2012年高耶BD 車から漏れるミュージック 匿名希望と繋がってたり。 酔っ払いほど厄介なものはない。 都心では初の熱帯夜となったその日の夜。バイト帰りに性質の悪い連中に絡まれた高耶は、いつも通る路地裏を息を切らしながら駆け抜けていた。 「待てコラァ・・・ッ!」 背後から追い掛けて来る多数の足音と共に、高耶へと浴びせ掛けられる罵声。 (待てって言われて待つ馬鹿がいるかよ・・・っ) それに心の中でそう返しながら大通りへと飛び出し、路上に駐車されていた車の影に隠れた高耶は、しつこく追いかけて来ていた男たちをやり過ごす。 ずらりと並ぶ高級車の影。男たちの姿が見えなくなった事を確認する高耶が、ほぅと安堵の溜息を零していると、ラジオ番組なのだろうか。どこからか微かに聞こえて来た柔らかな声と共に、心地良いジャズ音楽が高耶の耳に届いた。 高耶が幼い頃に良く耳にしていた曲だ。 それを聞く高耶の漆黒の瞳が、ふと懐かしそうに眇められる。 (・・・そういや、この曲良く聞かせてくれてたな・・・) ジャズミュージシャンとして活躍していた父親の影響で、ジャズ音楽には精通している高耶であるが、ジャズの事を父親から教えて貰った記憶は無い。 名のあるジャズ・サックス奏者だったという父親は、だが、高耶が物心付いた頃には酒に溺れていたからだ。 ジャズ界で成功していたはずの父親に何があったのか、幼かった高耶に分かるはずも無いが、酒に溺れる父親は没落してもなお、ジャズ界から離れようとはしなかった。 それだけジャズが好きだったという事なのだろう。 飲むたびに暴力を振るう父親には猛反発した高耶だが、血は争えない。 高耶がジャズに惹かれるようになるのに、それ程時間は掛からなかった。 今では、繁華街から少し外れた場所にあるジャズクラブでバイトする傍ら、父親から譲り受けたサックスを手にジャズの勉強を重ねる毎日である。 いつかはジャズの本場であるニューヨークへ行きたい。 それが今の高耶の目標であるが、日々の生活にすら困窮する現状では厳しいかもしれない。 ふと小さく溜息を吐きながら、命より大事なサックスを収納しているケースを肩に掛け直す。 そうして夜の繁華街を歩き出そうとした高耶は、だが、その足をふと止めていた。 『・・・お送りした曲は「星に願いを」でした。あなたの願いが叶いますように』 続くパーソナリティの柔らかな声を聞きながら、高耶はゆっくりと空を見上げる。 ネオンの光が眩しく、仰いだ空に星を窺い見る事は出来なかったが、高耶はその時、見えないはずの星が光り輝く様を見た気がしていた。 消えかけていた夢という名の星の輝きを取り戻させてくれたからと、感謝の想いを込めたメールを高耶が送ったのは、その帰り道だったと記憶している。 それ以来、毎回欠かさず聞いている直江のラジオ番組であるが、高耶の誕生日である今日の放送はどうやら聞けそうにもない。 バイトしているジャズクラブから、一曲だけではあるが演奏してみないかとオファーがあったからだ。 若手ながら絶大な歌唱力と人気を誇る歌手・門脇綾子からの直々のご指名だ。光栄などというものではない。 本番を三十分後に控えた薄暗いステージの袖。愛器であるサックス片手に緊張に身を包む高耶は、ここに来る前に聞いた直江の声を思い出す。 ―――あなたなら大丈夫。願いはきっと叶いますよ。 携帯電話越しではあったが、本番前に直江の声が聞けて本当に良かった。 苦しい時や辛い時、夢を諦めそうになった時には必ずと言って良い程、直江の声が高耶を救い出してくれた。進む道を示してくれた。 ―――終わったら、ショーの成功とお誕生日のお祝いしましょうね。 囁くように告げられた直江の言葉を胸に、高耶は僅かに俯かせていた顔をゆっくりと上げる。 (・・・いつもサンキュな、直江) その高耶が見据える先。 スポットライトに照らされる綾子から視線で促された高耶は、人生の転機となるステージ上へと一歩足を踏み出した。 |