2010年高耶BD NO 中庭を臨む廊下に、柔らかな木漏れ日が降り注いでいる。 足元でゆらりゆらりと揺れるそれに、漆黒の瞳を柔らかく細めながら歩く高耶が手にする小振りな盆の上。水滴を纏うコップに注がれている麦茶が僅かに水面を揺らす様は、見ているだけで涼やかだった。 うだるような暑さが続いているが、境内に緑が多いからだろう。木漏れ日の下に居ると、最も暑くなるこの時刻でも随分と涼しく感じられる。 栃木にあるこの光厳寺は直江の実家だが、高耶にとっても居心地の良い場所だ。 数日前、父が倒れたと長兄である照弘から連絡が入った時は、息が止まるかと思う程に驚き心配したが、ただのギックリ腰だったのは不幸中の幸いだった―――と、高耶はそう思ったのだが、長兄や次兄から、動けない父の代わりを命令されたという直江はそうではなかったらしい。 ―――あなたの誕生日を一緒に過ごせなくなりますから。 数日後に迫っていた高耶の誕生日を高耶以上に楽しみにしていたからだろう。そんなとんでもない理由で父の代理を断ろうとしていた直江を、「オレも一緒に行くから」と宥めすかして説得したのは高耶だ。 それ以来、ここでレポートを書いたり寺の雑務を手伝ったりして毎日を過ごしているのだが、大学が夏休みに入っていて本当に良かった。 でなければ、高耶を一番に考えて行動する直江の事だ。高耶が一緒に行くと言わなければ、本気で断っていただろう。 本堂へ続く廊下の角を曲がる高耶から、ふぅと小さく溜息が零れ落ち、その口元に小さく苦笑が浮かぶ。 いい大人のくせにあんな我侭を言うなんてと呆れはするが、嬉しく思ってしまうのも事実だ。 あまり直江を甘やかさない方が良いと経験として知ってはいるが、高耶の言いつけを守り、父に代わって本尊前で回向しているだろう直江は、着ている袈裟掛けも相まってかなり暑いはず。 (直江まで倒れたら大変だからな) 心の中でそう言い訳しつつ、直江にと用意した麦茶を手に本堂へと向かいながら、直江の袈裟掛け姿を脳裏に思い浮かべた高耶の頬が僅かに染まる。 普段はスーツを身に纏う事が多い直江だ。日本人離れした身長を持つ事もあり、似合わないのではと思っていたが、さすがは寺の息子と言うべきだろうか。袈裟掛け姿があんなにも似合うとは思ってもいなかった。 不覚にも胸高鳴らせてしまったのだが、当の直江にこの事は黙っておいた方が良いのだろう。 ただでさえ甘やかしている状態なのだ。これ以上付け上がらせるのは不味い。 本堂まであと少しの距離まで来たというのに読経が聞こえないと思っていたら、ちょうど法要が終わった所だったのか、にこやかな笑みを浮かべる直江が本堂から姿を現し、「失礼します」と障子を閉め終わった途端、細長く溜息を吐く。 「お疲れ」 まだ檀家の人々が残って居るのだろう中に聞こえないよう小さくそう声を掛けると、疲れた表情を浮かべていた直江の顔に笑みが浮かんだ。 「高耶さん」 「暑かっただろ。麦茶、持って来てやったぞ」 「ありがとうございます。ちょっと行儀が悪いですが、今ここで頂きますね」 手に持っていた盆を軽く掲げて見せると、暑さと読経で喉が渇いていたのだろう。法衣の袖を払った直江がさっそくコップに手を伸ばして来た。 直江が麦茶を飲む姿など何度も見ているはずなのに、着ている袈裟掛けのせいだろうか。喉を鳴らして麦茶を飲むその姿に見惚れてしまう。 「ありがとうございました。生き返りました」 溜息を吐きながら空になったコップを高耶が持つ盆の上に戻していた直江が、直江を見つめたまま動かない高耶を不思議に思ったのだろう。小さく首を傾げる。 