支えてくれる暖かな手 4






イルカに抱きかかえられ、ベッドの上に戻る。
肩は多少痛むが、我慢出来ないという程ではない。落ち方が良かったのだろう。幸い、骨折まではしていないようだった。
「・・・すみません。俺のせいですね・・・」
その声にゆっくりと顔を上げると、カカシの背に枕を添えてくれていたイルカが辛そうな表情で見下ろしていて、それを見たカカシは小さく苦笑した。
「そんな顔しないで・・・?イルカ先生は悪くありませんよ。オレの不注意なんですから」
そっと手を伸ばし、イルカの頬を擽る。
すると、カカシに擽られた頬をかぁと染めたイルカが、次の瞬間、ハッとしたようにカカシから少し離れた。続いてその眉をきゅっと顰めてしまう。
それを見たカカシは、イルカに伸ばしていた手を急いで戻した。
しまったと思った。
いくらイルカに触れる事に抵抗が無いといっても、まるで恋人を慰めるように頬を擽るなんて。馴れ馴れしいにも程がある。
「・・・すみません」
「いえ・・・」
小さく謝ると、イルカはカカシから視線を逸らしながら首を振った。
カカシの行動に気を悪くして帰ってしまうかもしれないと思ったが、イルカは椅子を持ってきてベッド脇に置き、そこに座ってくれた。それを見てホッとする。
イルカには聞きたい事がたくさんある。それに、言いたい事も。
僅かに俯いているイルカを見つめると、カカシは口を開いた。
「・・・あなたがオレの担当から外れた理由を聞きました」
カカシが小さな声でそう告げた途端、動揺したのか、イルカはその身体を微かに震わせた。
「どうしてオレの補助は出来ないんですか・・・?」
「それは・・・」
イルカが視線を泳がせる。膝の上で組んだその手をきつく握り締める。
補助が出来ない理由を言い辛いらしいイルカに、やはり自分が何かをしたのだろうかと、カカシは眉根を寄せた。
「・・・オレが何かあなたの気に障る事をしたのなら・・・」
カカシがそう告げた途端、イルカが急いで顔を上げる。
「それは違います・・・っ」
ふるふると首を振ったイルカの黒髪が揺れ、泣きそうな程に顔を歪めたイルカの瞳がカカシを捉える。カカシと視線が合った途端、苦しそうに歪んだイルカの顔に堪らなくなる。
イルカをそんなにも苦しめているのは、もしかして自分なのだろうか。
「・・・俺が、悪いんです・・・」
そう小さく告げたイルカが、顔を俯かせる。その手を白くなるほどに握り、イルカが僅かに震える唇を開く。
「・・・カカシさんの補助をする事に、仕事以上の喜びを感じてしまう自分がいるんです」
「え・・・?」
イルカの口から出たその言葉に、カカシは驚きにその瞳を見張っていた。
「あなたから身体を預かるたび、胸が高鳴って痛かった。カカシさんに触れられるたび、嬉しいと思ってしまう。・・・今日だって」
そこで言葉を切ったイルカが僅かに顔を上げる。その顔には、見ているこちらが辛くなってしまうような自嘲の笑みが浮かんでいた。
「担当を代わってくれと頼んだのは自分のくせに、あなたがその手で触れた同僚に、俺は凄く嫉妬したんです。会いたくて、こんな真夜中に会いに来てしまった。そんな人間に補助されても、気持ち悪いだけでしょう・・・?」
声を震わせてそう告げたイルカが、握り締めた拳でカカシからその顔を隠してしまう。
その身体が小さく震えているのに気付いたカカシは、イルカを見つめるその瞳を切なく眇めていた。
療法士という立場に在るイルカが、触れ合う機会の多い患者に恋をした。しかも、同じ男であるカカシに。
真面目なイルカの事だ。男同士という事以外にも、仕事中にも関わらずカカシとの接触を喜んでしまう自分に、かなり思い悩んだのだろう。その結果、イルカはカカシの担当を外れ、カカシから離れようとした。
そんな真面目なイルカが愛おしく、そして、少しだけもどかしい。
「・・・イルカ先生」
そっと名前を呼ぶが、イルカは顔を上げようとしなかった。一つ小さく息を吐いて、胸に溢れるこの想いを言葉にする決意をする。
患者と療法士だとか、男同士だとか。
二人のこの恋心はきっと、そういうものを凌駕してくれる。そう信じよう。
「オレだってそうですよ・・・?」
まだ顔を上げないイルカにそう告げるカカシは、その声にありったけの愛しさを込めた。
「・・・あなたがオレ以外の患者を補助する姿を想像して、胸が焼けるかと思うほどに嫉妬しました」
イルカがゆっくりと顔を上げる。その少し潤んだ綺麗な漆黒の瞳が愛しい。
嘘だと、信じられないという表情を浮かべているイルカを見つめるその深い蒼の瞳にも、カカシは愛しさを込めた。信じられないのなら、信じてもらえるまで伝えるだけだ。
「あなたに会いたいと強く思った。オレと同じものを同じように感じてくれるあなたが愛しいと思う。さっきだって。オレは無意識にあなたに手を伸ばしていたんです」
瞳を揺らしてカカシの告白を聞くイルカが、その顔をくしゃりと歪める。そんなイルカに僅かに瞳を眇めながら、カカシは小さく笑みを浮かべた。イルカへとそっと手を伸ばす。
「これからもあなたに補助して欲しい。療法士としてだけじゃない。出来れば恋人として、オレの側にずっと居てくれませんか・・・?」
小さく首を傾げてそうお願いする。
イルカの震えるその手がゆっくりと上がる。カカシの差し出した掌へとそっと乗せてくれた暖かいその手が愛しい。
「はい・・・っ」
震える声でカカシの告白を受けてくれたイルカは、今にも泣き出しそうなその顔に、嬉しそうな笑みを懸命に浮かべて見せくれた。




