2010年ホワイトデー企画
涙のキス
No.8 涙のキスの続編です。





何の変哲も無い、両手に抱えるくらいの少し大き目の箱。
ホワイトデーを数日後に控えたその日、イルカが「プレゼントです」と差し出したそれの前に嬉しそうな笑みを浮かべて座ったカカシは、だが、箱を開けた途端、端正なその顔を盛大に引き攣らせた。
(よっし・・・!)
それを見て、イルカは内心ほくそ笑む。
カカシが顔を引き攣らせるのも当然だろう。イルカが用意したその箱の中には、カカシの苦手な甘い飴玉が大量に入っているのだから。
「・・・イルカ先生。コレは・・・?」
箱の中身に視線を落としたままのカカシから、恐る恐るといった様子でそう問い掛けられたイルカは、ここぞとばかりにニッコリと満面の笑みを浮かべた。
「もうすぐホワイトデーでしょう?バレンタインのお返しですよ」
受付所で鍛えたその笑みと、必要以上に和やかに告げたその言葉で、イルカがバレンタインの時の事を根に持っている事に気付いたのだろう。丸い背をさらに丸めるカカシが、ハァと切ない溜息を吐く。
苦手と分かっているものを贈るなんて、随分と子供じみた仕返しだ。それはイルカが一番良く分かっている。
けれど、これくらいの仕返しはさせて欲しい。バレンタインのあの日、イルカはお仕置きと称するカカシから、今思い出しても羞恥で死ねるのではないかと思うくらいの痴態をカカシの前で曝け出させられたのだから。
それにだ。イルカは何も、ホワイトデーのお返しをカカシの苦手なものを贈っただけで済ますつもりはない。代わりと言っては何だが、カカシの好物である秋刀魚の塩焼きと茄子の味噌汁、それから、とびきりの酒をちゃんと用意してある。
「全部食べて下さいね。チョコレートと違って、一気に食べても吹き出物なんて出来ませんから」
顔に貼り付けた笑みはそのままに、声の調子を少しだけ落としてそう告げる。
すると、それを聞いたカカシの顔がようやく上がり、イルカの仕返しを大人しく受ける事にしたのだろう。その顔に小さく苦笑を浮かべたカカシはそれでも、「ん。ありがと」とイルカに礼を言ってくれた。




