ナイフとフォーク






里の閑静な住宅街。
和モダンな雰囲気を持つそのレストランは、間仕切りでほぼ個室となる上、暖かな色合いの間接照明と木材を多用した店内の雰囲気が女性に人気らしく、予約を取るのが難しいと言われている。
月の無い夜闇の中。高い木の枝上から、照明に煌々と照らされ浮かび上がるそのレストランを見下ろすカカシは、外界に唯一晒している深蒼の瞳を切なく眇めた。
その視線の先にあるのは、大きく取られた窓越し。いくつかあるテーブルの一つに着席し、二人分の食事を前にうな垂れるイルカの姿だ。
イルカのこんな姿を見るのも、もう何度目だろうか。
階級を越えた友人という位置に居るイルカは恋多き男だ。だが、いい人で終わってしまうらしく、振られた数も数え切れない程に多い。
デートなのだと嬉しそうに言っていたイルカの笑みを思い出したカカシは、ふと小さく溜息を吐く。
(・・・オレならあんな顔させたりしないのに・・・)
イルカが振られるたびにそう思うが、同性という高い高い壁を持つカカシにとって、友人という確固たる地位はどうしても捨て難いものだった。
冷めていく食事を前にいつまでも動こうとしないイルカを見ていられず、自らの銀髪をガシガシと掻いたカカシは、凭れていた木の幹から身体を起こした。ふわりと音も立てずに地面に着地し、そのままレストランへと歩き出す。
「いらっしゃいませ」
重厚な扉を開けた途端、にこやかな笑みを浮かべるウェイターが歩み寄って来たが、カカシは片手を上げる事で暗に案内は必要無いと告げた。イルカの気配を辿り、迷う事無くイルカが居る間仕切りの前へと辿り着く。
その間仕切りの向こう側。
カカシが来た事にも気付いていないのだろう。俯いたままのイルカの姿を見止めたカカシは、その深蒼の瞳を僅かに眇めていた。
テーブルを挟んでイルカの前。空席になっている椅子の背に手を掛ける。
「・・・ココ、空いてる?」
驚かせないよう静かな声でそう問い掛けると、俯くイルカの身体が僅かに震えた。
ゆっくりと顔を上げたイルカの漆黒の瞳がカカシの姿を捉え、僅かに開かれたその口が何かを言い掛けるも言葉にはならなかった。その代わり力無い苦笑を小さく浮かべながら「どうぞ」と言ってくれ、手を掛けていた椅子を引いたカカシは腰掛ける。
「コレ、食べないの?」
小さく首を傾げるカカシが目の前にある食事を指差しそう訊ねてみると、イルカの顔に浮かんでいた苦笑が深さを増した。
「食欲が無くて。・・・あ、食べていいですよ」
「じゃあ遠慮なく」
料理に罪は無い。
食べて良いと言ったイルカにそう返したカカシは、両手に嵌めていた手甲を外した。口布も引き下げ、外した手甲を置く代わりに、テーブルの上に置いてあったナイフとフォークを手に取る。
どうしてここにカカシが居るのか、それを問い掛ける気力すら無いのだろう。黙々と食べ始めたカカシをぼんやりと見つめていたイルカは、だが、時間が経つにつれてその顔を再度俯かせてしまった。
「・・・カカシさんは振られる事なんて無いんでしょうね・・・」
いくつかに仕切られた白い皿の一角に、綺麗に盛り付けされている鮭の切り身。それにナイフとフォークを伸ばしていたカカシの動きが一瞬だけ止まる。
「・・・何言ってるの」
口元に小さく苦笑を浮かべたカカシは、そう言いながら一口大に切った鮭の切り身を、フォークを使って口元へと運んだ。
「オレなんか、好きな人に振り向いても貰えてませんよ」
そう続け、香ばしく焼かれた鮭を口にする。
鮮度にも拘っているのだろう。目の前にある食事はどれも、食べないのがもったいないと思うほどに美味しかった。
「・・・まさか」
美味しい食事を挟んで目の前。ふと小さく苦笑したらしいイルカからそう告げられたカカシは、俯いたままのイルカにチラと視線を向けた。大きく溜息を吐きながら、持っていたナイフとフォークを皿の上に置く。
超が付くほど鈍感なイルカは、カカシの気持ちに全く気付いていないらしい。
カカシがどうしてここに居るのかすら、振られた事で頭がいっぱいになっている今のイルカにとっては、どうでも良い事なのだろう。
(・・・オレなら・・・)
自分ではなく、他人の事で頭をいっぱいにさせているイルカを振り返らせたい。自分を見てくれさえすれば、イルカにこんなに哀しそうな顔は絶対にさせないのに―――。
「・・・どうしてオレがココに居るか分かってる?」
イルカを振り返らせる為には、手を出せずとも傍に居られた友人の地位を放棄するしか方法は無い。
イルカをひたと見つめながらそう問い掛けたカカシは、腰掛けている椅子に深く凭れた。
「・・・え・・・?」
カカシが問い掛けた言葉の意味が良く分かっていないのだろう。不思議そうな表情を浮かべて顔を上げたイルカを、カカシはじっと見つめ続ける。
「ちょっとくらい振り向いてくれてもイイと思うんですけど」
きょとんとした表情でカカシを見つめていたイルカは、小さく首を傾げてそう告げたカカシの言葉の意味を、しばらくしてようやく理解したらしい。
「え、え・・・っ?」
戸惑った表情を浮かべたイルカが、その顔を徐々に赤く染め始めた。それを見たカカシは、深蒼の瞳を僅かに見開く。
(・・・コレは・・・)
潔癖な所のあるイルカだ。同性なんてと拒絶される事も覚悟していたが、この反応を見る限り、多少なりとも希望を持って良いのかもしれない。
どちらにしろ、もう気持ちは伝えてしまったのだ。
伝えたからには今までの経験を生かし、ありとあらゆる手を使ってイルカを落とさなければ。
そう決意したカカシは、凭れていた椅子の背からゆっくりと身体を起こした。行儀悪くテーブルに頬杖を付き、不敵な笑みを浮かべて見せる。
「もう『イイお友達』はやめますから。覚悟して下さいよ、イルカ先生」
カカシからそんな事を言われるとは思ってもいなかったのだろう。そう宣戦布告されたイルカは、カカシを見つめる漆黒の瞳を大きく見開いたまま、しばらくの間反応を返さなかった。