8万打キリリク
忍犬は好きですか? 1






通勤日和という言葉はないだろうが、今日はそう言いたくなる位とてもいい天気だ。
イルカは早朝の清々しい空気が漂う通りをアカデミーへと歩きながら、最初はいつだったかなぁと朝日が眩しい空を仰いだ。
まだ早い時間だからか通りには人っ子一人おらず、教師という職業柄、普段は気を張っているイルカも、気兼ねなくその顔を盛大に呆けさせる。
(んー・・・?)
天を仰いだまま、少し首を傾げて考えてみているのだが、いつからだったか全く思い出せない。
思い出せないという事は、現在のちょっと特殊な状況が、すっかり日常になってしまっているという事なのだろう。
それでも、うんうんと呻りながら以前の普通の日常を思い出そうと考え込んでいると、そんなイルカの足元から「おい」という声が聞こえてきた。
「何を考え込んでおる。何か悩み事か?」
そう訊ねてきたのは、へのへのもへじと書かれた忍服を着た小柄な忍犬だ。名前はパックン。
イルカを見上げるその顔が少し心配そうに歪んでいる。というか、いつもこんな感じの顔なので、あまり感情は読めないのだが。
「あー・・・っと。・・・何でもないよ、大丈夫。ちょっと考え事してただけ」
それでも、パックンと結構長い付き合いになってきたイルカは、パックンが心配しているというのが分かり、慌ててそう言って笑みを浮かべた。
「・・・そうか?悩み事なら相談に乗ってやるから、抱え込んだりするんじゃないぞ」
楽天家なイルカには悩み事なんてそうそう無いのだが、パックンがそう言ってくれたのが嬉しくて、イルカの頬がじわじわと緩み始める。
が。
「・・・カカシも、悩み事があるなら相談に乗ってやると毎回言うのに、あいつときたら・・・」
はぁと重々しい溜息と共にそんな事を告げられたイルカは、何と言っていいか分からず、ははと苦笑してしまった。

パックンは、木の葉最強と謳われる程の忍であるカカシが使役している忍犬だ。
いつからだったかはよく覚えていないが、イルカの通勤時刻、自宅からアカデミーまで歩いて通勤するイルカの元にカカシの忍犬がやってくるようになった。
やってくるのはパックンだけではなく、合わせて八匹。
毎朝、違う忍犬がやってくる。
目的はよく分からない。
ただ、イルカと一緒に家からアカデミーまで歩いているだけなのだ。話をしながら。
その『話』というのが少々やっかいで、忍犬たちは、主人であるカカシの愚痴やカカシの好きなもの、嫌いなもの、趣味や特技、おまけに弱点なんていうものまで話して来るから、イルカは困ってしまっているのだ。
「主人のそういう事を他人に話したら駄目だぞ」と、一度忠告してみたら、「イルカだから話しておる」と訳の判らない答えを返された。
カカシとは、それほど仲が良いわけではない。
上忍師としてカカシが受け持っている七班の子供たちはイルカの元教え子だから、受付所で報告書を受理する際に時々、子供たちの様子を聞かせて貰ったりしているが、子供たちの話題ばかりでカカシ本人の事はよく知らない。
いや、よく知らなかったのだが。
(今じゃ、今日の朝食の内容まで知ってるよ・・・)
カカシとは殆ど会話が無いのに、忍犬たちがカカシの事を話して聞かせてくれるおかげで、今のイルカは、カカシに関するクイズ番組があったとしたら、全問正解する自信がある。
コピーした技の数々や、倒した敵の名前、さらには、カカシと過去に付き合っていたという女性たちの名前まで。
知ったらマズイだろう、というものから、特に知りたくないと思うものまで。
忍犬たちのカカシ情報は、イルカを困らせるものが多かった。
でも。
忍犬たちがやってくるまで、イルカの中のカカシのイメージはと言うと、元暗部に所属していた程の凄腕の忍で、敵からコピーした技は数知れず、倒した敵の数も知れずで、万年中忍のイルカにとっては遠い存在だったのだが。
「あいつは淋しがり屋なんだ」だの、「おれたちがいないと、結構頼りないぞ」だの、「来るもの拒まず去るもの追わずで、女とは長続きしなかった。あいつは心から人を好きになった事がないんだ」だの言われていれば、遠い存在だったカカシに、もの凄く親近感を覚えてしまうのも仕方のない事だとイルカは思う。
だが、イルカの方が徐々に親近感を覚えていっていたとしても、カカシとの関係に何か変化があるわけではなく。
忍犬たちがイルカの元へ来るようになってだいぶ経った今でも、カカシとの間にそれ程会話はない。
カカシの愚痴を話す忍犬たちに、一度だけ尋ねてみた事がある。
「カカシ先生の事が嫌いなのか?」と。
そうしたら、「まさか」という答えが全員から返ってきた。嫌いなら、そもそも口寄せ契約などしていないと。
それを聞いた時、イルカはカカシが羨ましいと思った。
グチグチと文句を言ってはいるが、忍犬たちはカカシの事が大好きなのだ。
カカシも、忍犬たちの事を大切にしているのだろう。彼らの話の端々から伺えるカカシの人柄は、とても優しそうな印象だった。
ずっと恋人もいなくて、一人の生活が長いイルカにとっては、カカシと忍犬たちの関係は気の置けない家族や友人のようで、凄く羨ましかった。