「・・・高耶さん?」 「な、何でもねぇよ」 視線を逸らしながら慌ててそう誤魔化したのだが、見惚れていた事に気付かれたのだろうか。手に持っていた盆が奪い取られ、近くにあった飾り棚の上にそれを置いた直江に手を掴まれた高耶は、気付けば本堂の隣にある部屋へと連れ込まれていた。 「おい、直・・・ん・・・っ」 控え室になっているのだろうか。誰も居ない部屋の中、後ろ手に障子を閉めた直江が、高耶の身体を抱き込み、そのまま口付けて来る。 すぐ隣の部屋に檀家の人々が居るのだ。 「ゃめ・・・っ」 「嫌です。頑張ってるんですから、キスくらいさせて下さい」 「な・・・っ、んぅ・・・っ」 首を振って逃げるも、小さな声で褒美を要求する直江の唇に、すぐさま熱く塞がれてしまった。 高耶の身体を包み込む直江の身体から、いつもとは違う線香の香りが漂い、薄っすらと瞳を開けた先に居る直江の袈裟掛け姿に興奮してしまう。 「ん・・・っ、ぁふ・・・っ」 拒絶しなければと思うのに、唇の隙間から侵入した直江の舌先に口腔内を探られる高耶から甘い吐息が零れ落ちる。 高耶の目の前にある直江の胸元。駄目だと突っぱねる為に置かれたはずの高耶の手は、だが、高耶の意思に反し、そこを押し返そうとはしなかった。 口付けを受ける高耶の身体から徐々に力が抜けて行き、意思までも陥落しそうになったその時。 「義明さん、どこに居るの?」 「・・・っ」 少し遠くから直江を探す直江の母の声が聞こえ、ハッと我に返った高耶は慌てて口付けから逃れる。 「・・・呼ばれてるぞ。行って来い」 与えられる口付けにうっとりと酔っていた自分が恥ずかしい。それを誤魔化すように睨み上げると、もう口付けは許されない事を悟ったのだろう。「分かりました」と残念そうに苦笑する直江と視線がぶつかった。 「・・・そうだ。明日は休みを貰いましたから、どこかに出掛けましょうね」 高耶の濡れた唇を拭う直江からそう言われ、驚いた高耶の瞳が僅かに見開く。 「・・・忙しいのに休んだりして大丈夫なのか?」 「明日はあなたのお誕生日でしょう?それに、休めと言われたんですから大丈夫ですよ」 鳶色の瞳を柔らかく細める直江からそう言われ、直江の家族から直江との時間をプレゼントされたと知った高耶の頬が僅かに染まる。 そんな高耶を見て笑みを深めていた直江が、何を思い付いたのか、内緒話でもするように高耶の耳元に唇を寄せて来る。 「・・・明日は休みですし、今夜はこの姿で抱いてあげましょうか」 「な・・・っ」 袈裟掛け姿に興奮していた事を気付かれていたのだろう。直江から低く囁くようにそう告げられた高耶の顔がさらに羞恥に染まる。 「・・・絶ッ対イヤだ」 そんな罰当たりな事出来るわけが無い。羞恥と怒りで今にもグルグルと唸り出しそうな高耶がそう告げると、高耶をからかって楽しんでいるのだろう。 「おや、いいんですか?」 ひょいと器用に片眉を上げた直江からそう返された。 余裕綽々なその態度が忌々しい。高耶の眉間に深い皺が刻まれる。 「・・・っ、さっさと行きやがれッ!この生臭坊主・・・ッ!」 まだ檀家の人たちが居るかもしれないと、小さいながらもそう叫ぶと、「はいはい」と小さく笑う直江が部屋の障子を開けた。 「ここですよ、お母さん」 再び聞こえて来た母の呼び掛けにそう応える直江の後姿を見送りながら、高耶は盛大な溜息を吐く。 (けど・・・) この姿で迫られたらNOとは言えないかもしれない。 「・・・っ」 直江に続いて部屋を出ながらそんな事を考えてしまった高耶は、それから数日間、襲われる自責の念から、本尊の前に顔を出す事が出来なかった。 |