新妻イルカ観察日記 4
微睡






愛妻が待つ家の扉。
それを前にズボンのポケットから鍵を取り出すカカシは、ゆっくりと細長く溜息を吐く。
(・・・疲れた)
身体を酷使した訳でもないのに疲れているのは、今日の任務で、針に糸を通すような細かい作業と細かい気配りを求められたからなのだろう。
文句一つ言わず完璧に、かつ、迅速に遂行して帰還したカカシであるが、終わった途端、溜息ばかりが出てしまうのは、これ程までに疲れるとは思ってもいなかったからだ。
年だろうかと僅かに気落ちしながら玄関の扉を開け、俯きがちに中に入る。
「ただ・・・」
そうして、中に居るだろう愛妻に帰宅を告げようとしたカカシは、だが、入ってすぐ目に飛び込んで来たその光景に、続こうとしていた自らの声を慌てて打ち消していた。
玄関からリビングが窺えている。いつもは閉まっているはずのドアが開いたままだ。
リビングの一角。玄関に背を向けるように置かれているソファの端から覗いているのは、見慣れた可愛らしい尻尾。
その尻尾が、微かにだが規則的に揺れている事に気付いたカカシは、帰還時から眉間に浮かんだままだった小さな皺を途端に緩めていた。口布の下、口元も少し緩ませながら、ゆっくりと身体を斜めに倒してみる。
(寝てる・・・のか・・・な?)
もし寝ているのだとしたら、起こすのは可哀想だ。
音を立てないよう玄関の扉を閉め、履いていた埃塗れのサンダルをこれまた音を立てないよう脱ぐと、カカシは額当てを取り去り、口布を引き下げながらリビングへと入った。
気配は常に消している。足音なんてさせるはずもない。
ソファの背にゆっくりと手を付き、その向こう側をそっと覗き込むカカシの深蒼の瞳が柔らかく細められていく。
男二人が座ってもゆったりとしている大き目のソファの上。そこには思ったとおり、愛しい妻であるイルカが洗濯物に囲まれながら、カカシのパジャマを抱えるようにしてその身体を小さく丸め、スヤスヤと心地良さそうに眠っていた。
可愛らしいその光景を見た途端、先ほどまで感じていた疲れが、あっという間にどこかへ飛んでいく。
その事に内心苦笑しながらソファの背に腕を乗せて凭れるカカシは、その口元に小さく笑みを浮かべながら、心地良さそうに眠るイルカの寝顔を堪能し始めた。
(昨夜も無理させちゃったからねぇ・・・)
早めにベッドに潜り込んだはずなのに、二人が眠ったのは日付が変わってだいぶ経ってからだった。
最後、気を失うかのようにして眠りに落ちたイルカは、だが、いつものように早く起き出し、辛そうな腰を庇いながらも、カカシの為にと朝食を作ってくれたのだ。
イルカの腰に負担を掛けさせたのはカカシだ。深く反省したカカシが「無理しないで。オレの朝食は良いですから、もう少し寝てて?」と言ったのだが、頑張り屋なイルカは、「カカシ様の世話をする事が楽しいんです。無理なんてしてません」と笑って返した。
カカシも出来る限り手伝ったものの、一度も休む事無く洗濯もしてアカデミーへ出勤して行った働き者の妻は、やはり疲れていたのだろう。帰宅後、乾いた洗濯物を畳みながら眠気に襲われたのか、こんな所で眠ってしまったらしい。
僅かに乱れるイルカの高く結った黒髪。伸ばした指先で黒髪をそっと撫でるカカシの深蒼の瞳が、胸に溢れる愛おしさからふと切なく眇められる。
(・・・ゴメンね、イルカ先生。それから、いつもありがと・・・)
昨夜、しつこく求めた事を謝罪し、カカシの為にと、いつも家事を頑張ってくれている事を感謝する。
ソファに凭れていた身体を起こし、ゆっくりとイルカの前に回る。そうして、眠るイルカの側に座り込んだカカシは、イルカが手に握り締めている自らのパジャマをするすると抜き取った。
抜き取ったパジャマに代わり、嵌めていた手甲を外した手で、指先を絡めるようにして温かいイルカの手を握り込む。
カカシのパジャマを握り締めて眠るイルカは、それはそれで充分に可愛らしいのだが、どうせ握るなら本物を握って眠って欲しい。
(どうせ握るなら、本物。ね・・・?)
きゅっと軽く握り締めてみると、無意識だろう。眠るイルカからきゅっと握り返され、そのあまりの可愛らしさに、カカシの顔に堪え切れない笑みが浮かぶ。
イルカの腹の辺り。ぽっかりと空いていた場所へゆっくりと頭を乗せ、そこからイルカの寝顔を飽きる事無く見つめていたカカシは、疲れていたからだろう。
気付けば、イルカと同じ心地良い眠りへと誘われていた。