15万打お礼SS 犬と過ごす夏 イルカが誕生日を迎えた頃から始まった梅雨がようやく終わり、蒸し暑い夏が今年もやってきた。 日差しは厳しいが、イルカが勤めるアカデミーの中庭には見上げるような大樹がいくつか生息しており、木陰に入れば随分と涼しく感じる。 その涼しい木陰にしゃがみ込んで作業をしていたイルカは、青い空に映える白い雲を遠くに見ながらゆっくりと立ち上がった。肩に掛けたタオルで額に浮かんでいた汗を拭い、視線を足元へと落とす。 そのイルカから、大きな溜息が一つ吐いて出る。視線の先にあるのは、この季節になると抜いても抜いても生えてくる雑草たちの逞しい姿だ。 (これ、終わるのか・・・?) すぐに終わるだろうと思い、授業終了後に始めた草むしりだったが、大樹をいくつか有するだけあって、中庭はイルカが思っていた以上に広かった。 どう考えても、受付業務開始時刻までに全ての雑草を抜き終わるとは思えず、少し困ってしまう。 誰かに頼まれたわけではない。だから、途中で放り出しても誰にも文句は言われないと思うのだが、イルカの性格がそれをするのを躊躇わせた。 受付業務開始まであと少し時間がある。もう少しだけ頑張って、終わらなければ明日もすればいいかと再びしゃがみ込んだ所で、イルカの背中にピタと誰かが張り付いた。それを感じたイルカのこめかみが、僅かにぴきと引き攣る。 振り返らなくても分かる。気付かれていないとでも思っているのか、すんすんと小さく鼻を鳴らし、イルカの匂いを嗅ぐ人間などこの世に一人しか居ない。 「・・・カカシさん」 「んー?」 「任務は終わったんですか?」 「うん」 「報告は?」 そう訊ねた所で、カカシの鼻を鳴らす音がぴたりと止まった。 「・・・まだ、です・・・」 小さく告げられたその言葉に、ゆっくりと振り返る。もちろん、滅多に見せない満面の笑みを浮かべてだ。 振り返った先。そんなイルカの笑顔を見てビクリと身体を震わせたカカシが、その唯一見せている蒼い瞳をうるうると潤ませ始める。 カカシの、くぅんと鳴き声さえ聞こえてきそうな可愛らしいその姿は、以前ならば、まぁ後でもいいかと絆されてしまうほどの威力を持っていた。しかしだ。 今のイルカはもう、カカシのそんな姿には慣れている。 報告書の提出がまだだと正直に言ったのは良い事だが、報告書の提出は忍にとって重要な責務の一つだ。疎かにしていい事では決してない。 「・・・行って来なさい」 笑みを消し、低くそう告げる。そうして、カカシの返事も聞かずに視線を手元に戻したイルカは、あちらこちらでその存在を主張する雑草を再び抜き始めた。そんなイルカの腹に回されたカカシの腕が、縋るように少しだけきゅっと強められる。 「・・・行かなきゃダメ?」 「駄目です」 「どうしても?」 「どうしても」 往生際悪く聞いて来るカカシにそう返しながらも、雑草を抜く手を止めないでいると、背後に居るカカシがスリスリと背中に擦り寄ってきた。 「報告書、イルカ先生に出したい・・・。イルカ先生に『お疲れ様でした』って言って欲しいもん。・・・ココで待ってたらダメ・・・?」 小さな声でそう告げられ、不覚にもイルカの胸がきゅうんと鳴った。手が一瞬止まってしまう。 最近のカカシは、態度だけでなく言葉でも訴えかける事を覚えたらしい。それに絆されては駄目だと分かってはいるのだが、イルカに『お疲れ様でした』と言って欲しいと言うカカシの言葉に、イルカの胸がこれでもかと擽られてしまう。 (上忍のくせに『もん』とか言うなよ・・・) むぅと唇を尖らせながらも、雑草を引き抜くイルカの頬が緩んでしまっている。見えてはいないだろうが、イルカの雰囲気が軟化した事にカカシは気付いているのだろう。ペタリと背に張り付いたカカシが、再度イルカの匂いを嗅ぎ出している。 