一緒に食べよ






雪解けが始まっているのだろう。川の水がかなり冷たい。
昨日よりも少し流れが早くなっている気がする川の側。持って来た大量の食器を、大小様々な石の上に置くイルカは小さく溜息を吐く。
中忍になって初めての任務であるが、中忍になったと言っても、配属されたのが後方支援部隊であれば、する事は下忍の頃とあまり変わらない。
両膝を川岸に着くイルカは、かじかむ手に時折息を吐き掛けながら汚れた食器を洗い始める。
単調かつ慣れた仕事だ。大量だった食器もあっという間に減り、残り僅かになった時。
「・・・あ!」
川の流れの速い部分に、食器の一つが浚われてしまった。
慌てて手を伸ばすも一寸届かず、流れに乗った食器は一気に遠くへと運ばれてしまう。
(・・・不味い・・・っ)
戦場において食器は貴重な代物だ。予備はそれほど無い。
それに、流された食器が敵方に見つかれば、この陣地の場所も割り出されてしまう可能性がある。
川面に浮かべていた食器を急いで川岸に上げたイルカが、流された食器を追おうと片膝を上げた時。
「・・・ドン臭いねぇ」
呆れたような声が聞こえると同時に、川下に流されて行ったはずの食器がイルカの目の前に差し出された。
見上げたイルカの視線の先。銀の髪を揺らし、小さく首を傾げる暗部の姿を見止めたイルカの瞳が僅かに見開かれる。
「アンタ、下忍?」
「・・・っ」
中忍のみが身に着ける事を許されているベストを身に纏っているというのに、下忍かと聞かれ、途端にイルカの眉間に深い皺が寄った。
「中忍ですッ」
思わずそう返してしまったが、相手は暗部で、しかも流された食器をわざわざ拾ってくれたのだ。
「・・・ありがとうございました」
いくらなんでも失礼かと、食器を受け取りながら立ち上がったイルカは一つ頭を下げて見せる。
ムッとした表情を浮かべたまま告げた少々失礼な礼だったが、銀髪の暗部は気にしなかったらしい。
「アンタ面白いね」
それどころか、プッと吹き出した暗部から、剥き出しの肩が揺れるほどに笑われてしまった。
笑われる理由も、面白いと言われる理由も分からず、イルカはムッとしたまま残りの食器を洗ってしまおうと再び膝を付く。
用が無くなれば立ち去るかと思われた暗部は、だが、イルカの側から立ち去る事は無かった。
「・・・ねぇ。ご飯食べた?」
食器を急ぎ洗うイルカの傍ら。そこにストンとしゃがみ込んだ銀髪の暗部が、そう言いながら暗部面を向けて来る。
皆は食事を終えてしまっているが、イルカはこの洗い物を済ませてから食べるつもりでいる。間近で見る暗部面に少々慄きながらも、まだだとイルカが首を振って見せると、「オレもまだなのよね」と返された。
一体何が言いたいのだろうか。
訝しく思うイルカの視線の先。
「食事、テントまで持って来てくれる?一緒に食べよ」
「え・・・」
銀髪を揺らして首を傾げて見せる暗部から、楽しそうな声でそう告げられたイルカは、その顔を少々引き攣らせていた。
出来る事なら断りたい所だが、食器を拾ってもらった恩がある。
どうしても断り切れず、食器を洗い終えたイルカは配給所で受け取った二人分の食事を手に、先に戻った暗部が居るだろうテントへと向かう。
「・・・どうぞ。入って」
テントの前。声を掛けようとしたイルカよりも先に中から暗部面が覗き、ふと気付けば、食事が乗ったトレイごと中へと引き込まれてしまっていた。
さすがは暗部といった所だろうか。たった一人で割り当てられているらしいテントは、イルカが割り当てられているテントとは比べ物にならない程に広かった。
そのテントの中央。小さな机の上に食事が乗ったトレイを置いた銀髪の暗部が、掛けていた暗部面を外し、その下から現れた口布すらも引き下げてしまう。
それを見たイルカは慌てた。
「あの・・・っ、いいんですか・・・?」
端正な顔を晒した暗部へ恐る恐るそう問い掛けてみると、多くを語らずともイルカの言いたい事を理解してくれたらしい。
「ご飯が食べられないでしょ」
苦笑する暗部からそう返された。
暗部は顔や名前を知られてはいけない規則があった気がするのだが、イルカの気のせいだっただろうか。
「早く食べよ。お腹空いちゃった」
そう言いながら机に着いた暗部が「いただきます」と食べ始めてしまい、それを見たイルカは戸惑いながらも向かい側に腰掛けた。箸を手に、目の前で美味しそうに食べる暗部をそっと窺う。
血も涙も無い人でなしと恐れられている暗部であるが、良く笑うし、こうして食事だってする。
(・・・そりゃそうだよな)
暗部だって人なのだ。
一緒に食べようと誘われた理由が分からず困惑していたが、一人で取る食事が味気なかっただけなのかもしれない。
面映い笑みを小さく浮かべて「いただきます」と手を合わせたイルカはそうして、つかの間ではあったが、気さくに話し掛けて来る暗部との美味しい食事を楽しんだ。




鼻から吸い込む空気がカビ臭い。
明かりが全く差し込まない密閉された地下室だ。澱む空気は湿り気を帯びており、猿轡され、後ろ手に縛られたまま硬い床に転がされているイルカに多大な不快を与えていた。
単独行動は控えるようにと言われていたのに、陣地が近いからと油断した。
いつものように川で洗い物をしていた時に襲われ、人質にでもするつもりなのだろう。呆気なく捕らわれてしまった自分が泣ける程に情けないが、木の葉の里は仲間を見殺しにするような里ではない。
きっと助けが来ると信じて幾数日。明かりの全く差し込まないこの部屋では時間の感覚が薄れてしまうが、そろそろ時刻は夜明けを迎える頃のはずだ。
(・・・腹減ったな・・・)
碌な食事を与えられておらず、ふとした瞬間に弱気が覗いてしまいそうになるが、そんな時に思い浮かぶのは、つい先日、銀髪の暗部と食べた食事の事ばかりだった。
いつもと同じ野戦食だったはずなのに、楽しかったからだろうか。随分と美味しく感じられたあの食事をもう一度食べたい。
その為には、何としても生き延びなければ。
そう心新たに決意し、浮かびそうになっていた涙を懸命に堪えていたその時。
「・・・っ」
外の明かりを全く漏らさない程に重厚だった扉が、ドォンッと大きな音を立てて破壊された。
立ち込める土煙の中。何が起こったのだと懸命に目を凝らすイルカの視界に、朝日に照らされ光り輝く銀色の髪が映る。
大きく瞳を見開くイルカの視線の先。床に転がるイルカの姿を見止めた銀髪の暗部が、大勢の忍犬たちを従えて歩み寄って来る。
「遅くなってゴメンね」
そう言いながら抱きかかえてくれた暗部から猿轡を外され、ホッとしたのだろう。張り詰めていた糸が切れてしまったのか、イルカの目に涙が滲み始めてしまう。
それを隠すように俯きながら首を振るイルカの耳に、「大丈夫?」と心配そうな声が届き、それを聞いたイルカは面映い笑みを小さく浮かべていた。
「腹が減りました」
助けられての第一声がそんな言葉というのもどうかと自分でも思ったが、銀髪の暗部もそう思ったのだろう。
「・・・帰って何か食べよ。一緒に」
イルカの身体を拘束していた縄を解いてくれた銀髪の暗部は、だが、くつくつと小さく笑いながら、イルカが今最も欲しい言葉を掛けてくれた。