おやすみのキス もう少しで深い深い眠りの淵に堕ちる―――。 そんな心地良いまどろみの中に居たイルカの身体を、背後から抱き込んでいたカカシの腕がそっと開放する。 (・・・あ、れ・・・?) そのままゆっくりとカカシの身体が離れていくのを感じたイルカは、眠い目をごしごしと擦りながら、どうかしたのだろうかと背後に居るカカシを振り返った。 振り返ったイルカに気付いたカカシが、ベッドから降りようとしていた身体の動きを止める。イルカと同じく、まどろみの心地良い眠りの海を漂っていると思われていたカカシは、予想に反し、その深蒼の瞳に眠りの余韻など欠片も滲ませていなかった。 「・・・起こしちゃった?」 その問いに小さく首を振りながらカカシへと向き直る。 「・・・眠れないんですか・・・?」 思った以上に掠れてしまっている声でそう訊ね返してみると、ベッドに腰掛け、イルカの黒髪をそっと撫でるカカシが小さく苦笑を浮かべた。 「・・・ん、ちょっとね。あっちで酒でも呑んで来ようかと思って」 「じゃあ、俺も付き合います・・・」 こんな夜更けに一人で呑むのは淋しい。そう思い、片肘を付き起き上がろうとするイルカの身体を、「いいから」という声と共にカカシの手が優しく押し留める。 「一杯呑むだけだから。イルカ先生は先に寝てて。ね?」 イルカを見つめるカカシの深蒼の瞳が優しさを増し、額にちゅっと口付けが落とされる。 帰宅時から眠い眠いと零していたイルカの事を気遣ってくれているのだろう。その優しさは嬉しいけれど、カカシが居ないベッドに一人で眠るのは少し淋しい。 狭いはずのベッドが広く感じられ、胎児のように身体を小さく丸める。そうして、ふかふかの枕に片頬を埋めるイルカがそんな事を思っていると、どうやらそれが顔に出ていたらしい。カカシの顔にふと苦笑が浮かんだ。 「そんな淋しそうな顔しないの。すぐに戻って来ますから」 そう言いながらイルカの頬を擽っていたカカシが、イルカの耳元にそっと口付けを落とす。 一度だけではなく、慰めるように何度も。 口付けられるたび、カカシのさらさらな銀髪が顔に落ち掛かり擽ったい。それだけではなく、ふとした拍子に掛かるカカシの息もイルカの耳元を掠めていく。 敏感な耳元を擽られ首を竦めるイルカの頬が、ほんのりと桜色に染まり始める。 「ん・・・っ」 イルカから不意に漏れる小さな甘い吐息。イルカの頬を擽っていたカカシの指先が、それを機に耳元へと移動する。 ひんやりとしたその指先が黒髪へと差し込まれ、思わせぶりな手付きで髪を梳かれたイルカは小さく首を傾げた。 (な、に・・・?) 上に伸し掛かるカカシをそっと見上げてみると、じぃっと見下ろしてくるカカシの深蒼の瞳と視線がぶつかり、イルカの胸がトクンと高鳴る。 イルカの黒髪を弄びながら、何やら考え込んでいるらしいカカシと見つめ合う事しばし。 「・・・ねぇ、イルカ先生。やっぱり付き合ってくれる?眠くなかったら、だけど」 小さく首を傾げるカカシから告げられたその言葉に、イルカは何故か拍子抜けしてしまっていた。その事を不思議に思いながらも一つ頷く。 先ほどまで半分眠っていたからだろう。イルカを襲っていた眠気は既にどこかへ行ってしまっている。イルカも酒を呑まなければ眠れそうにも無かった。 「え・・・っと、はい。大丈夫です」 そう言いながら起き上がろうとしたのだが、僅かに起こされていたイルカの肩をカカシの手がシーツの上へと押し戻した。 (・・・え?) ふかふかの枕の上。トスンと軽い音を立てて倒れ込んだイルカの見上げる先にあるのは、見慣れた天井とカカシの端正な顔だ。 そのカカシの深蒼の瞳に再度じぃっと見つめられ、イルカはその動きを止めた。綺麗なその瞳に、先ほどまでは無かった怪しい光が灯っている事に気付いたイルカの頬が僅かに引き攣る。 