Ceremony







駅から徒歩五分。
周囲に近代的な高層ビルが立ち並ぶ中、洋館を思わせる佇まいを見せる北条国際ホテルは今年創業百周年を迎える老舗ホテルだ。
日本のみならず、世界にその名を轟かせる北条グループホールディングスが所有するこのホテルは、国際的な会議にも用いられる事で知られているが、意外にも自社開催のパーティで使われた事は数える程しか無いらしい。
北条グループがこれ程までに大きくなる足掛かりとなったホテルだから、創業者の思い入れが強いのだろう。自社での使用は大切なセレモニーの際のみと決められているのだそうだ。
全国的に初夏を思わせる陽気となったゴールデンウィーク初日。百周年セレモニーの為だけに特注したフォーマルなスーツに身を包んだ男が、夕日が差し込むモダンな雰囲気漂うホテルのロビーを足早に通り過ぎていく。
斜陽に煌く髪はまるで金色のように見え、モデル並みのスタイルの良さと彫りの深い顔立ちは異国の血を思わせるが、男は生粋の日本人であり、生家は由緒正しい仏閣だ。
育ちが育ち故にそうそう取り乱す事の無い男であるが、今ばかりは相当焦っていた。
セレモニー開始まで時間が無いというのに姿を消した主を探しているのだ。
主は今回のセレモニーの主催者だ。さすがにホテルの外には出ていないだろうという男の予想に反し、奔放な主は専属ハイヤーで今まさにホテル前へと乗り付けたらしい。
ホテル前に止まった黒塗りの車から降りて来る主の姿を見止めた男は、内心盛大に舌打ちしながらコンシェルジュの元へ向かおうとしていた足をそちらへと向けた。
「幻庵様!」
外へと続く自動ドアが開くや否や主の名を呼ぶと、眉間にこれでもかと皺を寄せて詰め寄る男を見た幻庵が、しまったという表情を浮かべて見せる。
「今までいったいどちらへ・・・っ」
「理由を説明するから少し待て、直江」
今までいったいどこに行っていたのかと説明を求めようとする直江に対し、片手を上げて制する幻庵はそう言い置き、車の後部座席へと視線を向けた。
「高耶」
直江が幻庵の第一秘書になって久しいが、幻庵のその声は初めて聞いたように思う。
心配しているような、愛しむような声。
幻庵のその声に応え、車の後部座席から一人の若い男が降り立つ。
丁寧に磨かれた黒塗りのハイヤーにも負けない漆黒の髪の持ち主だ。身に纏うスーツは幻庵お気に入りのテーラーで見立てられたものだと一目で分かる。
スーツのおかげかもしれないが、凛とした雰囲気を持つ人物だ。年齢こそ若いようだが、年不相応な落ち着きを見せている。
僅かに俯いていた彼がゆっくりと顔を上げ、途端、直江の鳶色の瞳と彼の漆黒の瞳が大きく見開かれた。
「・・・なんだ。二人とも知り合いか?」
幻庵のその声で二人揃って我に返る。
知り合いと言えば知り合いだが、直江は彼の名前をたった今知ったばかりだ。知り合いと言って良いのだろうかと逡巡する直江に対し、直江の名前も住所も知っているはずの彼―――高耶は、「いいえ」と首を振って見せた。
愕然とする直江に向き直った高耶が、初めて会った訳ではない直江に対し、「初めまして」と他人行儀な挨拶を向けて来る。
「仰木高耶です」
直江が彼に初めて会ったのは二ヶ月前。冷たい雨が降る初春の夜だった。
ずっと彼の名前を知りたいと思っていた。名前すら聞けないまま直江の前から姿を消した彼の事を心配していた。
それがこんな形で再会する事になろうとは―――。
「仰木高耶、さん」
もう二度と会えないのだろうと思っていたのだ。
会えて嬉しいと思う直江の鳶色の瞳がふと和らぐが、対する高耶の漆黒の瞳は冷たささえ纏っているようだった。
(高耶、さん・・・?)
戸惑う直江を余所に、スッと逸らされた高耶の視線が傍らに立つ幻庵へと向けられる。
「・・・急がないといけないのでは?」
「おお、そうだった!」
高耶の言葉にハッとさせられたのは幻庵だけではなかった。姿勢を正す直江は、思わぬ再会に秘書としての役割を忘れていた自分を叱咤する。
久しぶりに会ったのだ。高耶に尋ねたい事は多々あるが、今はセレモニーを無事に終わらせる事が先決だ。
「こちらです。お急ぎ下さい」
北条グループ内でも最も優秀と謳われる秘書へと瞬時に戻った直江は、幻庵と高耶を伴い、ホテルのセレモニー会場へと向かった。




