嵐と共に 1





風が強いと思っていたら、どうやら嵐がやってくるらしい。
嵐の前の静けさだったのだろう。カカシが帰還し、大門を潜った時には綺麗だった夕焼け空が、日が沈むにつれその表情を変え始めている。
(こりゃ早めに帰った方がいいねぇ・・・)
カタカタと風に鳴る廊下の窓の外。
どんよりとした雲に覆われていく空を、まだ降るなよと軽く睨みながら受付所へとやってきたカカシは、報告書を提出する為その扉をガラリと開けた。
「お疲れ様です。はたけ上忍」
途端、聞こえてきた事務的なその声に、あれ?と受付所内を軽く見回し僅かに落胆する。
階級を越えた呑み仲間で友人でもあるイルカは、どうやら今日は受付に入っていないらしい。カウンターに一人座っている担当者に、「お疲れ様」と声を掛けながら報告書を手渡す。
(呑みに誘おうと思ってたのに・・・)
嵐が来るのであれば、例えイルカが受付に入っていたとしても呑みに行くのは無理だろうに、そんな事を考える自分に内心苦笑する。
それだけイルカと呑む酒が美味いという事だろう。
明るくて気配り上手なイルカと呑んでいると、任務後の疲れもどこかへ吹き飛んでしまう。話を聞いていると、冷え切っていた心がほんのりと暖かくなる。
アカデミーの子供たちの事を一生懸命に語るイルカの姿を見ていると、可愛らしくて癒される、と言ったらイルカは怒るだろうか。
一度だけ見たイルカの怒りの表情を思い出したカカシは、その口布の下、ふと小さく苦笑していた。
中忍試験のあの一件で、一時は随分と気まずくなっていた二人だ。イルカが友人になってくれて、本当に良かったと思う。
「はい、結構です」
「ありがと」
報告書を受理してもらい、受付所を出る。
あと少しくらいなら持つだろうと思っていたのだが、カカシのその予想は外れてしまったらしい。廊下の窓に次々と当たる水滴に盛大な諦めの溜息を吐く。
(家に帰る頃にはずぶ濡れだな・・・)
一気に激しくなってくる雨脚に、濡れる覚悟をしながらその場を後にしたカカシは、受付所を有する建物の出入り口で、視界が悪くなる程に激しく降る雨を見て再び溜息を吐いた。
斜め上から激しく打ちつけてくる雨に、顔を顰めながら雨の中を歩き出す。だが。
(・・・ん?)
カカシは視界の隅に映った明かりに、ふと足を止めていた。激しく打ち付けてくる雨に瞳を眇めながら、明かりの方向へと視線を向ける。
アカデミーの校舎が、懐中電灯らしき明かりにぼんやりと照らされている。
(もしかして・・・)
それを見たカカシは風雨が一層激しくなる中、自宅ではなくアカデミー校舎へと急ぎ始めた。




アカデミー校舎の一角。
豪雨と言っていい程の雨の中、合羽も着ずに一人で雨戸を引いている人物が居る。高く結った髪を濡らしているその人は、やはりというか、友人のイルカだった。
(やっぱり・・・っ)
アカデミー教師で真面目なイルカの事だ。校舎が心配になって見回りに来たら、窓ガラスが雨風で割れそうな事に気付き、雨戸を閉めているうちに雨脚が酷くなって来たという所だろう。
地面に置かれた懐中電灯に時折照らされながら、雨戸を一心に引いているイルカの真剣な横顔を見たカカシは、その側に急いで走り寄っていた。
「手伝います・・・!」
「カカシさん!」
イルカ一人で校舎全ての雨戸を閉めるのは大変だ。手伝うと言ったカカシを見止めた途端、ぱぁと嬉しそうな表情を浮かべたイルカに一つ笑みを浮かべて見せ、カカシはイルカに習い次々と雨戸を引き始めた。
見える範囲の雨戸を全て閉め、少し離れた場所で同じく雨戸を引いていたイルカを振り向く。
「後は!?」
「これで終わりです!」
雨音で掻き消えそうになる声を張り上げてそう訊ねると、イルカから笑みと共に終了を告げられた。最後の雨戸を引き終え懐中電灯を拾い上げたイルカが、カカシを校舎の中へと促す。
「すみません、助かりました。ありがとうございました」
中に入り扉を閉めると、激しい雨音が柔らかく変化した。カカシへと軽く頭を下げてくるイルカのホッとしたような声が、その雨音に重なる。
雨戸が全て閉められた校舎内は、新月の夜以上に真っ暗だ。忍であるからして暗闇でも目は利くが、イルカがその手にした懐中電灯で足元を照らしてくれる。
その灯りに照らされ、暗闇の中で浮かび上がったイルカに、カカシはふと笑みを浮かべて見せた。
「いえいえ。でも、合羽も着ずに居たらダメですよ。こんなに濡れて・・・。いくら夏だと言っても、風邪をひきますよ?」
イルカの黒髪から、次から次へと水滴が滴っている。それに視線を向けるカカシが僅かに眉を顰めてそう告げると、イルカの頬が羞恥に染まった。
「すみません。つい夢中になってしまって・・・」
その顔に滴り落ちる水滴を両手でかき上げるようにして拭っていたイルカが、額当てを取り去り小さく苦笑を浮かべる。
「・・・カカシさんもずぶ濡れになっちゃいましたね。風邪をひくといけませんから、着替えていって下さい。俺ので良ければ、予備の忍服を出します」
そう言ったイルカが先に立って歩き出す。言われて自らの顔に滴り落ちる水滴に気付いたカカシは、水を吸って重たくなった額当てを取り去った。落ちてきた濡れた銀髪を片手でかき上げる。
激しい雨に打たれたからだろう。僅かな間だっというのに、随分と濡れてしまっている。
「すみません。ありがとうございます」
イルカの事をどうこう言える立場ではなかったかと、カカシはイルカの後に続いて歩き出しながら、小さく苦笑を浮かべていた。