2011年直江BD 小さなぬいぐるみと缶コーヒーと 都心から程近い場所にある上杉動物園は、休日ともなると、たくさんの親子連れで賑わう人気スポットだ。 寒さが厳しい冬の間を除き、園の営業時間を動物たちが活性化する夜間まで延ばしている事でも知られ、大人の隠れたデートスポットにもなっている。 さすがはGWと言った所だろうか。親子連れやカップルで賑わう園の一角。 ライトアップされているホワイトタイガーの舎屋から、少し離れた場所に設置されていた木製のベンチに腰掛けた直江は、大きく溜息を吐きながら、身に纏うスーツの内ポケットから携帯電話を取り出した。電話を掛けようと小さな画面に視線を落とした所で、ふとその動きを止める。 (・・・酷い顔だな・・・) ベンチに座る直江の目の前。 ホワイトタイガーの舎屋を照らす照明の色が、少し青いせいもあるのだろう。まだ何も映し出されていない液晶画面に映る自分の顔は、いつに無く疲れて見え、それに気付いた直江は手にした携帯電話から視線を逸らしていた。ベンチの背に深く凭れ、再び小さく溜息を吐く。 直江の誕生日である今日、共に過ごす予定だった女に振られてしまった。 夜の動物園に行きたいなんて、派手な容貌に似合わず可愛らしい事を言った彼女と共に過ごしていた時、ホワイトタイガーの舎屋前に差し掛かった所で掛かって来た別の女からの電話に出たのが不味かったのだろう。 ―――・・・相変わらず最低な男ね。 直江の誕生日を共に過ごしたいという女からの申し出を断っている最中、険しい表情を浮かべてそんな言葉を言い残した彼女は、その場に直江を置いて帰ってしまっている。 彼女は恋人でも何でもない。 互いに割り切った関係だと思っていたが、誕生日を共に過ごしたいと誘った事で勘違いさせてしまったのだろう。 先ほど申し出を断ったばかりの女に電話しようかとも思ったが、これから呼び出して会うのは面倒だった。 誕生日を一人で過ごすのは何年ぶりだろうか。 こんなにも惨めな気分にさせられたのは久しぶりだと、僅かに俯く直江が大きく溜息を吐いていると、そんな直江の視界の隅に、使い古されたゴム長靴が映り込んだ。 顔を上げた直江の視線の先。 (何だ・・・?) 青い繋ぎを身に纏い、怒ったような表情を浮かべる若い男から見下ろされた直江は、小さく眉を顰めていた。 すぐそこに舎屋があるホワイトタイガーの飼育係なのだろう。彼の胸元、ホワイトタイガーの形をした可愛らしいネームプレートには、『仰木高耶』の文字。 閉園まではもう少し時間があるはずだ。その証拠に、ホワイトタイガー舎屋の周辺には多くの人が集まっている。 飼育係が何の用だろうかと訝しがる直江の目の前。物言わない彼からおもむろに、小さなホワイトタイガーのぬいぐるみと缶コーヒーを差し出された直江は、小さく首を傾げていた。 「あの・・・?」 「・・・今日、アンタの誕生日なんだろ?」 どうやら女に振られた場面を見られていたらしい。そう言われた直江は僅かに俯き、小さく自嘲の笑みを浮かべる。 同情されたらしい自分が情けない。 無視しようかとも思ったが、純粋な善意を無下にするのはさすがに大人気ないだろう。 「・・・ありがとうございます」 手触りの良いぬいぐるみと暖かいコーヒーを受け取った直江が、小さく苦笑しながら一応の礼を告げると、それを受けた彼は、にこりともせずに踵を返した。 振り向く事無くホワイトタイガーの舎屋へと戻る彼の背中を、無愛想な人だと思いながら見送る直江の視線の先。 「・・・掃除が終わったら遊んでやるから待ってろって」 舎屋へと歩み寄る彼に気付いたホワイトタイガーたちへ、ふと柔らかな笑みを向ける彼の横顔を見た直江は、あんな顔も出来るのかと僅かに驚く。 舎屋の中へと消えた彼の背中を見送った後。彼から貰ったぬいぐるみと缶コーヒーに視線を落とす直江は、自分でも気付かない内に小さく笑みを浮かべていた。 わざわざ買って来てくれたのだろう。手の中にある缶コーヒーは熱く感じる程に暖かく、手の平に収まる程に小さなぬいぐるみは、良い大人という年齢に達している直江には、不釣合いな程に可愛らしかった。 (・・・仰木、高耶・・・) 先ほどまで荒んでいた胸が温かくなるのを感じる直江は、ぬいぐるみと缶コーヒーを片手に、座っていたベンチから立ち上がる。 ここに来ればまた彼に会えるだろうか。 そんな事を考えた自分に少し驚きながらゆっくりと歩き出す直江は、小さく笑みを浮かべたまま、未だ人で賑わう動物園を後にした。 * 眠る前になって、愛嗜しているタバコが切れている事を思い出した。 財布と携帯、それから家の鍵だけを手に持ち、少し肌寒いからとカーディガンを羽織って自宅を出た直江は、近所にあるコンビニへと足を向ける。 五月も終わりを向かえ、そろそろ梅雨入りするのだろう。ふと見上げた空は曇に覆われており、都会では貴重な星どころか、月すらも見る事は出来なかった。 深夜のコンビニだ。店員だけで客は居ないだろうと思っていたが、商品が粗方捌け、淋しくなっている弁当の棚の前。見知った横顔を見止めた直江は、レジへ向かおうとしていた足をふと止めていた。 鳶色の瞳を僅かに見開く直江の視線の先。 どれにしようか迷っているのだろう。眉間に軽く皺を寄せて棚を睨んでいるその人物は、自分の記憶が確かならば、誕生日に動物園で会った飼育係の彼ではないだろうか。 「・・・仰木、高耶さん?」 こんな所でまた会えるとは思ってもいなかった。 レジへは向かわず、弁当の棚へと歩み寄りながら声を掛けた直江に対し、振り向いた高耶が訝しそうな表情を浮かべる。 一瞬、直江が誰だか分からなかったらしい高耶は、だが、直江の手にある鍵に小さなホワイトタイガーのぬいぐるみが付いている事に気付き、それを見て思い出してくれたのだろう。すぐにその表情を和らげてくれた。 「あぁ、アンタか」 覚えていてくれたのかと嬉しく思う直江は、その顔に柔らかな笑みを浮かべて見せる。 「直江と言います。先日はありがとうございました」 自分ばかりが名前を知っているのは不公平だろう。 そう思った直江が、名乗った上で再び感謝の言葉を口にすると、それを聞いた高耶は「いや」と返しながら苦笑した。 「似合わないもん贈っちまって悪かったな」 手に持つぬいぐるみに視線を向けていた高耶からそう告げられ、直江もふと小さく苦笑する。 良い年齢に達している直江に、可愛らしいぬいぐるみは確かに似合わない。 だが直江は、プレゼントを贈ってくれた高耶のささやかな心遣いが嬉しかったのだ。 それに、このぬいぐるみを付けるようになってからというもの、恋人志願する女性たちを遠ざける事が出来ている。 「いえ、嬉しかったですよ」 色素の薄い髪を揺らす直江がそう告げると、高耶は「なら良かった」と、ホッとしたような笑みを小さく浮かべて見せてくれた。 「余計なお節介だったかなって、ちょっと後悔してたんだ」 そうも告げられ、そんな事は無いと笑みを深める直江が首を振ると、漆黒の目元を緩める高耶がふと視線を逸らす。 「この近所に住んでいるんですか?」 もう少し高耶と話をしたい。 そう思う直江が、再び弁当を選び始めた高耶へそう訊ねてみると、弁当の棚から視線を逸らさない高耶から、「あぁ」と頷き返された。 「すぐそこにでっかいマンションが建ってるだろ?その側」 何という偶然だろうか。 「奇遇ですね。そのでっかいマンションの最上階が私の家です」 高耶が自宅の近所に住んでいる事を知り、嬉しく思う直江がそう返すと、弁当の棚へと向けられていた高耶の視線が直江へと戻って来た。 そうして、高耶の印象的な漆黒の瞳と見つめ合う事しばし。 「つくづく嫌味な野郎だなお前」 ぷっと小さく吹き出した高耶から何故か、そんな事を言われてしまった。 「じゃあな」 弁当を一つ手に取った高耶がレジへと向かおうとする。そんな高耶を「待って下さい」と引き止めた直江は、高耶が手に持っていた缶コーヒーをするりと抜き取った。 「これ、奢らせて下さい。あの時のお礼です」 柔らかな笑みを浮かべてそう告げた直江に、高耶が嬉しそうな笑みを浮かべて返す。 「サンキュ」 無愛想な人だと思っていた高耶から笑みを向けられ嬉しく思う直江は、レジへと向かいながら、高耶にまた会う機会があれば良いと願っていた。 |