仕方が無いと一つ溜息を吐く。 「・・・待ってていいですから。嗅がない」 「はぁい」 殊更嬉しそうなその返事に苦笑する。 (さっさと終わらせよう) その顔の殆どを隠しているからなのかは分からないが、暑いのが少々苦手なカカシだ。早く終わらせなければ、日陰とはいえこんな暑い所にいつまでも居たらバテてしまう。 それに、上忍としての任務が入っていたらしく、カカシは昨夜、イルカの家に来なかった。あまり眠っていないだろうし疲れてもいるだろうから、早く休ませたい。 「どうせなら手伝ってくれると・・・」 ありがたいんですけど、というイルカの言葉は、背後から上がったいくつもの音に掻き消えた。 何の音だろうとイルカが振り返った先。 「な・・・っ」 背中にベッタリと張り付いたままのカカシ以外に、何人ものカカシがそこに立っており、それを見たイルカの瞳が驚きに見開かれる。 昨夜からの任務で、カカシはだいぶチャクラを消費しているはずだが、そうは思えない影分身の数だ。 「ココ、全部終わらせればいいんだよね?」 その中の一人がそう聞いてきたと思ったら、ほんの僅かな間に、中庭の雑草は一つ残らず抜き去られていた。 (凄い・・・) 高だか草むしり程度の事に忍術を使うのはどうかとは思うが、さすがは上忍。仕事が早いなと感心していると、影分身を解いたカカシに、「いこ?」と手を取られた。 どうやら本気でイルカに報告書を提出したいらしい。 「はいはい」 そんなカカシに苦笑しながら、手を引かれるがまま立ち上がる。忍服に付いた草をパンパンと叩き落とす。 「・・・昨夜も任務だったんでしょう?報告書を出し終わったら、俺の膝の上じゃなくて、ちゃんと家に帰って寝て下さいね」 「えー」 叩き落としながらそう告げたイルカの言葉に、カカシが不満そうな表情を浮かべる。 「イルカ先生の匂いを嗅ぎながらじゃないと眠れません」 拗ねたような声でそんな事を言われたイルカは、ハァと溜息を吐いていた。イルカの匂いが無いと眠れないだなんて赤子じゃあるまいしと呆れるが、それは本当なのだろう。イルカの側で眠る時、カカシは本当に安らかな顔をする。 「じゃあ、俺の家で寝ていいですから」 そう告げた途端、ぱぁと喜びの表情を浮かべるカカシが可愛らしくて、つい小さく笑ってしまう。 「合鍵、どうせ持ってるんでしょう?」 そう訊ねてみると、一転してバツの悪そうな表情を浮かべたカカシに苦笑する。 「・・・勝手に合鍵作ってゴメンなさい」 うな垂れて小さな声でそう謝るカカシの銀髪をヨシヨシと撫でてやる。 「そのうちあげようと思ってましたから」 「いいの・・・?」 勝手に作ったのはカカシのくせに、持っていていいのかと、おずおずとそう尋ねて来るカカシが可愛らしくて愛しい。いつもは強引なカカシだが、時々こうして臆病になる。どうやらイルカに嫌われたくないと思っているらしい。 イルカの顔に、ふと柔らかな笑みが浮かぶ。 「カカシさんは俺の恋人でしょう?」 俺も大概甘いなと思いつつ、そんな事を言ってみる。 すると、唯一見えている蒼い瞳を見開いたカカシが、続いてじわりじわりと嬉しそうな笑みを浮かべた。 「・・・うん」 小さな声でそう返事したカカシが、イルカの手をそっと握ってくる。とても大事そうに握られ、恥ずかしくなってくる。 「ほら、行きますよ」 赤くなっているだろう頬を隠す為、そう促したイルカは先に立って歩き出した。 「うん」 背後から聞こえてくるカカシのその声が嬉しそうなのが嬉しい。 (受付所までこのままにしておいてやるか) 草むしりを手伝ってくれたご褒美だと心の中でそう言い訳する。 そうしながらカカシの手を引いて歩くイルカは、暑い日差しの下、その顔に小さく笑みを浮かべていた。 |