心が伝わる






今夜は何にしよう。
アカデミーでも受付所でも、仕事が終わりに近付く夕刻になると、イルカの頭の中は今夜の献立を考える事でいっぱいになる。
何があったかなと冷蔵庫の中身を思い浮かべて、それから、何を作ろうかと考えて。
足りない食材があったりすると、どこの店が安かったかなと記憶を探る。
まんま主婦みたいだなと自分でも苦笑してしまうけれど、イルカはこの献立を考える時間が楽しくて仕方が無かったりする。
献立がなかなか決まらず、うんうんと悩んでいると、時々、可愛らしい小さな式がイルカの元へと飛んで来るからだ。
『今日は寒いから、おでんは?お銚子も付けて欲しいな』
だとか。
『決まらないなら、たまには外で食べよっか』
だとか。
イルカの恋人であるカカシは、持っている特殊なその能力で、イルカの悩みを解決する切っ掛けをくれる。
カカシが任務に出ている時は出来ないけれど、カカシが里内に居る時は、いつもこんな感じで誰にも聞かれる事の無い秘密の会話を交わしているのだが、イルカはそれが嬉しくて仕方が無いのだ。
考えている事を全て、心の『声』としてカカシに知られる。
それを嫌じゃないのかとカカシに聞かれた事があるけれど、イルカは、カカシに知られて恥ずかしいと思った事は多々あれど、嫌だと思った事は一度も無い。
それどころか、里内に居る時は、イルカの心の『声』を常に聞いているらしいカカシが見せる心遣いがとても嬉しいと思う。
ついさっき、職員室に居たイルカの元へ飛んで来たばかりの小鳥が伝えてくれた言葉。
『お買い物。付き合いますから、仕事が終わったら教えてね』
閉めたばかりの窓から冬の冷たい風が僅かに吹き込む窓際で、小さな声で告げられたそれを聞いたイルカの顔が、ぱぁと盛大に綻ぶ。
(はいっ、ありがとうございます)
役目を終えた小鳥が煙を上げて消えるのを見ながら、買い物に付き合ってくれると言うカカシに心の中でお礼を告げる。
米がそろそろ無くなりそうだったから買って帰ろうと思ったイルカの『声』を、カカシはどこかで聞いていたのだろう。他にも買い物する予定でいたから、重くて大変だろうと買い物に付き合うと声を掛けてくれたカカシの優しさが嬉しい。
(早く仕事を終わらせなきゃ)
カカシを待たせてはいけない。
そう思い、再び机に向かうイルカだったが、ふと気付けば緩んでしまう顔を締めるのに苦労した。




暮れるのが早くなった夕日が落ちる頃。
仕事を急いで終わらせたイルカが帰る準備を済ませた所で、カカシが職員室までわざわざ迎えに来てくれた。
「イルカ先生」
扉の所から笑みと共にひらひらと手を振られ、イルカの顔にぱぁと笑みが浮かぶ。机の上に置いていた鞄を肩に掛けたイルカは、カカシの元へと急いだ。
「すみませんっ、お待たせしました」
「ううん。大丈夫ですよ。お仕事お疲れ様、イルカ先生」
そう言って柔らかな笑みを浮かべて見せてくれたカカシに促され、職員室を出て共に歩き出す。
「任務からもう戻られてたんですね。式が来た時、ちょっとびっくりしました」
つい先日、受付所で把握出来ないSランク任務に就くとカカシに聞いたばかりだ。
しばらく会えないのだろうと思っていたから、式が届いてカカシがもう戻っている事を知り、驚いたと同時に嬉しかった。
校舎から外へと続く扉を開けながらそう告げたイルカに、カカシがふと笑みを浮かべてみせる。
「式を飛ばす少し前に戻って来たばかりですよ。ただいま、イルカ先生」
「あ・・・っ!」
改めてそう告げられ、いつも必ず言うお帰りなさいをまだ言っていない事に気付いた。
(忘れてた・・・っ)
カカシが買い物に付き合ってくれると言ってくれたのが嬉しくて、すっかり忘れてしまっていた。
慌てて立ち止まったイルカは、数歩先を行くカカシへと向き直った。イルカに付き合って立ち止まり、振り返ってくれたカカシをしっかりと見つめる。
Sランク任務に出ていたというのに、怪我も無く、こんなに早く戻ってきてくれたカカシへ感謝の気持ちを込め、
「お帰りなさい、カカシさん」
そう告げるイルカの顔に自然と笑みが浮かぶ。
「ん。ただいま」
こちらも笑みを浮かべ、再度そう言ってくれたカカシがイルカの側に歩み寄る。
「やっぱりイルカ先生にお帰りって言って貰わないと、帰ってきた気がしないね」
手甲に覆われた指先が伸ばされ、イルカの頬を優しく擽りながら瞳を柔らかく細めるカカシからそう言われたイルカは、その顔にへへと面映い笑みを浮かべていた。
(嬉しい・・・)
里で待つイルカに出来る事と言ったらそれくらいだけれど、そんな些細な事をカカシが喜んでくれているのが嬉しい。
後は、疲れて帰ってきただろうカカシに、美味しいものを食べさせてあげたい。
そう思った途端。
「今日は野菜たっぷりのカレーでしょ?」
柔らかな笑みを浮かべるカカシに、今夜の献立を言い当てられた。
それを聞いたイルカの瞳が僅かに見開く。
カレーを作ろうとイルカが思ったのは今朝の事だ。
その時以外、今夜はカレーだと考えていなかったはずなのに、どうやらカカシは、イルカが考えていた買い物の内容だけで、今夜はカレーだと分かったらしい。
それだけ二人が一緒に暮らす期間が長くなって来たという事なのだろう。
いつも野菜たっぷりのカレーを作る時に準備する材料。
それだけで、今夜は野菜たっぷりのカレーだと気付いてくれた事が嬉しい。
イルカの顔に、じわりじわりと笑みが浮かぶ。
「凄い、正解です!」
「やっぱり」
自信はあったのだろうけれど、やはりイルカからカレーという『声』は聞こえていなかったのだろう。
少々不安だったのか、正解だと告げたイルカに、カカシはホッとしたような笑みを浮かべて見せてくれた。
カカシに伝わっているのは心の『声』だけではない。
共に暮らす二人だからこそ伝わる事。
これから先、こんな風に二人にしか伝わらない事がどんどん増えていけばといいと思う。
「お買い物行こ?お米もだけど、ニンジンも買わなきゃ。ね?」
「はいっ」
そう促され、笑みを浮かべて返事をしたイルカは、カカシと一緒に買い物をして二人が暮らす家に帰るまで、その顔に浮かんだ笑みを絶やす事がなかった。