2011年バレンタイン企画 屋上で甘い甘いキスを 授業中は閑散としている職員室も、子供たちが登校してくるこの時間帯は何かと慌しい。 ざわめく職員室の一角。自らに割り当てられた机に着き、大きく取られた窓から差し込む日差しを背に浴びながら授業で使用する教材を準備するイルカから、ふと小さく溜息が零れ落ちる。 今日は甘い甘いチョコレートに想いを込め、自分の気持ちを相手に伝える日、バレンタインデーだ。アカデミー全体がどこか浮き足立っているように感じられるのは、イルカの気のせいではないのだろう。 校舎のあちらこちらで、生徒たちの甘酸っぱい告白シーンを見掛けるのだろうと思うと少し面映いが、恋人が居なくて少しの淋しさを伴っていた去年までとは違い、今年のイルカには恋人と呼べる存在が居る。 淋しさが解消されるだろうと思われていた今年のバレンタインデーは、だが、恋人であるカカシが数日前に任務へと向かった事で、解消されるどころかより一層淋しさが増していた。 イルカが少々憂鬱なのはそのせいだけではない。 (・・・結局、用意出来なかったな・・・) カカシが甘い物が苦手だと知っていたから、という事もあったが、男の身でチョコレートを用意するのが堪らなく恥ずかしく、イルカはずっとチョコレートを用意するか否か迷っていた。 ギリギリまで迷っているうちにカカシが任務へと向かってしまい、結局用意する事無く今日に至ったのだが、カカシの帰還予定がバレンタインデーを過ぎていると知った時、どこかホッとした自分が居た事にイルカは罪悪感を覚えているのだ。 チョコレートを贈る事が風習となっているバレンタインであるが、必ずしもチョコレートを贈らなければいけないという訳ではない。 来年は代わりになるものを何か贈ろう。 教材を整えながらそう心に誓っていると、そんなイルカの背後にある窓から、トントンと小さな音が聞こえて来た。 振り返ったイルカの視線の先。 (あ・・・っ) 朝日が差し込む窓枠に、カカシが式として使役する小鳥の姿を見止めたイルカの顔がパッと明るく綻ぶ。 座っていた椅子から立ち上がり、急いで窓を開けたイルカが差し出した掌の上。そこにちょんと載った小鳥が、ぽふんと小さな煙をあげてメモ紙へと変化する。 見慣れたカカシの字が並ぶメモ紙には、つい先ほど無事に帰還した事。少しでいいから屋上へ上がって来て欲しい、会いたいという旨が書かれており、それを読んだイルカは急いで職員室を後にする。 授業開始時刻が迫っていたが、イルカが迷う事は無かった。子供たちで賑わう階段を上り、人気の無い屋上へと続く扉を開ける。 開けた先。澄んだ青空には白い雲がぽっかりと浮かんでおり、その下、目覚めたばかりの太陽の日差しを背に立つカカシの姿を見止めたイルカは、その顔に自然と笑みを浮かべていた。 「お帰りなさい、カカシさん」 カカシの側へ駆け寄りながらそう告げると、「ただいま」と返すカカシの顔にも嬉しそうな笑みが浮かぶ。 「ゴメンね、忙しい時に呼び出したりして」 「いえ・・・っ」 帰還予定よりずっと早く会えた事が嬉しい。面映い笑みを浮かべながら首を振るイルカを見たカカシの笑みが深くなり、差し伸ばされたカカシの手がイルカの手をそっと握る。 「・・・誰よりも一番にコレを渡したくて」 そうしてイルカの掌に載せられたのは、綺麗に包装された小さな箱。 「・・・これって・・・」 まさかとは思いながらも信じられず、小箱へ落としていた視線をゆっくりと上げると、柔らかく細められたカカシの深蒼の瞳と視線が絡んだ。 「今日はバレンタインでしょ?チョコレートですよ」 それを聞いたイルカの漆黒の瞳が僅かに見開かれる。 カカシの少々薄汚れた忍服からも窺える。 バレンタインデーである今日。誰よりも一番にイルカにチョコレートを渡そうと、カカシは頑張ってくれたのではないだろうか。疲れているだろうに、任務から帰還したばかりのその足でイルカに会いに来てくれた。 「・・・あの、俺・・・」 それなのに、そんなカカシへ渡す物をイルカは何も用意していない。 喜ぶどころかしゅんと落ち込んでしまったイルカを見て、カカシがふと小さく苦笑する。 繋がれたままのイルカの手が引かれ、カカシの口布越し。下から掬い上げるように口付けられたイルカは、僅かに俯かせていた顔をそっと上げた。 「・・・お返し。期待してますから」 「・・・っ」 上げた先。艶めいた声で囁くように告げられたカカシのその言葉は、朝の爽やかさとは程遠い淫猥な雰囲気を纏っており、それを聞いたイルカの顔が羞恥に染まる。 カカシとはまだ、そう何度も身体を重ねている訳ではない。 物慣れないイルカの反応を見たカカシの深蒼の瞳が柔らかく細められ、じっと見つめて来るカカシから再度口付けられるかと思われた時。 「・・・残念、時間切れだ」 大きく響き渡った授業開始のチャイムが、二人の間に漂っていた甘い空気を断ち切った。その音でハッと我に返ったイルカの身体が僅かに震え、口付けを期待していた自分に気付いたイルカの顔が、これ以上ない程に赤く染まる。 そんなイルカを見て笑みを深くしていたカカシの手が離れて行き、「また後でね」と言われたイルカは、面映い笑みを浮かべて一つ頷いた。 イルカがずっと悩んでいた事に気付いていたのだろう。 バレンタインデーではなく、ホワイトデーにお返しを贈ってくれればいい。 チョコレートを渡してくれ、暗にそう伝えてくれたカカシの優しい心遣いが嬉しい。 「あの、ありがとうございました」 色んな意味を込めた礼を告げると、カカシの顔に浮かんでいた笑みが深くなる。 「ん。行ってらっしゃい」 そんなカカシに見送られながら「行って来ます」と屋上を後にしたイルカは、その日一日、ふとした瞬間に崩れそうになる顔を引き締めるのに苦労した。 |