その直後にカカシは任務に就き、それから数週間後。
間に合うはずだったホワイトデーを大きく過ぎても戻らなかったカカシは、あと少し遅ければ危なかったと医療忍から言われた程に衰弱した状態で発見された。
ようやく面会が許された、麗らかな春の柔らかな日差しが差し込む病室の中。
ベッドの上からイルカへと差し伸ばされるカカシの節ばった手を、ベッド脇に置かれていた椅子に座り、僅かに震える両手でぎゅっと握り締めるイルカは、カカシの手を握り込んだ自らの両手を額当てに押し当て、身体を小さく震わせながら項垂れた。
細長く安堵の溜息を吐くイルカの耳に、カカシの掠れた微かな声が聞こえてくる。
「甘いものは苦手だけど・・・」
久しぶりに聞くその声と、握り返してくれる手の確かな感触に、イルカの視界に映る真っ白なシーツが揺らぎ始める。
「・・・イルカ先生から貰った飴玉は、凄く美味しかった・・・」
それを聞いた途端、イルカは溢れ出す涙を止める事が出来なくなった。ぽたぽたと零れ落ちるイルカの涙がシーツを濡らしていく。
単独での任務を終え、帰還する途中。カカシを付け狙う抜け忍に襲われたカカシは、その抜け忍を何とか殲滅したものの、チャクラ切れに陥った上に崖から転落し、足を骨折したのだという。
それから殆ど動けない状態で数週間。僅かに戻ったチャクラで救援の式を飛ばし、捜索隊に発見されるまで、カカシはポーチの中に入れてあったいくつかの飴玉で飢えを凌ぎ、命を繋いでいたらしい。
カカシを診てくれた医療忍からそれを告げられた時、イルカは、どうしてそれが自分じゃなかったのだろうと思った。
(俺は・・・っ)
カカシの命を繋いでくれたとはいえ、あの飴玉はカカシに仕返しするために用意したものだ。そんな幼稚な仕返しをしたイルカこそが命の危機に晒されるべきであって、イルカが渡した飴玉を任務先にも持って行ってくれていたカカシが晒されるのは間違っている。
ましてやカカシに、「美味しかった」と言って貰う価値などイルカには無い。
「ちゃんと・・・っ」
勝手にしゃくり上げようとする喉を叱咤し、イルカは震える声を絞り出す。
「飴玉じゃなくて、ちゃんとしたものを用意します・・・っ。今度はちゃんと・・・っ」
仕返しなんて考えず、カカシの事を思い、そして、カカシを助けてくれるものをちゃんと選ぶ。
堪え切れず、ひっくひっくとしゃくり上げながらも懸命にそう伝えたのだが、苦笑したのだろう。ふと小さく笑うカカシから「ううん」と断られてしまった。
「イルカ先生はちゃんとオレの事を考えて、あの飴玉を用意してくれたんです。お返しに飴玉を贈るのは本命だけだって、そう教えてくれたのはイルカ先生ですよ・・・?」
「・・・あ・・・」
ゆっくりゆっくりと告げられたその言葉で思い出した。
―――お返しにキャンディを贈るのは本命だけなのよ?イルカ先生。
その当時担任していた女の子たちから義理チョコを貰い、ホワイトデーに飴玉を贈ったイルカに対し、女の子たちは揃って仕方がないなと言わんばかりの表情を浮かべてそう教えてくれたのだ。
(・・・そうだ、俺・・・)
カカシへの仕返しなら、他のものでも良かった。それこそクッキーでも、チョコレート菓子でも、カカシの苦手な甘いものなら何でも良かったはず。
けれどイルカは、最初から飴玉を選んでいた。
日持ちする飴玉であれば、任務に持って行っても支障は無いだろう。小さな飴玉くらいなら、甘いものが苦手なカカシでも、疲れた時に舐めて貰えるかもしれない。
出来ればその時、自分の事を思い出してくれたら―――。
飴玉を買った時の自分の気持ちを思い出したイルカの、潤んだ漆黒の瞳が切なく眇められる。
ゆっくりと顔を上げた先。ベッドにその身を横たえるカカシが、イルカの瞳から零れる涙を見て苦笑を深くする。
「オレはね、イルカ先生・・・。あなたからの可愛らしい仕返しが、凄く嬉しかったんですよ」
イルカを見つめるカカシの深蒼の瞳が柔らかさを増し、両手で握り込むカカシの手が、慰めるようにきゅっと握り返してくれる。
「だから、そんなに自分を責めないで・・・?むしろ、イルカ先生から貰ったあの飴玉のお陰でオレは助かったんですから」
優しさがいっぱい込められたカカシの声とその言葉が、イルカの涙腺を再度崩壊させる。
イルカから次から次へと溢れ出す涙を見たカカシの瞳が切なく眇められ、イルカの両手をするりと抜け出たカカシの手が、涙が伝うイルカの頬へと伸ばされる。
「・・・ありがと、イルカ先生。ドジって心配掛けてゴメンね・・・?」
それを聞いたイルカは、自らの頬に添えられたカカシの手を掌で包み込み、何度も何度も首を振った。
カカシは何も悪くない。イルカが贈った飴玉で命を繋ぎ、イルカの元へちゃんと帰って来てくれた。
伝えたい事はいっぱいあるのに、しゃくり上げる程に泣いていて声になりそうにも無い。
だが、これだけは言わなければと、イルカは忍服の袖で涙を拭い、懸命に息を整える。
「・・・おかえり、なさい・・・っ」
カカシを見つめる漆黒の瞳を切なく眇めながら伝えたその言葉は、掠れてしまっていたけれど、ちゃんと声となって出てくれた。
だが、声に出して言った途端、カカシの帰還を実感したのだろう。今度は安堵感から涙が溢れ出してしまう。
(もう・・・っ)
こんなに泣いたらカカシを困らせてしまう。
止めたいのに止められない涙に困っていると、カカシの顔に苦笑が浮かび、イルカの頬に添えられたカカシの手が、おいでと促すようにそっと引かれた。
引かれるがまま身体を倒し、待ち受けるカカシの唇へゆっくりと口付けを落とす。
「・・・もう泣かないの。ね・・・?」
至近距離から見つめる深蒼の瞳と、囁くように告げられたその言葉に再度涙腺を刺激されてしまったが、カカシはイルカが泣き止むまでずっと、飽きる事無く頭を撫でてくれた。






キスコレに最後までお付き合い下さり、ありがとうございましたv