空調の効いたリハビリテーションは今日も快適だ。
そんな中、いつものように動きやすい服装に身を包んだカカシは、その額に汗を滲ませながらリハビリに励んでいた。
壁際に設置されたポールの端。今日の目標に掲げたそこに到達するまであと少しだ。
「あとちょっと・・・。あとちょっと・・・っ」
傍らから不意に聞こえてきた小さなその声に、ふと笑みが浮かぶ。声に出てているとは気付いていないのではないだろうか。
応援してくれるその声があれば、疲れも吹き飛ぶというものだ。休みそうになっていた足を懸命に動かし、歩みを進めていく。
ポールの端。丸くなっているそこにカカシの手が触れた途端、満面の笑みを浮かべたイルカがカカシの視界に急いで回ってきた。
「やりましたね!ここまで歩けましたよ、カカシさん!」
自分の事のように喜んでいるイルカにふと笑みを浮かべたカカシは、ポールから手を離し、イルカへと手を伸ばした。それにすぐに気付いたイルカが、身体を支えてくれる。
「今日の目標達成。後でご褒美ちょうだいね・・・?」
僅かに息を乱しながら、イルカへと小さくそう告げる。すると、イルカの体温が少し上がった。見れば、その顔をかぁと真っ赤に染めている。
「・・・はい」
恥ずかしいのだろう。僅かに俯いたイルカの素直なその返事に愛しさが募る。支えて貰う振りをして、カカシはイルカの身体に腕を回した。軽く引き寄せ、その肩に顎を乗せる。
カカシがイルカにこうして触れられるのは、リハビリの時だけだ。それが少し辛い。
「あー。早く退院してイルカ先生といっぱいイチャイチャしたい・・・」
「ちょ・・・っ、何言ってるんですか・・・っ」
周りに聞こえないように小さくそう告げると、カカシのその言葉に途端に焦るイルカが可愛らしい。イルカの身体を一度だけきつく抱き締め、カカシは身体を起こした。
「さて。目標達成したから今日はもう終わりでしょ?いい天気ですし、残った時間は散歩に行きましょうか」
ニッコリと笑みを浮かべてそう告げると、イルカは顔を真っ赤にしながらも一つ頷いて、随分と遠い位置にある車椅子へと身体を向けた。


その後の散歩の途中。
夏の日差しと周りの視線を遮ってくれている中庭の木陰で、リハビリを頑張ったご褒美という名のキスがカカシに与えられたのだった。