時を越えて 2





ガタガタと僅かな音を立てて、閉め切られていた雨戸が開かれていく。
徐々に明るくなっていく部屋の中。居間に置かれた重厚な食卓の傍に両膝を付いたイルカは、淹れたばかりの茶を注ごうと湯呑みに手を伸ばした。僅かに震える手で急須を傾け、爽やかな色に染まった茶が湯呑みに注がれていく様を見つめる。
(落ち着け、落ち着け)
信じられない出来事が起きて動揺しているのが自分でも良く分かる。嗅ぎ慣れた茶の香りを胸いっぱいに吸い込みながら、落ち着けと自分に言い聞かせるイルカはゆっくりと息を吐く。
「君は・・・」
「・・・っ」
そうして息を吐き切った所で不意に声を掛けられたイルカは、その身体を小さく震わせていた。見れば、全ての雨戸を仕舞い終えたらしいサクモが、いつの間にやら食卓を挟んでイルカの目の前に腰を下ろしている。
「カカシとはどういう関係なのかな」
銀の髪を揺らして小さく首を傾げるサクモからそう問われたイルカは、その動きを一瞬止めてしまっていた。
幼い頃の思い出や、サクモが関わる逸話。
カカシ本人から聞いていたカカシとサクモしか知らないだろう事をいくつか訊ね、それら全てに正解している目の前の彼がサクモ本人である事は間違い無い。
カカシの年齢を伝え、今が未来である事は既に説明してある。色々と訊ねたい事もあるだろうし、イルカも訊ねたい事がたくさんあるからと、こうして茶を淹れた訳だが、真っ先にカカシとの関係を問われるとは思わなかった。
二人分の茶を注ぎ終えたイルカは、背中に嫌な汗が流れるのを感じながら手に持っていた急須を食卓の上に置く。
「・・・その、カカシさんとは階級を越えて仲良くして貰っています。カカシさんが任務で里を離れている間は、私がここの管理を任されているんです」
さすがに恋人だとは言えなかった。サクモの前に湯呑みを置きながら、そんな当たり障りの無い説明をすると、さっそく湯呑みに手を伸ばすサクモからは、「ふぅん」と納得したのかしないのか良く分からない反応が返って来た。
サクモには聞きたい事が山ほどある。
「あの・・・っ」
「ん?」
意を決して声を掛けると、湯呑みに口を付けていたサクモが視線だけを向けて来た。その仕草がカカシにそっくりで、やはり親子だと感慨深く思いながら、イルカは僅かに身を乗り出す。
「どうしてこんな事に?」
時代を越えて跳んで来たのはサクモだ。こんな状況に陥っている原因を何か知っているのではないかと思い訊ねてみると、手にした湯呑みを食卓に置くサクモから思わぬ言葉が返って来た。
「君は、波風ミナトという人を知っているかな」
波風ミナトとは四代目火影の名だ。
十数年前。里を襲った九尾から里を救ってくれた英雄である四代目火影の事を、この里で知らない人間は居ない。
「お会いした事は数える程しかありませんが、知っています」
どうしてここで四代目火影が出て来るのかと訝しく思いながらもそう返すと、それを聞いたサクモは鷹揚に頷いた。
「では、彼が時空間忍術を扱う事も知っているかな?」
イルカは伊達に教師をしている訳ではない。里の歴史には造詣が深く、四代目火影の事もある程度ならば学んでいる。
続けられたその問い掛けに頷いて見せると、そんなイルカから視線を逸らしたサクモは、興味深そうに辺りを見回した。
「カカシが彼の配下に就いた時、黄色い閃光と謳われる彼の術式がこの家にも施されていてね。原因は分からないが、その時空間忍術が発動してしまったらしい」
そうして、困ったように苦笑するサクモからそう告げられたイルカは、その瞳を僅かに見開いていた。
(原因が分からないって・・・)
イルカの記憶が確かならば、時空間忍術は一方通行だったはずだ。術が発動した場所に戻るには、こちらから術を発動させなければならない。
そもそも、数ある四代目火影に関する書籍をいくつか読んだが、時代を越えたなんて記述は見た記憶が無い。
「・・・戻れる、んですか・・・?」
だが、術さえ発動すれば戻れるかもしれない。
白い牙と謳われたサクモならと、一縷の望みを掛けたイルカのその問い掛けに、目の前で茶を啜っていたサクモは「私にも分からない」と苦笑を返した。それを聞いたイルカは愕然とする。
「そんな・・・」
サクモでさえ分からないのだ。イルカ一人では到底手に負えない。
過去から時代を越えて跳んで来たらしいサクモの事を、五代目火影である綱手へ報告した方が良いだろうか。
目の前に座るサクモから視線を逸らすイルカがそんな事を考えていると、イルカの表情からそれを読み取ったのだろう。
「私はこの時代の異端者だ。そのうち元に戻そうとする力が働くだろうから、それまで誰にも言わず黙っていてくれないかな。大事になったら色々と面倒そうだ」
茶を飲み干したらしい湯呑みを「ごちそうさま」と食卓に置くサクモから、小さい苦笑と共にそんな事を言われた。
イルカと違い、随分と余裕があるように見えるが、元の時代に戻る方法に何か心当たりでもあるのだろうか。
「そのうちって・・・?」
小さく首を傾げるイルカがそう訊ねてみるも、サクモは「さぁ」と曖昧な笑みを浮かべて見せるだけだった。




当初の予定通り布団を干し、サクモの為の食材を買い込んだイルカが戻った所で夕方を迎えてしまった。
「引き止めて悪かったね。色々とありがとう」
玄関先まで見送りに出てくれたサクモからそう告げられ、小さく苦笑するイルカはふるふると首を振る。
洗濯物さえ干していなければ食事も作るつもりでいたのだが、黄昏色に染まる空の雲行きが怪しくなって来ている。早く帰って取り込まなければ、乾いているだろう大量の洗濯物が雨に濡れてしまうかもしれない。
「・・・あの、一人で大丈夫ですか?」
洗濯物を取り込んだら戻って来ると言ったのだが、それは遠慮されてしまっている。一人で大丈夫だろうかとそう訊ねてみると、そんなイルカに対し、懐に片手を差し込むサクモは柔らかく笑って見せた。
「心配しなくても大丈夫。これでも料理は得意なんだよ」
それを聞いたイルカは、カカシが母を早くに亡くしている事を思い出す。
食材は余分に買って来てあるのだ。この家には生活するのに充分な設備だってある。
一日くらいなら大丈夫だろう。
そう判断したイルカは、その顔に小さく笑みを浮かべて見せた。
「また明日来ます」
「ん、待ってるよ」
軽く頭を下げたイルカに対し、そう返したサクモがひらひらと片手を振って見せる。
(・・・本当にそっくりだな)
サクモに見送られて雲の多い空の下へと足を踏み出しながら、小さく苦笑するイルカはつくづくそう思う。
年を経るにつれ、父であるサクモに似て来たらしいという事はカカシ本人の口から聞いていたが、こんなにも似ているとは思わなかった。
今にも雨が降り出しそうな空を見上げ、イルカは遠い任地に居るカカシを想う。
二人を会わせたい―――。
あまり良くない事だと充分理解していたが、父であるサクモの事を語る時、カカシの深蒼の瞳に翳りが覗く事を知っていたイルカは、そう思わずにはいられなかった。