進まない時計






上忍師としての初任務を終え、受付所へ報告書を提出しに向かう途中だった。
先頭を歩いていた黄色い髪の少年が、何を発見したのか弾かれたように走り出す。
その走り出した先。
「イッルカ先生ッ!」
文字通り突進したナルトに背後から勢い良く抱き付かれ、驚いたのだろう。
「ぉわ・・・っ」
手に持っていた資料らしき束を取り落としそうになった男性が、振り返った先、腰に纏わり付くナルトの姿を見止め、その顔に嬉しそうな笑みを浮かべる。
だが、イルカと呼ばれたその男性が笑みを浮かべていたのは一瞬だった。すぐに眉間に皺が寄り、ゴンという小気味好い音と共にナルトの頭に拳が落ちる。
「危ないから飛び付くなっていっつも言ってるだろ、ナルト!」
容赦の無いその拳はかなり痛かったらしい。声も無く蹲るナルトを見て、カカシは小さく苦笑する。
(・・・この人か)
三代目火影から少し聞いている。
腹に九尾を宿し、里の人間から疎まれ続けていたナルトの唯一の理解者―――うみのイルカ。
ナルトを担任していたアカデミー教師で、受付所勤務も兼任する人物だ。
火影が言っていたように、ナルトが本当に良く懐いている。
仁王立ちするイルカを見上げ、へへと面映そうな笑みを浮かべるナルトを見ながらそんな事を思っていると、近付くカカシにイルカがようやく気付いた。
「もしかして、カカシ先生・・・ですか?」
そう問い掛けられ、カカシは「ええ」と頷いてみせる。すると、イルカの顔に綻ぶような笑みが浮かんだ。
「初めまして。こいつらの元担任のうみのイルカと言います」
高く結った黒髪を揺らしながら軽く会釈するイルカへ、カカシもニッコリと笑みを浮かべ、「はじめまして、イルカ先生」と挨拶を返す。
表情がコロコロと良く変わる忍らしくない人―――。
カカシのイルカに対する第一印象は、そんな感じだった。





朝もやの中、そこだけ時が止まっているかのようだった。
昇り始めたばかりの太陽が辺りを明るく照らし始めた頃、慰霊碑の前に立ったカカシは、かつての仲間に自分が上忍師になった事を報告していた。
カカシが師と仰いだ人物は、後にも先にも四代目火影のみだが、その師と同じ髪色を持つ少年から師と呼ばれるのは感慨もひとしおだ。
慰霊碑に視線を落とすカカシの口布の下、ふと小さく苦笑が浮かぶ。
願うならば、もう少し。ナルトには落ち着きと余裕を持って行動して欲しい。
脳裏に思い浮かべる四代目火影にそう訴えて掛けてみるが、返って来たのは、いつもと変わらぬ笑みのみだった。カカシの口元に浮かんでいた苦笑が自嘲の笑みへと変わる。
任務に明け暮れる日々を送り、変わらない変わらないと思っていたが、時は確実に経過していたらしい。初めて会った時、まだ赤子だったナルトが今や下忍だ。
昔のまま、時が進んでいないのは自分のみか。
そんな事を思いながら僅かに俯くカカシの口元に浮かんでいた笑みが不意に消える。覚えのある気配が近付いて来ている事に気付いたからだ。
「・・・カカシ先生?」
目的地はやはりここだったのだろう。背後からそっと声を掛けられ振り返ってみると、小さな花束を抱えたイルカが歩み寄って来ていた。
「偶然ですね」
つい先日挨拶を交わしたばかりだ。驚いた表情を浮かべていたイルカから、続いて面映そうな笑みを向けられ、カカシも「そうですね」と小さく笑みを浮かべて返す。
誰かが眠っているのだろう。「失礼します」とカカシの前に歩み出たイルカが、慰霊碑の前で片膝を付き、手に持っていた花束を置く。
「・・・誰が眠っているんですか?」
慰霊碑に眠るのは、その多くが九尾に殺された者たちだ。興味を引かれたカカシがそう訊ねてみると、苦笑したらしいイルカから「両親です」と、思わぬ答えが返って来た。
それを聞いたカカシの深蒼の瞳が僅かに見開かれる。
少々驚いた。
両親を九尾に殺されたというのに、その九尾を腹に宿すナルトを、イルカはあんなにも可愛がっているというのか。
いや、もしかしたら―――。
「・・・あの、ナルトは上手くやれそうですか・・・?」
もう終わったのだろう。ゆっくりと立ち上がり、背後に立つカカシを振り返ったイルカから心配そうにそう訊ねられ、カカシの胸に沸き起こったばかりの猜疑心が掻き消える。
カカシを真っ直ぐに見つめるイルカの漆黒の瞳は揺らぐ事が無く、イルカの言葉に嘘偽りは無いと知れたからだ。
真っ直ぐに向けられるイルカの瞳は、上忍であるカカシに対しても媚びる様子を見せない。
ナルトが懐くはずだ。
見つめるイルカから僅かに視線を逸らすカカシの口元に、ふと小さく苦笑が浮かぶ。
イルカという理解者を得、サスケ、サクラという仲間を得たナルトはこの先、確実に強くなって行くに違いない。
「大丈夫ですよ。アイツは強くなります」
柔らかな笑みを浮かべるカカシがそう告げると、それを聞いて安堵したのだろう。「そうですか」と、声の調子を少し上げたイルカから、本当に嬉しそうな笑みを向けられた。
それを見たカカシの深蒼の瞳が僅かに見開かれる。
「それじゃ、アカデミーがありますので。お先に失礼します」
そう言って軽く会釈し、慰霊碑の前から立ち去るイルカの後ろ姿を見送りながら、カカシは参ったなと銀髪を掻く。
ナルトと同じく、自分の事も理解して欲しい。気に掛けて欲しい。
イルカが側に居れば前に進めるかもしれない。過去に囚われ、進まなくなってしまった時計を進められるかもしれない。
そんな事を思ってしまい、小さく苦笑を浮かべるカカシは、朝日を受けて歩くイルカの背中を追い掛ける。
「イルカ先生」
カカシの声を聞き止め、振り返ってくれたイルカが「はい?」と小首を傾げてみせる。
そんなイルカへ笑みを浮かべて見せながら、「途中まで一緒に行っても?」と訊ねると、躊躇いすら見せずに「はい」と頷いてくれたイルカの嬉しそうな笑みが、カカシには、昇り始めた太陽よりも眩しく感じられていた。