夕立 季節外れな夕立だろうか。 アカデミーからの帰宅途中、雷が鳴ると共にポツポツと降り出した雨は、すぐに滝のような豪雨へと変わってしまった。傘を持たないイルカの身体を雨が激しく打ち始め、イルカは慌てて飛沫で視界が煙る中を駆け出す。 残暑に喘いでいた木の葉の里を潤すような雨だ。 恵みの雨なのだろうが、自宅まであと少しという所で降られてしまったのは災難としか言いようが無い。 短い距離だったのにも関わらず、上から下まで全身ずぶ濡れになってしまい、ようやく自宅に辿り着いたイルカは、大事に抱えていた鞄を置きながら大きく溜息を吐く。 「・・・っ、そうだ・・・っ」 吐き切った所で、仕事を持ち帰っていた事を思い出したイルカは、置いたばかりの鞄の側に片膝を付いた。急いで中身を確認する。 身を挺して庇ってもなお、濡れてしまっていた鞄の中。 (・・・良かった。濡れてない) 一番奥底に仕舞っておいたからだろう。子供たちが頑張って書いてくれた作文は、だが、幸いな事に少しも濡れてはいなかった。 それを確認し、ほぅと安堵の溜息を吐くイルカは、その時初めて、自室が薄暗い事に気付く。 「・・・あれ?カカシさん?」 恋人であるカカシから帰還を告げる式を受け取ったのは昼頃だ。任務からは戻って来ているはずだが、まだ帰宅していないのだろうか。 カカシが先に戻っているかと思われた自室は、轟く雷鳴と雨音以外の物音がせず、イルカの呼び掛けにも応えが返って来る事は無かった。 水を吸って重くなった額当て。それを取り去っていたイルカの動きがゆっくりと止まる。 玄関に居るイルカの視線の先。狭い狭いと思っていた部屋がやけに広く感じられ、一抹の淋しさを感じてしまったのだ。 任務が入ったという式は届いていない。 未だ帰宅していないカカシは、誰かに捉まってしまっているのかもしれないし、どこかで雨宿りをしているのかもしれない。 「・・・もうすぐ帰って来るだろ」 殊更明るい声でそう言いながら、泥で汚れているサンダルを脱いだイルカは、濡れた忍服を着替えるべく脱衣所へと足を向けた。シャワーを浴びた方が良いだろうかと思案しながらベストを脱ぎ去り、肌に纏わり付くアンダーも脱いでしまう。 もうすぐ夕飯の時刻だ。イルカもだが、任務帰りであるカカシの方が腹が減っているだろう。 カカシが帰って来たら、すぐにでも食事が出来るよう準備しておこう。 そう考えたイルカは、シャワーは後にしようと髪紐を解いた。水を吸って重たくなっている黒髪を、手に取ったタオルで乱雑に拭う。 そうして身体もざっと拭ったイルカは、棚から取り出した新しいアンダーに着替え、夕飯を作る為に台所へと向かった。 恵みの雨を喜ぶ蛙たちの鳴き声が遠くに聞こえる。 停電してしまうのではと思われたほどの激しい雷雨も、イルカが食事の準備をしている間に上がったようだった。 部屋を明く照らす電灯の下。卓袱台の上に並べた食事を眺めながら座布団に腰を下ろすイルカは、ふと小さく溜息を吐く。 (・・・遅いな・・・) 雨はすっかり上がっている。 そろそろ帰って来ても良い頃だろうと思うのだが、何かあったのだろうか。未だ帰宅しないカカシの身が少し心配になって来る。 緊急の任務が入ったり、帰宅が遅くなるようであれば、必ず連絡の式を飛ばしてくれるカカシだ。 式が届いていないという事は、もしかすると、もうすぐそこまで帰って来ているのかもしれない。 様子を見に外に出てみようか。 そう考えたイルカが、立ち上がろうと片膝を立てた時。 (・・・あ) ほんの僅かであるが、遠くからカカシの気配が近付いて来る事に気付いたイルカは、その顔にふと柔らかな笑みを浮かべていた。よいしょと立ち上がり、冷めてしまっただろう茄子の味噌汁を温め直すべく台所へと向かう。 里の誉れと謳われるほど優秀な忍であるカカシの気配を感じ取る事が出来るのは、この里でもごく一部の者だけだろう。 イルカは中忍だ。上忍であるカカシの気配を感じ取る事は到底不可能だろうと思われていたが、いつからだっただろうか。 共に在る時間が長くなっていくにつれ、常に消しているカカシの気配を、ほんの僅かではあるが感じ取る事が出来るようになった。 その事を嬉しく思ったイルカだが、カカシはそうではないかもしれない。 しばらく秘密にしていようと思ったのだが、聡いカカシは、イルカがカカシの気配を感じ取っている事にすぐに気付いたらしい。 気配を感じ取れるのかと指摘されて焦ったが、躊躇いながらも正直に頷いたイルカに対し、カカシは「嬉しい」と、本当に嬉しそうな笑みと共にそう言ってくれた。 過酷な任務に就く事の多いカカシの為にイルカが出来る事は、そう多くは無い。 任務に就くカカシの無事を祈り、カカシが無事に帰還したら「お帰りなさい」と声を掛け、こうして暖かい食事を用意して待っている事くらいしか出来ないイルカだが、そこに最近、帰宅したカカシを玄関で出迎えるという仕事が加わった。 ―――「お帰りなさい」って、玄関で出迎えて欲しいんです。 イルカがカカシの気配を感じ取れると知ったカカシからの提案だが、カカシからのお願いをイルカが断るはずもない。 二つ返事で引き受けたイルカだが、カカシが玄関で出迎えて欲しいと願った理由が、今日やっと分かった気がする。 (・・・カカシさんって、意外と淋しがり屋なんだな) 自分の事は高い棚に押し上げそんな事を思うイルカは、面映い笑みを小さく浮かべながら温め直した味噌汁を火から下ろし、すぐそこまで帰って来ているカカシを出迎えるべく玄関へと向かった。 |