新妻イルカ観察日記 1
謝罪よりも感謝の言葉を






もうすぐ夕飯、という時刻だった。
「あっつ・・・っ」
いつものようにリビングのソファで読書を楽しんでいたカカシの耳に、バチバチと油の跳ねる大きな音と共に聞こえて来た愛妻の声。それを聞いたカカシの深蒼の瞳が大きく見開かれる。
手に持っていた愛読書をソファの上に放り投げ、急いで立ち上がったカカシが慌てて台所へ向かってみると、フライパンの油が跳ねたのだろう。少し涙目になっているエプロン姿のイルカが、自らの指先にふぅふぅと息を吹き掛けている所だった。
火傷してしまったのか、息を吹き掛けるその指先が僅かに赤くなっている事に気付いたカカシの眉根にくっきりと皺が寄る。
点いたままだったフライパンの火を止め、イルカの手を取ったカカシは、とりあえず冷やさなければと水道の蛇口を捻った。
「・・・すぐに冷やさないとダメでしょ?イルカ先生」
赤くなっている部分に冷水を当てながらイルカにそう告げると、沁みるのだろう。僅かに顔を歪ませるイルカから、「ごめんなさい」と小さな声で謝られた。
イルカは恐らく、火傷した箇所をすぐに冷やさなかった事を謝っているのではないのだろう。
また失敗したとでも思っているのか、僅かに俯き、しゅんと落ち込んでいるらしいイルカへと視線を向けるカカシの口元に、ふと小さく苦笑が浮かぶ。
「・・・いつも言ってますけど、悪い事をした時以外は謝る必要はありませんよ?」
イルカはいつも、何かとカカシに謝ってくる。
この家に二人で住み始めた当初、失敗続きだったイルカは謝る事が多く、どうやらそれが癖になってしまったようだった。
少々そそっかしい所はあるが、今ではその辺りにいる女よりも家事が巧いというのに、その癖だけは未だに抜けない。
「・・・ごめんなさい」
再び小さく謝られ、カカシは仕方ないなと溜息を吐く。
「・・・今度、悪い事してないのに謝ったりしたらお仕置きですからね」
イルカの指先に視線を戻し、少し怖い顔を作ったカカシが低くそう告げると、カカシが怒ったとでも思ったのだろう。ビクと小さく震えたイルカが、恐る恐るといった様子でカカシを窺って来た。
今にも泣き出しそうな表情でカカシを窺うイルカが可哀想になってくるが、癖を直すためだと心を鬼にして怖い顔を保つ。
「薬、一応塗っておきましょうか」
火傷の部分をある程度冷水で冷やし、そう言いながら蛇口を閉めたカカシは、側に掛けてあったタオルでイルカの濡れた手をそっと拭った。イルカの手を引き、薬を塗る為にリビングへと戻る。
ソファにイルカを座らせ、その前に膝を付いたカカシは、ソファの片隅に置いたままだった自らのポーチから軟膏を取り出す。
「痕が残らないといいけど・・・」
水ぶくれにはなっていないが、まだ赤いイルカの指先に軟膏を丁寧に塗り込めていく。
その間、イルカは少し居心地悪そうな表情で、でも、嬉しそうに漆黒の瞳を細めてカカシが軟膏を塗る様を見ていた。
そんなイルカの視線を擽ったく感じながらも、触り心地の良いイルカの肌に痕が残ったりしないよう、カカシはしっかりと軟膏を塗り込める。
「・・・ハイ、終わり。薬が取れちゃいますから、後はオレが作りますよ」
軟膏をポーチにしまいながらそう言って立ち上がると、台所へ向かおうとしたカカシのアンダーの裾を、イルカが慌てたように掴んで来た。
「それは・・・っ。俺の仕事ですし、カカシ様に作って頂くわけには・・・っ」
「・・・せっかくオレが薬を塗ってあげたのに、取れてもいいの?」
少々意地悪かとも思ったが、そう言えばイルカは何も言えないだろう。
小さく首を傾げるカカシが見上げてくるイルカへとそう告げると、思ったとおり、「う」と呻ったイルカがそろそろと手を離す。
「・・・イイ子だ。ココで待ってて?」
ふと笑みを浮かべてイルカの頭をポンポンと撫でると、カカシは怪我をしてしまった愛妻の代わりに夕飯を作る為、袖を捲りながら台所へと向かった。




