人違い カカシがまだ暗部に属していた頃、里から遠く離れた任地での出来事だった。 敵方に不穏な動きがあったとの報せを受け、暗闇の中、木々の合間を縫って急ぎ跳躍するカカシの耳に僅かに届いた怒鳴り声。 (何だ・・・?) 暗部面を掛けていると、どうしても視野が狭くなる。 声がした方向へと顔を向けたカカシの視界に飛び込んで来たのは、合意の上の行為では無いのだろう。男に馬乗りにされた人物が、高く結った黒髪を乱しながら激しく抵抗している姿だった。 二人とも木の葉の額当てを身に付けており、それを見止めたカカシは眉を顰める。 消耗戦と言われた第三次忍界大戦が終結したばかりだというのに、九尾の襲撃によって里の弱体化が進み、同胞が犠牲となる事の多い伽の強要は規則で禁止されているはずだ。 合意でないのであれば当然止めるべき所だが、何しろ今は時間が無い。 どうする、と迷うカカシの視線の先。男の影に隠れていた彼の瞳が覗き、カカシの存在に気付いたのだろう。カカシの姿を見止めたその漆黒の瞳が大きく見開かれた。 次の瞬間。 「・・・何やってるの」 身を切るような殺気を纏わせながら二人の側に降り立ったカカシは、鉤爪が付いた手甲を纏うその手で、馬乗りになっていた男の身体を力任せに引き剥がしていた。男の身体が軽く飛び、側にあった木の幹へドンッと大きな音を立てて衝突する。 男の影になり見えていなかったが、組み敷かれていた彼は、鼻頭に横一文字に刻まれた傷跡を有していた。 肩で息を吐きながら見上げて来る彼を背に庇ったカカシは、突然の暗部の登場に驚いているのだろう。瞳を大きく見開いている男に向けて冷ややかに言い放つ。 「この人オレのだって知らなかった?今回は見逃してあげるけど、次やったら命が無いよ」 「・・・っ」 銀髪を揺らして小さく首を傾げるカカシがそう告げると、纏う殺気とは裏腹な静か過ぎるその声でカカシの言葉を信じたのだろう。顔色と声を無くした男から何度も頷き返された。 殺気まで出したのは少々やり過ぎた感があるが、時間に追われる身であるカカシは、これ以上彼を手助けする事は出来ない。 「大丈夫?」 背後に居る彼を一度だけ振り返り、「はい」という返答と、襲われ掛けてもなお気丈さを失わない彼の瞳を確認したカカシは、僅かに後ろ髪を引かれながらも二人をその場に残して大きく跳躍する。 あれだけ脅しておけば、もう彼に手出しをしようなどとは考えないだろうが、時間を見つけて彼の様子を見に行こう。 そう思っていたカカシであるが、その後すぐ別の任務に就く事になり、それ以来カカシが彼と会う事は無かった。 彼と会う事は無かったのだが、どうやらその一件で、彼が暗部の手付きだという噂が広まってしまったらしい。噂を聞いたという暗部仲間から、幾度かからかわれた事があった。 暗部の手付きともなれば襲われる事はもう無かっただろうが、嫌悪感もあらわに激しく抵抗していた彼にとって、その手の噂は屈辱的だっただろう。 逆に悪い事をしてしまったという罪悪感を抱えながらも、遠い昔の記憶として忘れ去っていたそんなある日。 上忍師として初めての任務に就く為、三人の子供たちと共に向かった受付所で、カカシはその彼と偶然再会した。 鼻頭の傷と印象的な瞳ですぐに気付いたが、こんな形で再会するとは思ってもいなかった。 「・・・イルカ先生と知り合いなの?カカシ先生」 驚きに深蒼の瞳を見開くカカシを見たサクラから訝しそうにそう問われ、カカシはハッと我に返る。 イルカという名前をナルトからも聞いている。子供たちの元担任なのだろう。 どういう知り合いかと尋ねられて困るのはイルカだ。 「・・・イヤ、人違いだったみたい」 見上げて来るサクラにそう苦笑して返し、カカシはイルカの前へ足を進める。 暗部面を掛けていて顔は分からなかっただろうが、この里で銀髪を有するのはカカシくらいだ。 暗部に属していた頃からカカシの名は各国に知れ渡っており、イルカもすぐに気付いただろうと思ったが、覚えていないのだろうか。 「お疲れ様です。本日の任務依頼書はこちらです」 事務的な声と表情で依頼書を差し出され、カカシは僅かに落胆する。 だが―――。 (・・・コレって・・・) 依頼書と共に渡された小さなメモ紙に、イルカが書いたのだろうか。丁寧な文字で時間と、とある居酒屋の名前が書かれているのを見止めたカカシは、その深蒼の瞳を僅かに見開いていた。 急いで戻したカカシの視線の先。イルカから真っ直ぐに見上げられたカカシは、初めて見た時から、その印象的な漆黒の瞳に囚われていた自分に気付く。 「・・・確かに」 イルカの話が何なのかは分からないが、イルカに近付けるだろうこの機会を失いたくない。 行くという意味を込めてそう告げると、噂の原因となったカカシの事を悪くは思っていないらしい。途端にイルカの顔が綻んだ。 「宜しくお願いします」 イルカから笑顔を向けられたカカシの胸が大きく高鳴り、正直過ぎる自分にカカシは内心苦笑する。 そうして依頼書を片手に受付所を後にしたカカシは、子供たちと共に任務へと向かいながら、いつになく心が躍るのを感じていた。 |