新妻イルカ観察日記 7
おやすみのキス






遠くから早起きな鳥たちのさえずる声が聞こえてくる。
朝はすぐそこだが、まだ外は暗い。束の間の眠りから目覚めたカカシは、腕の中にある暖かな存在を起こさないよう小さく、くあと欠伸を噛み締めた。
昨夜、というか日付は変わってしまっていたのだが、任務から帰還したカカシが報告を済ませ、イルカの眠るベッドに潜り込んだのはつい先ほどだ。さすがにまだ眠い。
だが、カカシはもう、もう一度眠るつもりはなかった。
何故なら。
視線を腕の中に落とす。そこに居る愛しいイルカの寝顔を見たカカシの頬が緩む。
(かわいい・・・)
睡眠をとる事よりも、腕の中で眠る可愛い奥さんの寝顔を思う存分堪能する事の方が、カカシにとっては何より大事だからだ。
一緒に寝起きするようになってからというもの、カカシの朝はイルカの寝顔を堪能する事から始まるようになった。飽きる事無く、任務で居ない日以外は欠かさず。イルカよりも早く起き、イルカの寝顔をこうして見つめている。
腕の中。すいよすいよと小さな寝息を立てているイルカは、まるで幼子のようでとても可愛らしく、いつものイルカとはまた違う表情をカカシに見せる。
普段から気配は断っているし、起こさないよう気を付けてもいるのだが、安心し切った顔で眠るイルカに小さく苦笑してしまう。
カカシの腕の中。穏やかな表情で眠るイルカを見ていると、とても暖かい気持ちにはなるけれど、こんなにも無防備なのはどうか自分の前でだけであって欲しいと願う。
任務が入る事が多いカカシは、いつでもイルカの枕になれるわけではない。カカシを心から愛してくれているイルカが浮気なんて決してしないと分かってはいるが、不埒な輩に恋慕されないとは限らない。
(少しは警戒心ってものを覚えて貰わないと・・・)
誰彼構わず誠実に親切に接するイルカだから、好意を持っている人間は多い。そんな奥さんを誇らしいと思うと同時に少し心配にもなる。
イルカは、老若男女、年齢を問わず、性別すら問わずに好かれる人だ。
そんなイルカがカカシを選んでくれた事は、未だに奇跡だとカカシは本気で思っていたりするのだが、任務で家を空けることが多いカカシだから、イルカが淋しさに耐えられなくなったりしないだろうか、そんな淋しさにつけ込まれて誰かに言い寄られたりしないだろうかと心配している。
(ま、言い寄ったヤツには制裁加えるけどね・・・)
カカシのイルカに対する溺愛ぶりは今や里中に知られている。カカシの制裁を恐れ、イルカに言い寄ろうとする者はそうそう居ないだろう。けれど、思い余ってという人間が一番怖い。何をするか分からないからだ。
舅である三代目がイルカの側で目を光らせてくれてはいるけれど、決してイルカ一人にならないというわけではない。本当なら忍犬の一匹でも付けたいところだ。
前に一度だけそれをイルカに提案してみたら、真っ赤になったイルカに「そんな事、絶対駄目ですっ」と思いきり拒否されてしまった。
「俺なんかの為に無駄なチャクラを使わないで下さい!」と言われ、カカシとしてはさらに説得したい所だったのだが、涙目のイルカに逆に説得されてしまうとその場は引かざるを得なかった。
イルカの身の安全を守りたいという点では、舅である三代目と意見が合うカカシだ。今度、暗部の護衛を頼んでみようかなどと考えながらイルカの寝顔を堪能していると、そのイルカの漆黒の睫がピクリと動いた。
「ん・・・」
外では朝日が昇り始めている。カーテン越しの朝日で寝室内も明るくなってきているから、眠りから浮上しだしたのだろう。
イルカのむずかる姿を見たカカシはその瞳をそっと閉じた。眠っているフリをする。
しばらくして、目覚めたらしいイルカがごしごしと目を擦り始めた。ベッドが微かに揺れている。
(あぁもう・・・。そんなに目を擦っちゃダメだっていつも言ってるでしょ?)
