屋上のフェンス越し






病室へと続く扉が整然と並ぶ廊下を、沈み始めた太陽が茜色に染めている。
少し前まで野戦病院と化していたはずの木の葉病院は、だが、五代目火影に医療忍でもある綱手が就任したからだろう。だいぶ落ち着きを見せ始めて来ていた。
里の復興も目に見えて進んでいる木の葉の里であるが、任務に関しては話が別だ。
大蛇丸による木の葉崩しで大きく削られた戦力は未だ戻らず、最低限の人員のみを里に残し、動ける者は誰しも任務に借り出されている。
イタチの術で昏倒し、綱手の手により復帰したばかりのカカシもその中の一人だ。Sランク任務を中心に、日々任務に追われる生活を送っている。
サスケとの闘いで負傷したナルトを、この木の葉病院へと運び込んでから数日。
ようやく様子を見にやって来れたものの、ナルトの気配を探って辿り着いた病室内に、カカシと同じく見舞いに来たのだろう。イルカの気配を感じたカカシは、だが、病室に顔を出す事無く屋上へと向かっていた。
―――口出し無用!あいつらはもうあなたの担任じゃない。今は私の部下です。
子供たちの元担任であるイルカを避けるような真似をしたのは、あんな大口を叩いておきながら、サスケの里抜けを未然に防げなかった自分が恥ずかしかったからだ。
イルカが帰るまで待とうと屋上へと続く扉を押し開けながら、カカシはその口布の下、小さく溜息を吐く。
屋上に出てすぐ。頭上に拡がる澄んだ青色と茜色が混在する空は、それを見上げるカカシから思わず感嘆の溜息を引き出す程に綺麗だった。
ズボンのポケットに片手を突っ込みながらフェンスの側に歩み寄り、カカシはゆっくりとその背を預ける。
ナルトとサスケ、二人が大穴を開けた二つの給水タンクは、既に新しいものに取り替えられていた。茜色の日差しをフェンス越しに浴びながら、それを眺めるカカシは深蒼の瞳を切なく眇める。
ナルトとサスケが衝突したあの日。
この場所で、「また昔みたいになれる」とサクラに言ったが、サスケが里抜けしてしまった今、もうそれは叶わない事なのかもしれないとカカシは思う。
(・・・サスケ・・・)
薄暗い焔を宿していたサスケの瞳を思い浮かべたカカシの眉根が、きつく引き絞られていく。
任務に追われていたとはいえ、あの時、サスケを一人にするべきではなかった。きちんと向き合い、話を聞いてやるべきだった。
里抜けしたサスケを追い、負傷したナルトの小さな身体を背に里へと戻りながら、カカシは何度自分を責めただろう。
そして今、子供たちの元担任であるイルカならどう向き合っただろうかと考えてしまうのは、子供たちの心を誰一人として救えなかったカカシが、子供たちから『師』と呼ばれるに値しないと自信を無くしてしまっているからだ。
深淵に沈み行こうとする自分をしっかりしろと叱咤し、ガシガシと銀髪を掻くカカシから小さな溜息が零れ落ちる。
昔から変わる事無く、後悔ばかりする自分が嫌になる。
こんな精神状態でナルトを見舞っても、サスケを連れ戻せなかった事で落ち込んでいるだろうナルトに、気の利いた言葉一つ掛けてやる事も出来ない。
(今日は帰った方がいいな・・・)
また日を改めようと凭れていたフェンスから身を起こしたその時、ナルトの見舞いは終わったのだろうか。何故か屋上へと向かって来るイルカの気配に気付いた。
中忍選抜試験のあの一件以来、イルカとは顔を合わせていない。
子供たちを推した自分に対し、あれだけ憤っていたイルカだ。子供たちがバラバラになってしまった今、顔も見たくは無いのではないだろうか。
そう思いながらも、立ち去るか否か迷っているうちに屋上へと続く扉が開かれ、イルカが姿を現してしまう。
屋上に姿を現したイルカは、だが、目当てはカカシだったのだろうか。カカシの予想に反し、カカシの姿を見止めた途端、その顔に小さく笑みを浮かべて見せた。
「・・・やっぱりカカシ先生でしたか」
「え・・・?」
カカシが屋上に居る事を知っていたようなイルカのその口振りに、カカシの首が僅かに傾ぐ。
「廊下の窓からカカシ先生の姿が見えたので・・・」
「・・・あぁ」
疑問が顔に出ていたのだろう。笑みを苦笑に変えたイルカからそう告げられ、見られていたのかとカカシの口元にも小さく苦笑が浮かぶ。だが。
「・・・ナルトの見舞いに来て下さったんですよね?」
続いてそう問われたカカシは内心、しまったとほぞを噛んでいた。
忙しい任務の合間を縫って病院へやって来たカカシが、ナルトを見舞っていたイルカを避けて屋上へ向かった事に、聡いイルカは気付いているのだろう。気まずい空気が二人の間に流れ始めてしまい、カカシはガシガシと銀髪を掻く。
「・・・ゴメンね、イルカ先生」
「・・・え・・・?」
思い切って謝罪の言葉を口にすると、何に対する謝罪なのか分からなかったのだろう。首を小さく傾げるイルカが、その顔に怪訝な表情を浮かべて見せる。
「あなたにあんな事を言っておきながら、オレはサスケを止める事が出来ませんでした・・・」
サスケとナルトの衝突を、あの日この場で、この目で見ていたというのに、衝突に至ったサスケの気持ちを軽んじてしまった。
「・・・上忍師失格です」
「それは・・・っ」
自嘲の笑みを小さく浮かべるカカシがそう告げた途端、イルカはそんな事は無いと言うように首を振った。
「・・・それは、あいつとキチンと向き合えなかった俺も同じです・・・」
徐々に俯いていくイルカの口から、思わぬ言葉を聞いたカカシの深蒼の瞳が僅かに見開かれる。
「・・・イルカ先生・・・」
イルカも自分と同じ想いを抱えているのだろうか。僅かに俯くイルカを見つめるカカシの深蒼の瞳が切なく眇められていく。
子供たちを介して知り合い、中忍選抜試験の前まで時折一緒に呑む間柄だったが、イルカのこんな表情を見るのは初めてだ。
「・・・イルカ先生。今度、呑みに行きませんか?」
「え・・・?」
突如呑みに誘われて驚いたのだろう。俯いていたイルカが顔を上げ、そんなイルカへ小さく笑みを浮かべて見せるカカシを不思議そうに窺って来る。
「今夜は任務が入ってるのでちょっとムリですが、また前みたいに。・・・一緒に呑みましょ。ね?」
中忍選抜試験の時は意見を違えてしまった二人だが、子供たちを想う気持ちは今もきっと同じだ。
深蒼の瞳を柔らかく細めながら告げたカカシのその言葉で、カカシの想いを推し量ってくれたのだろう。カカシの背後にあるフェンス越し。沈み行く太陽に照らされながら、イルカが嬉しそうな笑みを小さく浮かべて見せてくれる。
「・・・はい」
イルカが頷いてくれた瞬間。カカシは、一時は遠く離れてしまっていたイルカとの距離が、再び近付いた気がしていた。