「あの・・・、何に付き合えばいいんですか・・・?」 恐る恐るそう問い掛けてみると、見惚れるような笑みが返って来た。イルカの耳元へと差し伸ばされたカカシの指先がイルカの黒髪を絡め取り、カカシの端正な顔がゆっくりと近付いてくる。 「・・・おやすみのキス」 「ん・・・っ」 低く囁くように告げられた言葉とほぼ同時に唇を塞がれ、イルカはその漆黒の瞳を大きく見開いていた。 閉じているイルカの唇をカカシの舌先がねっとりと嬲り、開けてと強請る。見開いたままのイルカの視界でも、決して逸らされる事の無いカカシの深蒼の瞳が開けて欲しいと強請っているのに気付いたイルカは思わず、その漆黒の瞳をぎゅっと閉じていた。 (も、もう・・・っ) 惚れた弱みだろうか。カカシに強請られると断れない。 カカシがイルカに断られないよう外堀を完全に埋めてから強請る、という事もあるのだろうが、カカシに強請られると嬉しいと思ってしまうのだ。 顔を羞恥に染めるイルカの唇が、カカシの強請りに応じ、おずおずと開かれていく。 「ぁふ・・・っ、んん・・・っ」 すぐさま忍び込んで来たカカシの舌先が、奥に隠れていたイルカの舌先を探り当てる。優しく絡め取られ、力強く吸い上げられる。 カカシが言った「おやすみのキス」とは意味合いが全く違う、官能を刺激される深い深いキスだ。 視覚を閉ざしているからだろう。聴覚が鋭い。 カカシが口付ける角度を変えるたび、イルカから勝手に漏れる甘い吐息の合間に立つ、ぴちゃりという卑猥な水音に堪らなく煽られる。 (こ・・・んな・・・っ) 口腔内を犯され、自分の身体が火照り始めていくのが分かる。もぞもぞと身を捩り、身体の火照りを冷まそうとするも、口付けるカカシがそれを許してくれない。それどころか、口付けに集中していないイルカを叱るように舌先を強く吸われ、さらには逃げられないよう体重を掛けられる。 これ以上はもっと眠れなくなってしまう―――。 「も・・・っ、こんなのおやすみのキスじゃ・・・っ」 首を振ってカカシの口付けから逃れ、そう言いながら薄っすらと開けたイルカの視界。いつの間に滲んだのか揺れる涙越しに見えるカカシがふと苦笑し、イルカの目尻に口付けてくる。 「・・・じゃあ、今度は良く眠れるおまじない。シよ?」 「・・・っ」 そのまま耳元へと移動したカカシから強請るようにそう囁かれたイルカは、カカシが言う「おまじない」の内容が分かってしまい、少々気が遠くなるのを感じていた。 今から始めれば朝になってしまうのは分かりきっている。しかも、日付が変わって本日のイルカは午後出勤。帰宅時からイルカを襲っていた眠気も既に遠退き、遠慮しなくても良いと知っているカカシが自制するとは思えない。 けれどカカシは、朝早くに任務へ出立する予定が入っているのだ。一睡もせずに任務に向かわせるなんて出来るわけがない。 「だ・・・」 「ダメ?」 駄目だと言おうとしたイルカよりも先に、カカシに強請られてしまう。さらさらの銀髪を揺らして小さく首を傾げ、イルカの胸を激しく擽る少しだけ淋しそうな笑みと共に。 「・・・・・・狡い」 そんな顔をされたら、ただでさえカカシの強請りに弱いイルカは絶対に断れない。唇を尖らせ、せめて文句の一つは言わなければと小さく詰ると、それを聞いたカカシの笑みが嬉しそうな笑みに変わる。 「・・・愛してますよ、イルカ先生」 その言葉だけでなく、愛しい愛しいと如実に語るカカシの深蒼の瞳。その瞳を見つめるイルカの漆黒の瞳が、胸に溢れる愛しさから切なく眇められる。 ゆっくりと両手を差し伸べたイルカは、カカシの滑らかな頬へ手を添えた。 「・・・俺もです。カカシさん・・・」 軽く引き寄せながら小さな小さな声でそう告げると、カカシの笑みが深くなる。 端正な顔が近付き、そっと落とされた口付けは、恋人たちの甘い甘い睦み合いの始まりの合図になった。 |