七夜月 前編






木々の合間に見える細い月。
それを木の幹に凭れて見上げるカカシは、小さく溜息を吐いていた。
(今頃、何してるかな・・・)
もう随分と逢っていない淋しがり屋な恋人の事を考えると胸が痛い。時間だけはかかる任務に借り出され、ここに来てからもう三ヶ月は経とうとしている。
もちろん、その間も手紙でのやりとりはしているが、無機質な手紙ではなく、あの子供のようなしっかりと心まで暖めてくれる温もりが恋しい。
カカシから再び溜息が漏れる。
「逢いたいねえ・・・」
イルカ不足で死んでしまいそうだ。
月にイルカの姿を重ね、そんな事を思ったカカシは小さく苦笑した。





眠ろうと灯りを消した時だった。
部屋の窓からほんのりと淡い光が差し込んできている事に気付いたイルカは、ふと窓の外へと視線を向けた。
見上げれば、暗い夜空に細い月が輝いている。
(・・・カカシ先生みたいだ・・・)
月明かりは、カカシの銀髪を想像させる。
イルカへと伸ばす少し冷えた指先も。低く囁くようなその声も。
カカシの何もかもを昨日の事のように思い出せるが、思い出はイルカを抱きしめてはくれず、淋しさを感じたイルカはふると小さく身体を震わせた。
これ以上月明かりに晒されていると、孤独に押し潰されそうだ。
そう思ったイルカは、月から離れようとしない視線を無理やり戻し、眠ってしまおうと布団の中へと潜り込んだ。




その翌日。
職員室で採点をしていたイルカの耳に、不意にアカデミーの子供たちの歌う声が聞こえてきた。
それを耳にした途端、イルカのペンを走らせていた手が止まり、口元に小さく笑みが浮かぶ。
(そうか・・・)
すっかり忘れていたが、今日は七夕だった。
織姫と彦星が一年でたった一度だけ会える日。今日は天気がいいから、天空での二人の逢瀬を見る事が出来るだろう。
たまには星を見ながら酒を飲むのもいいかもしれない。
そう思ったイルカは、早めに帰ろうと止めていたペンを再び走らせた。


定時で仕事を終え、夕飯のおかずを買いに商店街に向かう。
魚屋でアジを一匹買うか、明日の朝の分も合わせて二匹買うか迷っていると、店主から「イルカ先生」と声を掛けられた。
「短冊は貰ったかい?」
そう聞かれ、イルカは小さく首を傾げた。
短冊とは、七夕飾りに願い事を書いて飾るあの短冊だろうか。
「いいえ、まだですけど・・・」
貰ってないと答えたイルカに、店主が短冊を二枚渡してくれる。
「本当は一つしか願い事は叶えてくれないんだろうけどね。イルカ先生いい人だから、織姫と彦星も二つくらいは叶えてくれるだろう」
「ありがとうございます」
笑ってそう言う店主にイルカも笑みを浮かべて礼を言うと、短冊を貰った礼だと「アジ、二匹下さい」と頼んだ。


アジの入った袋をぶら下げ、商店街に飾られた七夕飾りを見上げながらゆっくりと歩く。
飾りのあちらこちらに短冊が下がっている。
『可愛い赤ちゃんが生まれますように』だとか『犬が飼えますように』といった微笑ましい願い事の合間に、『○○ちゃんと付き合えますように』なんていう願い事が目に入り、イルカは小さく笑みを浮かべていた。
先程店主に貰った短冊は、一枚だけ願い事を書いて飾ってもらった。
『里が平和でありますように』
偽善だと思われそうな願い事だが、アカデミーの子供たちの幸せは、里の平和無くしては成し得ないものだと心からそう思うから。
(こんなにたくさんの願い事を叶えなきゃいけない織姫と彦星は大変だな・・・)
商店街を抜けながら、イルカはそんな事を思い苦笑していた。


帰宅してすぐ。
アジを一匹だけ塩焼きにしたイルカは、それと秘蔵の酒を手に窓辺へと近付いた。
電気を消して窓を開け放つ。もう夜になっても蒸し暑い季節だ。湿った空気と共に、夏の匂いが部屋の中へと流れ込む。
窓辺に座り、そこから空を見上げると、そこには大小様々な星が輝きを放っていた。
天の川が雲のように天空を流れ、それを挟むように一際大きな星が二つ輝く。
(今年は綺麗に晴れたな・・・)
毎年天気が良いというわけでは無い。実際、ここ数年は雨で見えなかった。雨で天の川が増水しても、カササギがやってきて橋となってくれるというから、二人の逢瀬は見えなくとも続いていたのだろうが。
空から視線を戻し、杯に酒を注ぐ。そうしてイルカは、アジの塩焼きを肴に星を眺めながら、ちびりちびりとそれを飲み始めた。
どれくらいそうしていただろうか。
酒がだいぶ減った頃、ふと、イルカは視界の隅に動くものを捕らえた。小さかったそれが、だんだんと近づき形を成してくる。
それが誰なのかに気付いたイルカの瞳が見開かれる。
(まさか・・・そんな・・・)
月明りの中、イルカの目の前に姿を現したのは任務でここにはいないはずのカカシだった。