている背中へと手を回してそっと抱き寄せてみると、伏せられていたイルカの顔がおずおずと上がる。 涙で潤む漆黒の瞳に、赤らむ頬。それと同じく桜色に染まったぽってりと艶めく唇。 イルカが言う酷い顔は、やはりというか、カカシの目には可愛らしいものとしか映らなかった。 「・・・だって、こんなに可愛いもの」 胸に溢れる愛しさから深蒼の瞳を眇めながらそう囁いて、カカシはイルカが笑みを見せてくれるまで何度も何度も、その唇に優しい口付けを落とした。 |