皆既日食 高耶の誕生日を有する週、直江は毎年有休を取る。 少し早い夏休みだ。高耶への誕生日プレゼントを兼ねてどこかへ旅行に行く事もあれば、自宅でのんびり過ごす事もある。 毎年、誕生日の数ヶ月前になると高耶の希望を聞いているのだが、「今年はどうしましょうか」と直江が訊ねてみると、高耶は「皆既日食が観たい」と、その漆黒の瞳を輝かせながらそう言った。 誕生日前日にある皆既日食の事を、高耶は随分と前から楽しみにしていた。 例え自分の誕生日であっても、滅多にワガママを口にしない高耶からの要望だ。 それなら皆既日食帯に在る南方の島への旅行を、と俄然張り切った直江の計画は、倹約家な高耶の「もったいないからダメだ」の一言で却下された。 「ここでも部分日食が観られるだろ?それで充分だ」 恥ずかしそうな表情を浮かべてそう告げた高耶のその言葉は、直江と家でのんびり過ごしたいという願いに他ならない。 あまり欲の無い高耶だが、いつもは「わざわざ仕事を休むな」と直江に苦言を呈する高耶が、今年は一緒に皆既日食を観たいとそう願ってくれたのが嬉しかった。 日食は二十二日の午前中、二時間ほどを掛けて進む。 高耶があれほど楽しみにしていたのだ。綺麗に晴れてくれるのを願っていたが、都心は朝から生憎の雨で観測不能になってしまった。 「・・・残念でしたね」 二人で暮らすマンションの窓の外。 雨雲と部分日食とで少し薄暗い空を見上げ、隣で同じように空を見上げている高耶にそう告げる直江の声が、空以上に暗くなってしまっている。 いくら直江でも、天候はさすがにどうする事も出来ず、滅多に無い高耶の願いを叶えてあげられなかったのが残念だった。 落ち込んでいる直江に気付いたらしい高耶がふと苦笑する。 「まぁ、雨じゃ仕方ねぇよ。南の方は晴れてる所もあるみたいだから、テレビ中継とかで見られるんじゃねぇかな」 そう言った高耶が窓の側を離れ、リビングの中央に置かれたソファに歩み寄った。その側、テーブルの上に置かれていたリモコンを手にし、テレビをつける。 「あ、中継やってる」 そのままソファに座った高耶が観るテレビには、皆既日食帯に在る島からの中継なのだろう。今まさに日食が進む様が映し出されていた。 ゆっくりと、太陽が月に侵食され欠けていく。 非日常なその光景はテレビ越しの映像でさえ幻想的に見え、実際に見られないのが残念だと直江は思った。 直江でさえそう思ったのだ。あれほど楽しみにしていた高耶はもっとだろう。 ソファへと歩み寄り、高耶の隣に座る。 そうして高耶と共に太陽が欠けていく映像を見ながら、やはり南の島へ旅行に行けば良かっただろうかと後悔していると、大きく溜息を吐いた高耶がソファの背に深く凭れた。 それに気付いた直江が高耶へと視線を向ける。 「・・・あのな」 テレビから視線を逸らさないまま、高耶が小さく呟く。 「確かに、日食観るのすげぇ楽しみにしてたけどさ」 太陽が完全に覆われたのだろう。テレビから聞こえる歓声に高耶の静かな声が重なる。 「お前とこうしてのんびり過ごすのだって、オレはすげぇ楽しみにしてたんだ。だから」 そこで言葉を区切った高耶が、見つめる直江にチラと視線を向ける。 「・・・そんなに気にすんな」 ぼそぼそと恥ずかしそうに告げられたその言葉が嬉しく、そして、堪らなく愛しい。 どうやら顔に出ていたらしい。いい大人のくせに、高耶に気を遣わせた自分に苦笑する。 (敵わないな・・・) こういう時、いつも思う。年齢的に年上なのは直江だが、精神的に大人なのは高耶の方だ。 「・・・ありがとうございます」 小さく笑みを浮かべて礼を言う。すると、そんな直江の肩に、高耶のこめかみがそっと当てられた。 「礼を言うのはオレの方だ・・・」 高耶の声が直江の肩に響く。 「毎年、仕事を休んで祝ってくれてありがとう・・・」 殊更小さく告げられたその言葉と、肩に伝わる高耶の温もりが愛おしい。 高耶の身体に腕を回し、僅かに引き寄せる。その黒髪に顎を埋めた直江は小さく苦笑した。 「俺の我侭なんですよ。一年に一度しかないあなたの誕生日にあなたを独占したい。俺だけを見ていて欲しい。そんな、子供みたいな我侭なんです」 直江のその言葉に、高耶が小さく笑う。 「何だよそれ」 「あなたの誕生日に、あなたをこうして独占出来て幸せだって事ですよ」 直江も小さく笑ってそう告げ、高耶を抱く腕を強めた。 たとえ僅かな間でも。 太陽を覆い尽くす月のように、高耶を世間から覆い隠しているこの時間が、直江にとっては例えようも無く幸せな時間なのだ。 「・・・オレだって」 高耶のしなやかな腕が直江の身体にそっと回される。 「こうしてお前を独占出来て幸せだ・・・」 そうして聞こえて来た、高耶の小さなその声が愛しくて堪らない。 高耶の頬に手を沿え、その顔を上げさせる。だが、恥ずかしそうに直江から視線を逸らしている高耶を見た直江は、その顔にふと柔らかな笑みを浮かべていた。 「高耶さん」 そっと名を呼び、その唇に口付ける。 「一日早いですが、お誕生日おめでとうございます」 囁くようにそう告げる。 すると、高耶の印象的な漆黒の瞳がゆっくりと直江を捉えた。その瞳がふわりと柔らかく緩む。 「・・・ありがとう、直江」 嬉しそうに告げられた高耶のその言葉と、祝っているこちらが幸せになってしまう程の笑みを見せられた直江は、堪らずその身体をきつく抱き締めていた。 (こちらこそ・・・) 感謝しなければならないのはこちらの方だ。 独占したいという直江の我侭を叶えてくれる高耶が愛おしい。 「こちらこそ、生まれてきてくれてありがとう。高耶さん・・・」 こんなにも愛おしいこの存在が、手の中にあるこの奇跡に感謝を―――。 |