そんな、カカシや忍犬たちの事もだいぶ分かってきた所で、気になるのは、忍犬たちの行動だ。
忍犬たちが、わざわざイルカの元へこうして毎日やってきて、イルカに、主人であるカカシの弱点とも言えるような事を話す理由が未だに分からないのだ。
「・・・で?どうしてお前たちが俺の所に来るのか、そろそろ教えてくれないかなぁ」
忍犬たちが来るようになってすぐ、イルカは「どうして俺の所に来るんだ?」と訊ねた事があった。
しかし、忍犬たちは揃って「イルカが通勤の間、暇そうだから」という、どこからどう聞いても、お前ら何か誤魔化しているだろうという理由しか話してくれなかった。
「そろそろ話してくれないと、カカシ先生に『パックンたちが毎日やって来て、カカシ先生の愚痴を聞かされて困ります』って言わなきゃならないぞ?」
少々脅しも込めてそう訊ねてみると、それまで無言を貫いていたパックンが「う」と詰まった。
どうやら、カカシには内緒でこんな事をしているらしいから、色んな事をイルカに話しているとカカシに知られたら、叱られる所じゃないのだろう。
「・・・話してくれるよな?」
ニッコリと受付所で鍛えた笑顔も付けて再度そう訊ねると、諦めたのか、ハァと盛大な溜息を吐いたパックンが渋々口を開いた。
「・・・カカシがな」
そう言ってじっと見上げてくるパックンのつぶらなその瞳には、少しだけ不安そうな色が浮かんでいる。
そんな顔で何を言われるのかと、ドキドキしながら続く言葉を待っていると。
「・・・おまえさんの事が、気になって仕方が無いらしい」
「は・・・?」
そんな、思いも寄らない事を言われたイルカは、つい、立ち止まってしまった。
立ち止まったイルカの少し前で同じく立ち止まったパックンが振り返り、その場にお座りをする。
そうやって見上げてくるパックンが、少し恥ずかしそうに見えるのは、イルカの気のせいだろうか。
「・・・じゃから。カカシが、おまえさんの事が気になって仕方が無いらしいのに、おまえさんに一向に声を掛けんから、代わりに拙者らがこうやってだな・・・」
ま、ナンパじゃな。
そんな事を、少し視線を逸らされながら言われてしまったイルカが、その目を盛大に見開く。
頬どころか、顔中が熱い。
「えぇえっ!?」
早朝で人影のない通りに、顔を真っ赤にしたイルカの戸惑ったような大声が響き渡った。