Birth






「あっちぃ!」
砂浜に下りた高耶がそう叫ぶのを聞いて、木陰に停めた車に寄り掛かってそれを眺めていた直江は眉をひそめた。
海に行きたいと高耶にせがまれてやってきたはいいが、今日は灼熱の太陽が降り注ぐ猛暑だ。薄いTシャツ一枚に短パンでは日に焼けてしまう。
「少しだけですよ、高耶さん」
「分かってるって!」
砂浜を歩く高耶に、直江は無駄だろうと思いつつ声を掛けた。こちらを振り返る事なく叫び返して、一直線に海に向かう高耶に直江は苦笑する。
高耶は本当に海が好きだ。それに、この季節に生まれた彼は海がよく似合う。
水際で靴を脱ぎ足を濡らす高耶を見て、直江は車からタオルを取り出した。やはり準備しておいて正解だったようだ。タオルを片手に再び波と戯れる高耶を眺める。
「おまえも来いよ!」
「私は遠慮しておきますよ」
直江の視線に気付いた高耶が誘って来るが、革靴では遠慮したいところだった直江は苦笑して断った。
本当に今日はいい天気だ。青と白のコントラストに、黒髪に白いTシャツ姿の高耶は良く映えている。
海と空の境目を見つめ、なにげない幸せに直江は目を細めた。


高耶の誕生日を祝うのは何度目だろう。
2人で暮らすようになってからは、必ず誕生日を挟んで1週間休みを取って祝うことにしている。
高耶は最初、直江が仕事を休む事に猛反対したが、何を言っても聞かない直江に最後には折れてくれた。
「そろそろ行きますよ」
「もうちょっと!」
時間がないのと、日に焼けるのを心配した直江が声を掛けるが、高耶は波打ち際でしゃがみ込み、何かを拾うのに夢中でなかなか戻ってこない。
「時間がなくなってしまいますよ、高耶さん」
再度声を掛けた直江に高耶はぷぅと頬を膨らませると、脱いだ靴を片手に持ってしぶしぶ直江のいる木陰へとやってきてくれた。
タオルを差し出す直江に、「コレ持ってて」と手を差し出してくる。
「何ですか?」
「美弥にプレゼント」
受け取ったそれは、小さい桜色の貝殻だった。一生懸命に何かを探していると思ったら、妹への手土産を探していたらしい。妹思いの高耶らしいプレゼントに自然と笑みが浮かぶ。
「かわいらしいですね」
「だろ?もうちょっと大きいのも探してたんだけど、お前が急かすからさ」
タオルを受け取って、足についた砂を叩き落しながら高耶が文句を言う。
「それはすみませんでした。でも、時間があまりないのは本当なんです」
「分かってる」
靴を履き終えた高耶が見上げてくるのを、申し訳なさそうに直江は見つめた。
「私がもう少し早めに上がれれば良かったんですが・・・」
「それは仕方ないだろ?仕事だったんだし。それにオレだって我が侭言ったしな」
3連休の直前まで毎晩仕事で遅くに帰ってきていたし、連休前の昨日の夜だって家に書類を持ち帰って徹夜で仕事をしていたのを高耶だって知っている。
朝起き出した高耶に、疲れた顔をした直江がコーヒーを入れてくれた。出かけるのは何も今日じゃなくてもいいと言ったのだが、今日じゃないとと言って仮眠を取ってから昼過ぎに出発し、疲れているだろうに天気が良いから海に寄りたいと言った高耶の我が侭を聞いてくれた。
「さっさと行こうぜ。日が暮れちまう」
「そうですね」
エンジンが掛かったままだった車の助手席に乗り込むと、高耶はシャツの襟元をぱたぱたと煽いで、エアコンの涼しい空気を中に入れた。
「すっげー外暑かった。砂も焼けてて裸足じゃ痛いくらいだったし」
「今日は猛暑日ですからね。日焼け、してませんか?」
運転席に乗り込んだ直江が、シートを調節しながら聞いてくるのに高耶は頷いた。
「たぶん大丈夫。そんなにいたわけじゃないし」
「気をつけて下さいね?あなたの肌はあまり日に当たると熱を持ったりするから・・・」
「・・・オレはそんなに柔じゃねえぞ」
むぅと口を尖らせて言う高耶に笑みを向けると、直江は車を走らせる為にギアをドライブに入れた。

