20万打お礼SS 例えばあなたに恋人が出来たなら 階級なんて無くなれば良い―――。 カカシはイルカと共に過ごしている時、幾度と無くそう思う。 イルカがどうこう、という訳ではない。 中忍であるイルカだが、共に居て階級差を感じた事は一度も無い。 上忍であるカカシに対しても媚びる事無く、萎縮する訳でもなく、ただ真っ直ぐにカカシの瞳を見つめてくるイルカの曇る事を知らない漆黒の瞳。 その瞳は、イルカが上忍であるカカシと居るのではなく、『はたけカカシ』というただの男と共に過ごしているのだと如実に伝えてくる。 綺麗なその瞳を独占したい。 喉から手が出てしまいそうな程にイルカを欲している自覚はある。 自覚はしていても、カカシはイルカにその胸の内を伝えることはしなかった。 階級が上の者が下の者に対し想いを伝えた場合、それを断るのに下の者は多大な努力を必要とするからだ。 想いを伝えてこの心地良い時間を失うくらいなら友人のままで良い。 イルカに恋心を抱くカカシはずっと、今にも溢れ出しそうになる想いを押し殺し、そう自分に言い聞かせていた。 いつものように二人で酒を呑んでいた時、不意にイルカがこう切り出した。 「・・・実は今日、男性から告白されたんです。受付所で」 動揺した。 杯を持つカカシの手が僅かに震えたが、イルカは気付かなかったらしい。その事にホッとしながら胸の内の動揺を綺麗に隠し、「そうなの?」とカカシは相槌を打つ。 「はい。カカシ先生はご存知ですか?最近、国境警備から戻られた上忍の方で・・・」 その男ならカカシも知っている。温厚な性格、誠実で堅実。 不器用なのだろう。いささか無骨ではあるが、人柄の良い真面目な男だ。悪い評判も、カカシとは違い、女の噂も全く聞かない。 「答えは急がないし無理強いもしないから、まずはお茶をと誘われたんですが・・・」 同じ性を持つ男に告白されても悪くは思わなかったのだろう。面映そうな笑みを小さく浮かべ、鼻頭の傷を掻きながらそう説明するイルカの表情に嫌悪感はみられなかった。 「オレも少し知ってますけど、いいヤツですよ。悪い噂は全く聞きません」 当たり障りの無い事実を答えながらも、カカシはイルカに「付き合うの?」とは聞けなかった。 肯定の言葉を聞くのが怖かったからだ。 例えば。 例えばだ。 例えばイルカに恋人が出来たなら、自分以外の人間とイルカが仲睦まじく在る様を、自分は友人として見ていられるだろうか。 (そんな事・・・) 出来るはずが無い。 どれだけの間、イルカに恋焦がれていると思っている。 今日告白したというその男よりも、カカシの方が遥かに長く、そして、深淵の如く深い想いをイルカに対し抱いている。 想いが深過ぎて、自分でも恐ろしい程にだ。 「カカシ先生?」 急に黙り込んだカカシを、イルカが不思議そうに窺う。 何でもないと笑みを浮かべようとして失敗した。みっともない顔を晒したくなくて、さりげなく俯く。 例えばイルカに恋人が出来たなら。 祝う気持ちはこれっぽっちも抱いていなくとも、友人であるカカシは、おめでとうと言わなければならないのだろう。 (そんなの言えるはず、無い・・・) 俯いたまま、嫌だと今にも叫びそうになっている自らの口元を手の甲で抑える。そうしてカカシは、僅かに震える息をそっと吐き出した。 「例えば・・・」 声までも震えてしまわなかった事にホッとするカカシの耳に、それを言っては駄目だと警鐘する声が聞こえてくる。 「例えば、あなたに恋人が出来たなら・・・」 これを言えば、イルカとの心地良い時間が失われてしまう。友人で居られなくなる。 (分かってる・・・ッ) 煩いほどに訴えてくる声に、心の中でそう叫び返す。 分かっていても、イルカが誰かに奪われる様をただ見ているなんて、カカシには出来そうになかった。 俯かせていた顔をゆっくりと上げ、不思議そうな顔をしてカカシを窺うイルカをひたと見つめる。そうしてカカシは、今の二人の関係を壊すだろう言葉を静かに口にした。 「・・・オレはもう、あなたの側には居られない」 驚いたのだろう。それを聞いたイルカの瞳がゆっくりと見開かれる。 「・・・え・・・?」 呆然とした表情でカカシを見つめるイルカに小さく苦笑して見せたカカシは、卓上に置かれていた伝票に手を伸ばした。それを手に立ち上がる。 カカシのこれは告白だ。 今日告白したというその男を選ぶのか、それともカカシを選ぶのか。 もしくは、どちらも選ばないか。 その選択権は、既にイルカの手の中だ。穏やかだった二人の関係に一石を投じたカカシにはもう、イルカが出す答えを待つしか出来る事はない。 「・・・しばらく会いません。オレも答えは急がないし無理強いはしませんから、その間に良く考えて」 「え、え・・・っ?」 カカシにそんな事を言われるなんて思っていなかったのだろう。動揺しているのか、カカシの言葉に困惑しているのか、イルカが戸惑ったような表情を浮かべてカカシを見上げてくる。 イルカの中で、自分は友人―――。 その事実を改めて思い知らされ、イルカを見下ろすカカシは、その顔に切ない笑みを小さく浮かべていた。覆い隠すように、下ろしていた口布を引き上げる。 「・・・ゴメンね。おやすみ、イルカ先生」 穏やかだった二人の関係を一方的に壊した事。 それから、突然の告白で戸惑わせた事をイルカに謝罪し、カカシはまるで逃げるかのように座敷を後にした。 戸惑うイルカを一人残して座敷を後にしたその瞬間から、激しい後悔の嵐に襲われる。 月明かりに照らされる夜道をきつく眉根を寄せて歩くカカシの中で、もう一人の自分が何故あんな事を言ったのだと責めてくる。 (どうすりゃ良かったのよ・・・) これまで何度も想像してはいたのだ。遅かれ早かれ、いつかはこんな日が来るのではと思っていた。 恋人が出来たという報告ではなかった分、まだマシだ。 ただ一つ。 誤算があったとしたら、自分の想いを伝えるつもりは全く無かったのにも関わらず、それをイルカに伝えてしまった事だ。 奪われたくないと思った。 失いたくないと思った。 他の誰かにイルカを奪われ、失ってしまうのならいっそ、この胸に抱える恋心も一緒に。 思わずそんな事を考えてしまったくらい、カカシはイルカに惚れていたらしい。 (あぁ・・・) 深い深いとは思っていたが、イルカに対する自らの想いの深さを改めて知らされ、天空に輝く月を見上げるカカシの口元に小さく苦笑が浮かぶ。 「・・・辛いねぇ・・・」 口布の中で小さく呟かれたカカシのその声は、夜の闇に消え、誰にも聞かれる事無く消えていった。 |