2011年イル誕企画
時を越えて 1





授業を終えたイルカが教室を出ると、目の前に広がる光景が少し変わっていた。
廊下の窓から見えるアカデミーの中庭。つい先日まで淡い桃色に染まっていたはずの桜の木々が、いつの間にやら葉桜へと姿を変えてしまっている。
大蛇丸による木の葉崩しから約半年。壊滅的な被害を受けた木の葉の里の復興も進み、以前と変わらぬ日常がようやく戻って来たばかりだ。
アカデミーも再開され、年度末から年度初めに掛けて何かと慌しかったからだろう。今年もゆっくり愛でる事が出来なかったなと残念に思いながら職員室へと歩き出すイルカの口元に、ふと小さく笑みが浮かぶ。
(まぁ、花見は出来たから良しとするか・・・)
毎日のように見ているはずのアカデミーの桜は碌に愛でる事が出来なかったが、今年も里外れにある恋人の生家で花見をする事が出来ている。
互いに忙しい中で捻り出した貴重な時間。
恋人であるカカシの生家の庭に一本だけ生えている桜の木は満開を迎えており、庭に面する日当たりの良い縁側で、ひらりひらりと花弁を落とす桜をカカシと共に見上げていると、時間を忘れてしまいそうだった。
―――来年もまたココで一緒に花見しましょうね、イルカ先生。
記憶に新しいカカシの声を思い出したイルカの口元から笑みが消え、ゆっくりと伏せられた漆黒の瞳が僅かに翳る。
桜の木を見上げる深蒼の瞳を眩しそうに眇めながら、柔らかな笑みを浮かべてそう約束してくれたカカシは今、少し難しい任務に就いている。
来月に控えたイルカの誕生日までには戻って来るからと言ってくれていたが、イルカはただ、カカシが無事に戻って来てくれるだけで充分だった。
カカシが今回の任務に就くと知って以来、ずっと胸の奥でざわめき続けている何か。
それを気のせいだと一蹴したイルカは俯かせていた顔を上げ、次の授業の準備をするべく職員室へと急いだ。





四月も終わりを迎えると、降り注ぐ太陽の日差しが暑く感じるようだった。
カカシから頼まれていた空気の入れ替えをする為、里外れに建つカカシの生家へと向かう道すがら、自らの肌が汗ばみ始めた事に気付いたイルカは、未だ冬仕様なままの忍服の両袖を捲り上げた。
(衣替えは来週だな・・・)
三月四月と、休日らしい休日を過ごしていなかったからだろう。溜まりに溜まっていた洗濯物を全て干し終えた頃には昼が近く、衣替えまでは手が回らなかった。これから向かうカカシの生家で布団も干していたら、夕方になってしまうだろう事は容易に想像が付く。
久しぶりの休日が丸々潰れる形であるが、恋人であるカカシが任務で里に居ない時は、どうせ暇を持て余してしまうのだ。来週も暇なのだろうから良いかと、小さく苦笑するイルカは徐々に見えて来たカカシの生家へと視線を向けた。
里外れにひっそりと建つこの家が、カカシの生家だと知っている者は数少ない。父であるサクモが亡くなって以降、辛い思い出が残っているというこの家に、カカシは一度も住んでいないからだ。
住まなくなってからも手入れだけは頼んでいたカカシは、だが、友人であるオビトを亡くした際、数年ぶりに生家に足を踏み入れたらしい。それ以降、時折足を運ぶようになったと苦笑と共にそう言っていたカカシは最近、暇さえあればこの家で過ごすようになっている。
―――イルカ先生のお陰ですよ。
その理由を尋ねた際、何故かそう告げられたが、イルカに何かをした覚えは無い。
庭に面した日当たりの良い縁側。そこで、サクモが残した書籍や巻物を読むカカシの隣に腰掛け、ただ読書を楽しんでいただけだ。
もう少し時間が掛かりそうだが、いつかまたこの家に住みたい。
庭を眺める深蒼の瞳を懐かしそうに眇めながら、そう言っていたカカシの姿を脳裏に思い浮かべるイルカは、辿り着いたカカシの生家の前。その口元を僅かに緩めながら、カカシから預かっている合鍵で鍵を開けた。
「・・・っ」
途端、誰も居ないはずの中から聞こえて来た大きな物音。
それを聞いて小さく息を呑んだイルカは、続いてその眉根を寄せた。差し込んだままだった鍵を音を立てないようゆっくりと引き抜き、玄関の扉を少しだけ引き開ける。
雨戸が全て閉め切られている中は薄暗く、細く開けた玄関の扉から窺い見た限りでは、不審な人影を見止める事は出来なかった。
(・・・空き巣か・・・?)
それにしては気配がしない。
もしかすると同業で、カカシの生家だと知った上での侵入かもしれない。
そうなるとイルカの手では負えない可能性が高いが、侵入者の存在だけでも確かめておかなければ。
ホルスターからクナイを取り出したイルカは、慎重に開けた玄関の扉から中へと滑り込んだ。クナイを片手に勝手知ったる家の中を進む。
いくつかある部屋を順に確かめて行きながら、家の最奥。多くの巻物や書籍が保管されている書斎の前に辿り着いた所で、イルカはその動きを止めた。
(・・・っ、開いて・・・っ)
閉まっているはずの書斎の扉が開いている。
その事に気を取られた次の瞬間。
「動くな」
「・・・っ」
クナイを持つ手を後ろ手に捻り上げられたイルカは、いつの間にか背後回ったらしい何者かに拘束されていた。喉元にクナイを押し当てられ、迂闊に動く事も出来なくなる。
かなりの手だれなのだろう。拘束された手はびくともせず、気配も全くしない。
どうすると焦るイルカの背後。
「いくら同胞でも、家主に無断で侵入ってのは感心しないな。・・・名前は?」
聞こえて来たその声に聞き覚えがある気がしたイルカは、小さく首を傾げていた。
同胞という言葉が出て来たという事は、里外からの侵入者ではないのだろうか。
もしかすると、自分の他にもカカシからこの家の管理を頼まれていた人物が居たのかもしれない。
「・・・うみの、イルカです。カカシさんに頼まれてここに」
そう思ったイルカが、緊張から僅かに掠れた声でそう説明すると、一呼吸の後、何故かあっさりと拘束が解かれた。その事を訝しがりながらも、ゆっくりと振り返ったイルカの視線の先。
「・・・っ」
カカシと同じ銀髪を有する人物を見止めたイルカは、その漆黒の瞳を大きく見開いていた。
そんなイルカを見つめる深蒼の双眸に傷は無く、カカシよりも長い銀髪を首の後ろで一つに纏めたその人物は、カカシが年齢を重ねたらこうなるのではとイルカに思わせた程、カカシに良く似ていた。
「・・・あの、あなたは・・・?」
まさかと思いつつそう尋ねるイルカの目の前。身に纏う着物の懐にクナイを仕舞っていた人物がカカシと同じ銀髪を揺らし、カカシよりも少し皺が多いその顔に、カカシそっくりな笑みを浮かべて見せる。
「・・・はたけサクモ。カカシの父親だよ」
「・・・っ」
声に聞き覚えがあるはずだ。
予想していたとはいえ、この世に居ないはずの人物の名を聞いたイルカは、驚きを隠す事が出来なかった。