「・・・さん、高耶さん。着きましたよ」
「ぅ・・・ん・・・」
直江に肩を揺さぶられて、心地よい眠りの底を漂っていた高耶は覚醒するために浮上した。
着くまで起きていようと思っていたのに、直江の運転につい眠りを誘われてしっかり熟睡してしまっていたらしい。
「・・・わり、寝ちまった・・・」
目を擦りながら言う高耶に、直江は苦笑した。
「昨日私に付き合って遅くまで起きてましたからね。やっぱり午前中、一緒に眠れば良かったですね」
「・・・オレが一緒にベッドに入ったら、おまえ寝ないだろうが」
「それは否定しません」
ジト目で言ってくる高耶に、直江は即答した。
確かに、ひとつのベッドに高耶といて何もしないなんて直江にはできそうにもない。ただでさえ、休みをもぎ取るのに仕事を詰めていて高耶と触れ合う時間が少なかったのだから、それは仕方ない事だと許して欲しい。
「・・・やっぱり一緒に寝なくて正解だ」
真面目な顔をして即答した直江に、高耶は呆れた様に言うとバッグを片手に車からさっさと降りてしまった。

夕方になっても暑さはさほど変わらない。ましてや、ここ松本は暑さの厳しい土地だ。夜になっても冷えない熱は、内へと篭り熱帯夜となる。
懐かしい暑さに微かに笑みを浮かべると、高耶は伸びをして胸いっぱいに空気を吸い込んだ。
「やっぱ、こっちも暑ぃな」
「そうですね。でも標高が高いからか空気が淀んでなくてカラッとした暑さですね」
Tシャツに短パンなんていう軽装の高耶と違って、しっかりスーツを着込んでいる直江が暑さなんて微塵も感じていないような顔をして言うのに高耶は眉を顰めた。
「おまえ、休みの日までスーツなんてやめろよな・・・」
「何を言っているんですか。あなたのご家族に会うのだからちゃんとした服装を・・・」
「そういうことを公道で口にするな」
まるで親に高耶を下さいと言いに来たと言わんばかりの直江の台詞に、高耶はぴしゃりと言い含めた。ここはもう実家の近くであって、高耶の顔見知りも多いのだ。こんな事を知り合いにでも聞かれたら、家族が迷惑する。
「ほら、さっさと行くぞ。美弥が待ってる」
高耶に叱られてしゅんと項垂れた大きな男の背を押しながら、古いアパートの階段を2人は上った。

「お帰り、おにいちゃん!」
「ただいま。元気だったか?美弥」
狭い玄関で、2人ははしゃぐ妹に出迎えられた。手にしていたバッグを置いて、高耶が笑みを浮かべる。
「美弥はいつでも元気だよ。おにいちゃんこそ、夏バテとかしてない?」
「あぁ、今年はまだ大丈夫だ。暑さもまだそれほどでもないしな」
仲睦まじい兄妹を直江は目を細めて眺めた。
久々に会うからか、美弥が少し大人っぽくなった気がする。服装も、以前のような可愛らしいものではなく、どこかフェミニンな雰囲気のものに変わっているし、化粧気のなかった顔にはうっすらと化粧が施され、可愛らしい顔を引き立てている。
「ッ」
「・・・どこを見ていやがる」
衝撃を受けて視線を高耶に向ける。美弥を見ていたことに気づいた高耶が、握りこぶしを直江の腹に食い込ませていた。
「痛いですよ、高耶さん」
「変な目で美弥を見てるからだッ」
「私はただ、美弥さんが大人っぽい女性になったなと・・・」
嫉妬なのか、それとも単に兄としてかは分からないが、噛み付いてくる高耶に直江は苦笑した。
「あ、こんばんは、直江さん。こんな玄関先で話し込んじゃってすみません」
ぴょこんと頭を下げる美弥に、直江は微笑み返す。いつも思うが、高耶に似て礼節を守るしっかりしたお嬢さんだ。「こんばんは」と返した直江に、美弥も笑みを返してくれた。
「美弥!こんな奴に謝らなくてもいいぞ!おまえを変な目で見るような変態だ」
「ちょっとおにいちゃん!お世話になってる直江さんに何て事言うの!」
妹に叱られて、高耶がむくれる。
それを見ていた直江は、そろそろ辞そうと一歩下がった。
「それでは、私はこれで」
「え?うそ、帰っちゃうんですか?」
「えぇ。今日から23日まで、高耶さんをお願いしますね」
最初から、今年の休みの前半は高耶を家族の元へ帰省させるつもりだった。毎年、この時期は直江が高耶を独占してしまっていて、誕生日を家族と触れ合う機会が少ない事に、多少なりとも罪悪感を抱いていた事もある。
「・・・もう帰る、のか?」
見上げてくる高耶が淋しそうなのに、直江は喜びを覚えた。こんなにも愛されているのだから、たまには彼を家族の元へ戻してあげなければ。
「はい。誕生日をご家族でゆっくり過ごして下さい。24日に迎えに来ますね」