後は炒めるだけになっていた材料をフライパンに入れ、それを炒めていたカカシのアンダーがツンと引っ張られる。
振り返ってみると、リビングで待っているようにと言い置いていたイルカが、台所にやって来ていた。
「ん?」
「あの・・・、やっぱり俺が・・・」
「もう終わりですよ。味付けは塩胡椒でいいの?」
そう訊ねると、「あっ、はい」と頷いたイルカが、調味棚から塩胡椒を取り出して手渡してくれる。
「ん、ありがと」
笑みを浮かべてそれを受け取り味付けしていると、フライパンへ向かうカカシの背後から、イルカの小さな声が聞こえて来た。
「・・・ごめんなさい。俺が火傷なんてするからカカシ様にこんな・・・。俺、カカシ様の妻失格ですね・・・」
良い具合に炒め終わったのを幸いに、カカシはハァと小さく溜息を吐きながら火を消す。
「・・・まぁた謝った」
少し怖い顔を作ってイルカを振り返り、俯いてしまっているイルカの顔を覗き込みながらそう告げたカカシを、ビクと震えるイルカが泣き出しそうな顔をして見つめてくる。
二人が伴侶となってまだ数ヶ月だが、イルカはカカシの為に完璧に家事をこなそうと、日々頑張ってくれているのだ。怪我をした時くらい自分に甘えてくれても良いのにと、カカシは少し淋しく思う。
掃除洗濯炊事。何においても完璧な奥さんを目指しているらしいイルカだが、頑張り過ぎて身体を壊したり、疲れてしまっては元も子もない。
ふと小さく苦笑を浮かべ、カカシは愛しいイルカの身体を抱き寄せる。
イルカが甘えてくれないのは、甘え方を知らないからだ。
それなら―――。
「・・・オレの言う事が聞けない悪い奥さんには、お仕置きが必要、かな?」
知らないのなら、覚えさせるまで。
カカシはイルカの耳元で低くそう囁きながら、イルカの腰に回していた手を、引き締まった臀部へとスッと下ろした。丸みを確かめるかのように撫でると、感じやすいイルカがビクンと震える。
長い黒髪を高い位置で一つに括っているお陰で、いつもあらわになっている色気漂う首筋をかぷと甘噛みすると、イルカは「んっ」と甘い吐息を零した。
舌でそこを嬲りながら、カカシは引き締まった臀部を両手で揉む。
「カカシさま・・・っ、夕飯が・・・っ」
息を荒げ始めているくせに、「冷めてしまいます」と瞳を潤ませて訴えてくるイルカの唇を、「いいから黙って」と塞ぎ、カカシはイルカの身体を、その背後にあったダイニングテーブルに押し付けた。
二人分の体重を受け、テーブルがガタリと音を立てる。
「んぁ、っふ・・・」
熱い舌を絡め取り、きつく吸い上げると、イルカの両腕がそろそろとカカシの首に回された。
イルカの可愛らしいお強請りにふと笑みを浮かべるカカシは、イルカの腰を掴んでグイと持ち上げ、その身体をテーブルの上に乗せる。
「・・・たっぷりお仕置きしてあげる」
口付けを解いたカカシが、イルカのエプロン越し、アンダーの裾から中へと手を差し入れながらそう囁くと、かぁと赤くなったイルカはそれでも、恥ずかしそうにこくんと頷いてくれた。


それから数時間後。
テーブルの上に置かれた料理を手にした箸で取るカカシは、ソファに座らせたイルカの口元へとそれを差し出していた。
「ハイ。あーんして、イルカ先生」
たっぷりお仕置きされた後だ。
眠くなって来ているのだろう。口を開けるよう促すカカシの声に逆らう事無く、イルカがゆっくりと口を開ける。
情事の余韻を色濃く残すイルカが、雛鳥のように口を開ける様は凶悪的に可愛らしい。イルカの口に箸を含ませるカカシの口元に、ふと小さく笑みが浮かぶ。
「・・・イルカ先生。これからは謝るんじゃなくて、お礼を言いましょうね?」
もぐもぐと咀嚼するイルカを見つめながら、小さく首を傾げるカカシはそう諭す。すると。
「・・・はい。あの、食べさせて下さってありがとうございます。カカシ様」
口の中の物を飲み込んだ後、先ほどまでの情事を思い出したのだろう。恥ずかしそうに顔を赤らめるイルカから、少し掠れた声でさっそくお礼を告げられた。それを聞いたカカシの深蒼の瞳が僅かに見開かれ、そして、愛おしそうにゆっくりと眇められていく。
「・・・ん。イイ子」
愛おしさが胸に溢れるカカシは、素直で可愛らしい愛妻の頭をよしよしと撫でながら、その顔に蕩けるような笑みを浮かべていた。