ポップコーン






待機所に設置されたソファの一角。
開け放たれた窓から随分と涼やかになった秋風が吹き込むその場所は、カカシが待機所に居る時の定位置だ。
愛読書片手にゆったりと座り、任務が入るのを忠犬宜しく待つ場合が多い待機所であるが、カカシは時々、恋人であるイルカの仕事が終わるのをここで待つ事がある。
仕事が終わったら、イルカに迎えに来てもらうのだ。
終わる頃を見計らってイルカを迎えに行き、カカシを見止めた途端嬉しそうな笑みを浮かべる可愛らしいイルカの姿を見るのもいいが、イルカを待っているこの時間や、迎えに来てくれた時のイルカの申し訳なさそうな顔を見るのもカカシは好きだったりする。
今日も今日とて、その待機所でイルカの仕事が終わるのを待っていたカカシは、だが、迎えに来たイルカの申し訳なさそうな表情を見る事は出来なかった。
近付いてくる愛しい気配に気付き、愛読書に落としていた視線をドアへと向ける。それとほぼ同時に待機所のドアが開き、そこから現れたイルカの表情が綻んでいるのを見たカカシは小さく首を傾げていた。
定位置に座るカカシを見止め、その顔をさらにぱぁと綻ばせたイルカが、「失礼します」と礼儀正しく頭を下げて中へと入ってくる。
「お待たせしてすみません」
「そんなに待ってませんよ。お仕事お疲れ様」
側に立ったイルカを見上げて告げたカカシの労わりの言葉に、嬉しそうな笑みを浮かべていたイルカが、続いて急くように「あの」と声を掛けて来る。
「カカシさんは映画はお好きですか?」
「・・・映画、ですか?」
小さく首を傾げ、そう問い返したカカシのその言葉に、イルカが一つ頷く。
「はい。リバイバルの映画なんですけど、レイトショーのチケットを貰ったんです。食事の後、一緒にどうかなと思って」
それを聞いたカカシは、心の中で一人納得していた。
(あぁ、それで・・・)
迎えに来てくれたイルカが、いつもと違い申し訳なさそうな顔をしていなかったのは、食事の後の映画に心を躍らせていたからなのだろう。待機所へと入ってきた時同様、楽しそうな表情を見せているイルカから視線を逸らしたカカシは、俯きながら柔らかな笑みを浮かべた。座っていたソファからよいしょと立ち上がる。
「いいですね。一緒に観よっか」
「はいっ」
手に持っていた愛読書をポーチに仕舞いながら告げたカカシのその言葉に、イルカはそれはそれは嬉しそうな笑みを浮かべて頷いた。




食事を早々に済ませ、イルカと共に映画館へと向かう。
いつもは混雑している事が多い映画館も、平日の夜だからか人影は少なかった。
「当日券に引き換えて来ますね」
そう言ってチケット売り場へと向かったイルカの背中を見送っていたカカシは、どこからか漂ってくる嗅ぎ慣れた匂いに気付き、その視線を巡らせた。それを見止めたカカシの顔に、ふと笑みが浮かぶ。
映画館にはありがちなポップコーン売り場で、イルカが大好きな一楽ラーメン味のポップコーンが売られていた。
食事の後ではあるが、一楽ラーメンは別腹だと言うくらい一楽好きなイルカの事だ。食べてみたいだろうと買いに行こうとしたカカシの元に、当日券を手にしたイルカが早くも戻ってくる。
「イルカ先生、アレ」
「うわ、一楽ラーメン味!」
カカシが指し示すと、イルカは一楽の文字を見止めた途端、その瞳をキラキラと輝かせた。思ったとおりの表情を浮かべて見せるイルカに、カカシの顔にもふと笑みが浮かぶ。
「食べてみるでしょ?」
「はい!」
もちろんと言わんばかりに大きく頷いたイルカと共に、ポップコーン売り場へと向かう。大きな入れ物に入ったポップコーンを一つと二人分の飲み物を買い、ポップコーンを嬉しそうに抱えるイルカと共に劇場の中へと入る。
リバイバルだからだろうか。観客席はガラガラだった。空いていた座席に二人並んで座る。
それからすぐに始まった少し色褪せたその映画は、一昔前に流行した家族愛物だった。
膝の上に置いたポップコーンを口元に運びながら、穏やかに流れていく映像に見入っているイルカの横顔を盗み見る。
アカデミー生くらいの小さな主人公に感情移入してるのだろう。時折浮かぶ笑みだとか、顰められる眉だとか。映画よりもイルカの表情に視線を奪われてしまう。
そんなカカシの視線にふと気付いたイルカが、少し不安そうな表情を浮かべ、カカシへと顔を寄せてくる。
「映画、つまらないですか・・・?」
周囲の迷惑にならないようにだろう。潜められたイルカのその声に、カカシは小さく笑みを浮かべ「ううん」と首を振った。
「ソレ、イルカ先生の手が止まらないから美味しいのかなと思って。ちょっとちょうだい?」
こちらも小さく潜めた声でそう言いながら、口布を指先で引き下げたカカシは、雛鳥のようにあーんと口を開けた。
照れているのだろう。頬を赤く染めたイルカが、恥ずかしそうにしながらもポップコーンを少し口の中に入れてくれる。
本当に一楽ラーメンの味がするそのポップコーンは、意外と美味しく感じられた。
「ありがと。美味しいね」
口布を戻したカカシが笑みを浮かべて礼を告げると、イルカは嬉しそうな笑みを浮かべ一つ頷いた。
スクリーンへと視線を戻し、そこに映し出される家族団欒の風景に瞳を眇める。遠い遠い昔に失ってしまったはずのその風景を、つい最近どこかで見たような気がしたカカシは、移り変わる映像を眺めながら小さく首を傾げていた。
どこで見たのだろうかと少しの間記憶を探り、あぁと思い出す。
(イルカ先生との日常だ・・・)
それに気付いたカカシは、ふと小さく笑みを浮かべていた。隣に座るイルカの肩へ、そのままゆっくりと頭を乗せる。
「眠いんですか・・・?」
肩から伝わる振動と、耳に届く優しいその声に小さく首を振る。
「ううん。ちょっとこうしてたいだけ・・・」
綺麗な夕暮れを眺めながら川原を並んで歩いたり、楽しく会話しながら食事をしたり。
こうして映画を観ている今だって、イルカと共に過ごす何気ない時間は全て、幸せと呼ばれるものに満ち溢れている。
(幸せだねぇ・・・)
触れ合う場所から、じんわりとイルカの温もりが伝わってくる。
胸までも暖かくしてくれる幸せなその温もりを心ゆくまで味わいながら、カカシはその瞳を僅かに眇めていた。イルカに出会え、こうして共に居られる奇跡を感謝する。
そうして。
(出来ることなら・・・)
イルカも、この幸せを感じていてくれたらいい。
共に居る何気ない瞬間に、幸せだなと、そう感じていてくれたらいい。
映画を観ながらそんな事を思うカカシは、映画が終わるその瞬間まで、何故か浮かびそうになる涙を堪えるのに苦労した。