夜遅くになって東京のマンションへ戻ると、部屋がとてつもなく広く感じた。
電気を付けずにまっすぐ寝室へと向かう。
何も食べていなかったが、空腹よりもここ最近の仕事の疲れが一気に出たのか襲ってきた眠気に、直江は倒れこむようにベッドに横たわると、そのまま目を閉じた。
落ちていく意識の中で、最後に見た高耶の淋しそうな顔が浮かぶ。
(大丈夫・・・誕生日が過ぎたら迎えに・・・)
しばらく会えないのだから笑顔が見たかったな、と思いながら直江は意識を手放した。

それから高耶の誕生日まで、直江は仕事をして過ごしていた。
高耶のいない生活は、淋しい。高耶がいないと食事もまともに取らないし、睡眠も短い。こんな生活をしていると高耶が知ったら怒るに違いない。
(完全に仕事人間だな・・・)
書斎となっている一室でパソコンに向かいデータを打ち込みながら直江は溜息をついた。
だが、この生活も今日で終わりだ。朝起き抜けに、高耶に「お誕生日おめでとうございます」とメールを送った。返信はめったにしてくれないから来ないが、きっと明日迎えに来た直江に怒ったような顔をして、「ありがと」と言ってくれるに違いない。
気がつけば、昼近くまで仕事に没頭していて、コーヒーでも飲んで休憩を入れるかと立ち上がった時だった。
「ただいまー」
玄関が開く音と、いるはずのない人の声がする。
急いで玄関へ向かうと、そこには荷物を抱え靴を脱いでいる高耶がいた。
「・・・どうして」
「帰って来ちまった」
驚いた表情で高耶を見つめてくる直江に、高耶は少し俯くと照れくさそうにぼそりと言った。
どうして帰ってきてしまったのだろう。高耶の誕生日を家族と一緒に過ごさせる為に、独占欲の強い自分をやっとの思いで律して身を引いたというのに。
「もしかして・・・迷惑だった、とか?」
何も言わずに厳しい表情のまま見つめている直江を、おずおずと高耶が伺う。
「誕生日を祝ってもらわなかったんですか?」
昼前のこの時間にここにいるという事は、今朝あちらを発ったことになる。高耶の質問には答えず、直江は問いかけた。
「ちゃんと祝ってはもらった。昨日な」
昨日の夜、一日早いバースデーパーティを開いてもらった。
美弥や父と一緒に過ごし、ちゃんとプレゼントを貰ってケーキも食べた。楽しかった。お膳立てしてくれた直江に感謝した。だが、その場に一番祝って欲しい直江がいないのがとてつもなく淋しかった。そんな高耶の事を分かっていたのか、美弥が言い出したのだ。「今日帰りなよ」と。
「美弥に追い出されたんだよ。誕生日だってのに」
玄関を上がってリビングへ向かう高耶の後を直江も追う。リビングのソファにバッグを投げた高耶は、手にした紙袋の中から貰ったプレゼントらしき包みを取り出し、テーブルに置いた。
「これが美弥からだろ?こっちは親父。そして、これはおまえに土産」
そう言って、小さな包みを差し出す高耶に直江は近づいた。受け取って見てみると、それは可愛らしい包装のされたクッキーだった。
「あの貝殻、おまえが小さいビンに入れてプレゼントしたらって言ってわざわざ買ってくれただろ?美弥、すげー喜んでさ。おまえにもお礼をしたいからって、クッキー焼いてくれた」
結構イケるぞ?と言いながら手の中を覗き込む高耶を、直江は堪らず抱きこんだ。
「どうして帰ってきてしまったんですか。あなたをご家族と過ごさせようと、俺がどれだけ・・・っ」
「・・・家族もいいけど、一番祝ってもらいたいのは、直江・・・おまえだよ」
直江が言い募るのを、高耶は止めた。力強く抱き込む直江の胸に頬を寄せる。家族に祝ってもらうのもとても嬉しいが、そこに直江がいないのでは嬉しさも半減だ。自分が生まれた事を一番喜んでくれているのは直江なのだ。その直江に誕生日当日に会えないなんて嫌だったから、美弥の勧めに素直に従った。
「祝ってくれるだろ?オレの誕生日」
腕の中から見上げてくる高耶に、直江はこの人には敵わないなと思いながら笑みを返した。
「・・・当たり前でしょう?俺に、あなたが生まれてくれた事を感謝させて下さい」
プレゼント、期待して下さいね。
そう耳元で囁く直江の声を聞きながら、高耶はいろんな事に感謝した。

――ありがとう。

生んでくれてありがとう。祝ってくれてありがとう。そして、直江と祝えるこの時に一番の感謝を。





お誕生日おめでとう!



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