そう言いたいのを何とか堪え、カカシは規則的な呼吸を繰り返した。
「あ、れ・・・?カカ・・・」
寝ぼけたようなイルカの声が、カカシの名を綴ろうとしたところで途切れる。目を閉じているカカシに気付き、起こしてはいけないと口を噤んでくれたのだろう。
イルカが身じろぐ気配がし、カカシの腕の中から離れていく。ゆっくりと布団が動く。
起こさないようにと、布団からそっと抜け出そうとするイルカの優しさが愛しい。
そして。
「お帰りなさい、カカシ様」
本当に小さく小さく、囁くように告げられる言葉と共に落ちて来るイルカの優しい口付け。それも、堪らなく愛しい。
朝食を作るためだろう。カカシにそっと口付けた後、離れていこうとするイルカの気配を感じたカカシは、イルカの身体に素早く腕を回し、布団の中に引き戻した。
「うわ・・・っ!」
「・・・おはよ、イルカ先生」
「お、おはようございます・・・っ」
自らの身体の上にイルカを乗せ、ニッコリと笑みを浮かべたカカシがそう挨拶をすると、眠っているとばかり思っていたカカシに突然抱き寄せられて驚いたのだろう。その瞳を大きく見開いて見下ろしてくるイルカが、それでもきちんと挨拶を返してきた。
「ん。いい挨拶ですね。でも・・・」
カカシの上から退こうとしているイルカの身体をきつく抱き締め、拘束する。
「おはようのキスは?」
「えぇ・・・っ!?」
小さく首を傾げそう告げたカカシのその言葉に、イルカが頬を染め驚いた声を上げる。
「お帰りなさいのキスはしてくれたでしょ?だから、おはようのキスも。して?」
そんなイルカを見上げ、さらにそう強請る。
「・・・っ、起きてたんですか・・・っ?」
羞恥にだろう。泣きそうな顔をしたイルカがきゅっと睨んでくる。
そんな顔で睨まれても全く怖くないという事を、イルカはそろそろ学んだ方がいい。可愛らしく怒っている愛妻の頬に手を添えると、カカシは寝起きで少し乾いているイルカの唇を親指でそっと撫でた。
「ねぇ、イルカ先生。キスして・・・?」
イルカの問いには答えず、囁くようにそう告げ、イルカの唇を何度も撫でる。
「ね・・・?」
「・・・っ」
朝だというのにキスを強請るその声に濃厚な夜の気配を漂わせる。すると、イルカがぐっと息を呑み、首筋まで真っ赤にさせて涙目で睨んできた。
朝になったばかりなのにという、カカシを責めるその視線に内心苦笑する。
(だって、ねぇ・・・)
ここのところ任務続きで、随分とイルカを愛していない。
確か、今日のイルカは休みのはず。そして、カカシも今朝帰還したばかりだから、今日は休みだ。
二人の休みが重なる事なんてそうそう無い。
「イルカ先生・・・」
愛しさを込めて名を呼び、頬に添えていた手を首の後ろに滑らせて引き寄せる。
「でも・・・っ。俺、カカシ様に朝ご飯作らなきゃ・・・っ」
「後ででいいですから。ね?ちょっとだけ」
まだ抵抗するイルカにお願いという顔をして見せる。
任務の間はまともな食事にあり付けなかったから、腹ももちろん空いてはいるけれど、それよりも先にイルカが食べたい。愛させて欲しい。
唇が触れ合う寸前まで引き寄せ、羞恥に揺れるイルカの瞳を見つめる。
「キス、して・・・?」
こんなに近くに寄せているのにそうお願いするカカシを、イルカが「もう・・・っ」と責めてくる。そんなイルカにふと笑みを浮かべながら、カカシは待った。カカシからしては意味が無い。イルカからして貰わなければ意味が無い。
このキスは、朝の挨拶という健全な意味は全く持たないのだから。
瞳を潤ませたイルカの漆黒の睫がゆっくりと下がる。
そうして。
僅かに開いて待つカカシの唇に、イルカの少し乾いた唇がそっと落とされた。


しかしてカカシのお願いは聞き届けられ、その日の午前中は二人仲良くベッドの中で過ごしたのだが、午後からは、ベッドの住人になった可愛い奥さんを甲斐甲斐しく世話するカカシが見られたという。