30万打お礼SS 雨音 昼過ぎから降り出した梅雨独特の雨が、寝静まった木の葉の里を煙らせている。 受付所を有する木造の建物にも絶えず降り注ぐ雨の音。 深夜勤務に就き、煌々と明かりが点された受付所内でカウンターに一人着くイルカは、それを聞きながら溜まっていた書類整理を進める。 多忙を言い訳に、随分と書類を溜め込んでしまった。 面倒臭がらずにやっておくんだったと後悔しながらも、一度始めてしまえば手馴れた単純作業だ。滅多に邪魔が入らない深夜という事もあり、あと少しで片付くという所まで来た時。 「イルカ先生」 「・・・っ」 不意に名前を呼ばれ、受付所に居るのは自分一人きりだと思っていたイルカの身体が僅かに震える。 気配を全く感じていなかったとはいえ、忍らしからぬ反応をしてしまった。 報告者だろうかと、慌てて顔を上げたイルカの視線の先。 「こんばんは」 「カカシ先生・・・っ」 外界に唯一晒した右目を弓形に細めて笑うカカシの姿を見止めたイルカは、その漆黒の瞳を僅かに見開いていた。 帰還したばかりなのだろう。「お願いします」と報告書を差し出すカカシの銀髪が、その毛先から水を滴らせる程に濡れてしまっている。 「ずぶ濡れじゃないですか!まずは身体を拭いて下さい・・・っ」 もうすぐ夏だとはいえ、濡れたままでは体調を崩してしまう。 カカシから受け取った報告書をカウンターの上に置き、挨拶もそこそこに立ち上がったイルカは、受付所の一角に備え付けられている棚へと急いで歩み寄った。中から大き目のタオルを取り出し、カウンター越しに「これ、使って下さい」と差し出す。 「すみません。ありがとうございます」 苦笑しながらタオルを受け取ったカカシが額当てを取り去り、水を吸っている口布も引き下ろしてしまう。 たまに呑みに行く間柄だ。カカシの素顔を見たのは初めてではない。 相変わらず端正な顔立ちをしている。 水も滴る良い男とはカカシのような人の事を言うのだろうと内心苦笑しながら、報告書を受理しようと椅子に腰掛ける。 そんなイルカの視界の端。手甲に覆われた両手を掲げたカカシが、濡れた銀髪をかき上げた。普段は額当てや前髪で隠れている左目の傷があらわになる。 鼻頭に横一文字に走るイルカの傷と同様、カカシの左目蓋の上に縦に走る傷跡も大きい。 閉じられている目蓋の向こうには写輪眼が―――。 「・・・コレが見たいの?」 イルカがどこを見ているのか気付いたのだろう。ふと小さく笑うカカシからそう訊ねられ、「いえ・・・っ」と首を振って返すイルカは不躾に見ていたかと焦る。 うちは一族唯一の生き残りだったサスケが里抜けした今、カカシの左目に宿る写輪眼は里の宝だ。 中忍で内勤のイルカがそうそう見れるものではないと分かっているし、軽々しく見て良いものでもない。 急いで視線を逸らしたイルカの耳に、だが、カカシの「構いませんよ」という声が聞こえて来る。 「え・・・?」 手元の報告書に落としていた視線を戻した先。カカシの熱を感じる視線に絡め取られたイルカは、見つめるカカシから視線を逸らせなくなった。 「イルカ先生になら見せてもイイと言ったんです」 冗談なのだろうか。軽い口調でそう言ったカカシが、カウンターに片手を着き、イルカへと身を乗り出して来る。 「でも・・・」 途切れる事を知らない雨音の中、密やかに落とされるカカシの声。カカシの端正な顔が近付くにつれ、イルカの胸が痛い程に高鳴っていく。 「・・・見るのなら、ソレ相応の覚悟が必要ですよ?イルカ先生」 受付所内に居るのは二人だけだと言うのに、濃厚な雨の匂いを纏うカカシから内緒話でもするかのように小さく告げられた言葉。 それは、禁断の箱を覗き込む時のような抗い難い誘惑の香りを放っていた。 「覚悟、ですか・・・?」 覚悟とは一体、何の覚悟だろうか。 おずおずとカカシを窺うイルカの視線の先。「そ」と言いながら深蒼の瞳を柔らかく細めるカカシが、イルカの頬に指先を伸ばす。 「・・・オレを受け入れる覚悟」 雨に濡れたからだろう。ひんやりと冷たい指先で頬を擽るカカシから、甘い声でそう囁かれたイルカは、その漆黒の瞳を大きく見開いていた。 「そ、れは・・・」 カカシが言った意味を理解したイルカの頬が赤く染まり、動揺するイルカは見つめるカカシから視線を逸らす。 これまでも幾度と無く、カカシから好意を示された事はあった。 けれどそれは、友人としての好意だと思っていた。本気だとは思っていなかった。 (・・・だってそうだろ・・・) 里一番の忍と謳われ、こんなにも見目良い男が自分を好きだなんて―――。 「イルカ先生」 瞳を泳がせるイルカの頬にカカシの手が添えられ、カカシの顔がさらに近付いて来る。 「イヤなら逃げて・・・?」 本気なのだろう。笑みを消したカカシから囁くようにそう告げられる。 逃げようと思えば充分に逃げられたが、カカシの深蒼の瞳に囚われるイルカが逃げる事は無かった。 雨の匂いに混ざり、さらに濃くなっていく魅惑の香り。 それに当てられてしまったのだろうか。イルカの僅かに震える漆黒の睫がゆっくりと伏せられていく。 そうして戦慄くイルカの唇は、カカシの少し冷たい唇で熱く塞がれていった。 |