感謝の日 4 幼い頃と違い、誕生日だからといって特別な何かがあるわけではない。 高耶ももう良い大人であるからして、いつものように出勤し、いつものように仕事をする。 特別な何かがあるとしたら就業後だが、動物たちが恋人だと思っている高耶は、今年の誕生日も一人で過ごすのだろうと思っていた。 (・・・そういや、誰かと会う約束したのって久しぶりだ) 地元を出て約三年。こちらでは友人らしい友人も居ない高耶は、仕事が忙しい事もあり、遊びに出掛ける事が滅多に無い。 誰かと会う約束をしたのが久しぶりだったからだろうか。 「・・・何か良い事でもあったのか?高耶」 いつものように出勤した上杉動物園で、全職員参加のミーティングが終わった後。昼飯前で空腹を抱える高耶が、ホワイトタイガー舎屋へ戻ろうとミーティング室を出た所で、背後から笑みを含んだ声が掛けられた。 振り返った高耶の視線の先。 「色部さん」 高耶と同じ青い繋ぎを身に纏い、その顔に柔らかな笑みを浮かべて見せたのは、この動物園の園長である色部だ。 園内でも無愛想で知られている高耶だが、色部の前でだけはそれも影を潜める。 高耶の過去を知っている色部相手に身構える必要は無いからだ。 顔に出ていたのだろうかと内心焦る高耶が面映い笑みを小さく浮かべると、そんな高耶を見た色部の顔に浮かんでいた笑みが深さを増した。 「久しぶりに昼飯付き合ってくれないか」 あまり突っ込まれたくない高耶の心情を汲んでくれたのだろう。話題を変えてくれた色部のその言葉にホッとする高耶は、笑みを浮かべて一つ頷いて見せる。 「もちろん」 園長である色部の口から語られる話は勉強になる事ばかりだ。 二つ返事で快諾した高耶の視線の先。出会った頃より増えた気がする目尻の皺を深める色部が、「何がいい?奢ってやる」と続ける。 高耶の誕生日を覚えていてくれたのだろう。 「今日はお前の誕生日だろう?」 高耶が断りの言葉を口にする前にそうも告げられ、僅かに見開かれていた高耶の漆黒の瞳が面映そうに眇められる。 地元を離れて一人で暮らす高耶にとって、色部は父親代わりのような存在だ。 「ありがとうございます」 自分を気に掛けてくれている存在が居る事を嬉しく思う高耶は、感謝の笑みを浮かべ、祝ってくれるという色部の言葉に素直に甘えた。 昼飯を奢ってくれた色部からの「今日は定時で上がるように」という上司命令をありがたく受けた高耶は、最寄り駅を降りたその足で直江の家へと向かう。 早く帰れると事前に連絡してはおいたが、余程腹が減っていたのだろうか。 高耶がメモした食材を買って待ってくれていた直江は、高耶ですら見惚れるような笑みを浮かべ、「お帰りなさい」と出迎えてくれた。 思っていた通り、直江の家のキッチンは使い易い。 炊飯器から白飯の良い香りが立ち昇り始める傍ら、弱火でコトコトと肉じゃがを煮込む高耶は、夏野菜であるキュウリと大葉の胡麻和えを手際良く作っていく。 そんな高耶の姿が物珍しいのだろう。キッチンと繋がっているカウンターに着く直江が、料理が出来上がっていく様を飽きる事無く見学している。 野菜の選び方が上手いとか、肉はこんなに高くなくて良いだとか。 話し易い雰囲気を作り出す直江と他愛ない事を楽しく会話しながら、もう少しで出来上がるという頃。 「いつもケーキを買ってお祝いしてるんですか?」 ケーキの件が気になっていたのだろう。直江からそう尋ねられた高耶は、ふと小さく苦笑していた。 「・・・ちゃんと祝ってやらないと怒るんだよ、妹が」 地元で暮らしている妹の姿を脳裏に思い浮かべ、手元に視線を落としたままそう答える高耶は、その漆黒の瞳を柔らかく細める。 「誕生日は、生んでくれた事を親に感謝する日でもあるんだからって」 酒乱だった父と、そんな父から逃げるように家を出た母。 幼かった高耶と妹を返り見ない両親を憎み、自棄になっていた時期もあったが今は違う。 上杉動物園の園長である色部に拾ってもらい、小さく儚い命と接するにつれ、少しずつではあったが両親に対するわだかまりは消え、生んでくれた事を感謝するようになった。 「・・・良い妹さんなんですね」 自暴自棄になっていた高耶とは違い、素直に育った自慢の妹だ。 「まぁな」 面映い笑みを浮かべながらそう返した高耶は、直江の前に出来上がったばかりの肉じゃがを置く。 「美味しそうですね」 深めの皿に盛り付けられた肉じゃがを覗き込む直江からそう告げられた高耶は、その顔に自信に満ち溢れた笑みを浮かべて見せた。 「味は保障する」 高耶が最も得意とする料理だ。美食家だと自負する妹からも太鼓判を頂いている。 炊き立ての白飯に、オーソドックスな豆腐と油揚げの味噌汁と和え物。 用意が全て整った所で直江の隣に腰掛けた高耶は、直江と共に「いただきます」と手を合わせた。 さっそく肉じゃがに箸を伸ばした直江が、出汁の沁み込んだじゃがいもを一口食べた途端、その鳶色の瞳を僅かに見開く。 「美味いだろ」 小さく笑みを浮かべる高耶がそう尋ねてみると、ほぅと感嘆の溜息を零す直江から「本当に美味しいです」と返された。それを聞いた高耶から満足気な笑みが零れ落ちる。 「おふくろの味だからな」 艶々と照る白飯が盛られた茶碗を手に取る高耶がそう告げると、それを聞いた直江の鳶色の瞳が柔らかく細められた。 「・・・お誕生日おめでとうございます、高耶さん」 箸を止めた直江から穏やかな声でそう告げられた高耶は、その顔に面映い笑みを小さく浮かべて見せる。 「サンキュ」 普段はあまり素直でない高耶だが、誕生日である今日ばかりは素直に感謝する。 笑みを浮かべてそう返す高耶は、遠い地で自分の誕生日を祝ってくれているだろう家族にも感謝していた。 |
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