そのセレモニー会場で驚くべき発表がなされた。
仰木高耶、二十二歳。
都内の大学をこの春に卒業したばかりだが、北条グループの次期社長であると、現社長の幻庵より告げられたのである。
(・・・騒然、といったところだったな)
第一秘書の直江ですら知らされていなかった。
『仰木高耶を次期社長に』とは、数年前に他界した会長・氏康の遺言らしいが、現社長の幻庵には二人の実子がいる。
高耶とて幻庵との血の繋がりが無い訳ではない。幻庵の実妹の子であり、れっきとした甥なのだという。
実子を差し置いて甥である高耶が跡を継ぐ事は、家族間では既に納得尽くだと幻庵は言っていたが、周囲の思惑もある。今後後継者争いが荒れに荒れるのは必然ではないだろうか。
「高耶様」
セレモニー終了後、押さえてあったホテルの最上階にあるスイートルームへと高耶を案内した直江は、窓際へ足を進める高耶の背中に声を掛ける。
二人きりになっても高耶の態度に変化が見られないのは、自分との事を無かった事にしたいのかもしれない。
「幻庵様より高耶様のサポートを仰せ付かりました、第一秘書の直江信綱と申します。これから宜しくお願い致します」
主が無かった事にしたいのであれば、それに従うのが秘書の務めだ。
「仕事はもちろん、身の回りのお世話も仰せ付かっております。お困りの事があれば何なりとお申し付け下さい」
直江の言葉が聞こえているだろうに、夜景を前にする高耶は微動だにしない。
幻庵お気に入りのテーラーは、今回も良い仕事をしている。洗練されたスーツが高耶のスタイルの良さを際立たせており、その後姿は帝王の如き威圧感すら直江に覚えさせた。
高耶は生まれながらにして人の上に立つ器なのかもしれない。
内心ほぅと感嘆の溜息を吐く直江は、未練がましく辞そうとしない自分を叱咤する。
「・・・明日の朝九時に参ります。それまでゆっくりとお休み下さい」
高耶の背中へとそう声を掛け、踵を返そうとした時だった。
「直江」
高耶が直江の名を呼んだ。
少し声が震えているだろうか。直江が返事をするより前に、高耶の声が続く。
「オレが次期社長だと知ったのはいつだ」
そう問い掛けて来る高耶の真意を図りかねたが、素直に「つい先ほどです」と答えると、すぐさま「うそだ」という思いもよらない言葉が返って来た。
高耶に嘘を吐く必要など直江には無い。
「嘘ではありません。私は本当に先ほどのセレモニーで・・・」
「うそだ・・・ッ」
本当の事だと再度主張しようとした直江の言葉を、声を荒げた高耶が遮った。それに驚いた直江は続く言葉を飲み込む。
そんな直江の視線の先。ゆっくりと振り返った高耶は、見ているこちらが辛くなるような自虐的な笑みを小さく浮かべていた。
「おまえは幻庵さんの第一秘書なんだろ?オレが次期社長だって知っていたはずだ」
高耶の口調が素に戻っている。
やはり高耶は彼なのだと実感するよりも先に、高耶はいったい何を言おうとしているのだと胸騒ぎを覚える直江の前で、高耶の自虐的な笑みが徐々に姿を消していく。
「全部知った上で、あの夜おまえはオレを拾ったんだ」
「・・・ッ、違います!」
唸るように告げられた高耶のその言葉で、高耶が何か勘違いをしている事にようやく気付く。
高耶が次期社長だと知っていた訳でも、自分が幻庵の秘書だという事をあえて黙っていた訳でもない。
あの時、高耶の前にいた自分は本当にただの一人の―――。
急いでそう説明したが、高耶は信じてはくれなかった。
「そんなの信じられる訳が無いだろう・・・ッ!」
そう叫んだ高耶の漆黒の瞳が、見る間に侮蔑の色を纏う。
「・・・おまえを信用したオレが馬鹿だった」
高耶から低く告げられたその言葉は、高耶との間に多少なりともあっただろう信頼関係が、完全に崩れてしまっている事を直江に教えてくれた。








ん、誕生日祝ってませんね。
申し訳ない。確信犯です。←