ジャンフェス報告お礼
二人羽織り 前編






人間というものは、その人にとってあまりにも衝撃的なものを見ると、その瞬間、それを懸命に否定しようとして動けなくなるらしい。


その日の任務が早めに終わり、イルカを迎えにアカデミーへとやって来たカカシは、その中庭にある樹齢数百年はありそうな桜の木の枝の上へと降り立った。
ここからなら校舎が一望でき、イルカの姿を見つけやすい。
掌を太い木の幹へと付いてイルカを探そうとした時、カカシの視界に手近にあった桜の木の枝が入り、それに気付いたカカシはふと笑みを浮かべた。
老齢な大木はもうすぐ花を咲かせるのか、あちらこちらで小さな芽をふっくらと膨らませていた。
(もうすぐ花見の時期だな)
これが満開になったらイルカと花見をしようかと考えながら、そこから校舎を眺めてイルカの姿を探す。
もう放課後のはずだが、職員室にイルカがいないのを確認したカカシは、まだ教室かなと教室のある方向へと視線を向けた。
(あぁ、いた)
思ったとおり、教室の一室。
カカシも良く見知った同僚の男と一緒にいるイルカの姿を、カカシはすぐに見つける事ができた。
笑みを浮かべて楽しそうにしているイルカを見て、カカシの顔にもつられて笑みが浮かぶ。
だが、それは一瞬だった。
イルカが笑みを浮かべながら少し振り返り、イルカの背後に立ち、少し大き目のマントを身に纏い始めた同僚の男に話しかけている。
話しかけられた男の方も笑みを浮かべながらイルカへと近付き、男が、男よりも少し小さいイルカの背中を、身に着けたマントですっぽりと覆うように抱き込んだ。
(・・・!)
その瞬間。
くっきりと眉間に皺を寄せたカカシは、その拳を血が滴ったのではと思うほど、きつく握り締めていた。
その光景を見てすぐ、落ち着けともう一人の自分が囁いて来たのだが、イルカをこよなく愛するカカシが、その声を何もせずに聞き入れるには動揺が激し過ぎたのだ。
すぐにでも同僚の男へと攻撃を始めようとする手を、カカシは辛うじて残っていた理性で抑え付けた。
落ち着け、ともう一人の自分が耳元で再び囁く。
あの男は里の同胞だ。それに、イルカの親しい友人。カカシだって、イルカの友人である彼と多少の付き合いはあり、彼の人となりは良く知っている。
とても仲の良い二人だから、じゃれつくくらいはするだろう。
それにしてはかなり近すぎるが、こうやってカカシが沸き起こりそうになる殺意を懸命に抑えながら見ている現在でも、未だに二人が離れないのにも何か理由があるのだ。
何か特別な理由が。
そう思わなければ、今にも二人へと飛び出そうとする足を。手がクナイの入っているホルスターへと向かおうとするのを、カカシは許してしまいそうだった。
イルカと同僚の男が楽しそうに笑みを浮かべて会話をしている。一つのマントに共に身を包み、イルカの背中越し、恋人同士のように抱き合いながら。
そんな二人を、瞳を眇めて見つめるカカシの胸に絶え間なく痛みが襲う。痛み過ぎて、息が詰まりそうだった。
震える息を吐き出しながら、カカシは今、必死になって”それ”を否定している。
違うと分かっている。昨夜だって、イルカはカカシの求めに嬉しそうに応えてくれたではないか。
あんなに何度も好きだと言ってくれた。
イルカの瞳は、カカシへの恋情で溢れていた。
違うと分かっていても、カカシの目に映る光景が、イルカを愛しいと想うカカシの心をこれでもかと痛めつけてくる。
胸が抉られるようなその痛みに耐えながら、カカシは掌を付いていた木の幹にぎりと爪を立てた。
そんなカカシが見つめる中、同僚の男がイルカの口元へその手をゆっくりと近づけ始める。
その手に持っているのは、何故か皮の剥かれたバナナ。
(・・・?)
何をと思いながら見ていると、イルカがちょっと恥ずかしそうな、困惑した表情を浮かべた。
そうして。
羞恥からかほんのりと頬を染めたイルカが、男の差し出すバナナを熱い眼差しでじっと見つめながら、ふっくらとしたその唇を開いた。
(・・・ッ!)
カカシが冷静に見ていられたのはそこまでだった。
「・・・なぁにやってるのよ」
自分でも、いつ瞬身の印を組んだのか覚えが無い。
気が付けば、カカシの手はイルカの背から男を引き剥がし、それだけではなく、バナナを持った男の手を折れんばかりに捻り上げて、教室の床板へとその身体を叩きつけていた。
辺りに漂っているのは、カカシの本気が伺える、動けば切れそうなほどに冷々とした殺気。
「うぅ・・・ッ!」
足元から上がる男の苦しそうな呻き声を聞きながら、カカシはその背に容赦なく膝を乗せた。
途端に男の口から上がる、「ぅあッ!」という悲鳴に近いその声を聞いたカカシの顔に、無意識に冷酷な笑みが浮かぶ。
そのまま、カカシは男の耳元に顔を寄せた。
「・・・オマエは大丈夫だと思ってたんだけどねぇ・・・」
そう呟くカカシの声はあまりにも静かで、自分でも落ち着き過ぎていて恐ろしいと思った。
そう思ったのはカカシの下にいる同僚の男も同じだったらしく、男は焦ったようにブンブンと首を振った。
勘違いだと言うように首を振る男に、笑みを消したカカシが少し眉根を寄せる。
「じゃあ、どうしてあんなにイルカ先生と引っ付いてたの・・・?」
返答次第では許さない。
そんな雰囲気を漂わせるカカシに答えたのは、カカシが問いかけた男ではなく、それまでそんな二人を呆然とした表情で見つめていたイルカだった。
「違・・・いますっ!」
切羽詰ったようなイルカのその声を聞いたカカシは、イルカへゆらりと視線を向けた。
こんなにも怒りに満ちた瞳でイルカを見るのは初めてだ。
初めて見せるカカシのその瞳を見たイルカが、やはりというか、途端に怯む。可哀想だとは思ったが、瞳に浮かぶ怒りを隠すことは出来なかった。
だが、そんなカカシに一瞬だけ怯んだイルカはすぐ、きつく眉根を寄せてカカシへと言い募ってきた。
「誤解です・・・っ!その、アカデミーの花見の席で二人羽織りをしようって・・・っ。それで、そいつと練習してただけなんです・・・っ!」
何て言い訳じみた言葉だと思った。
言った本人であるイルカも、カカシへと言い辛そうに告げてきた事から、その自覚はあったのだろう。
だが。
イルカの瞳を見て、カカシのその考えはすぐに掻き消えた。
真っ直ぐにカカシを見つめてきているその瞳は、動揺からか揺れてはいたが、一度もカカシから逸らされる事はなくて。
信じて下さい。
俺を信じて下さいと、イルカの瞳がそう言っていた。
しばらくの間、真偽を確かめるかのように、イルカをじっと見つめ返していたカカシだったが。
いつまでも殺気を納めないカカシに、やはり信じて貰えないのかとイルカのその瞳が悲しそうに揺れ始め、じわりと涙を浮かべるに至って、はぁと溜息を吐いたカカシはようやくイルカから視線を外し、殺気を納めた。
同時に同僚の上からも退く。
「・・・ま、イルカ先生に免じて、今回だけは許すけど」
そう言いながら、まだ床に倒れこんでいる同僚の男へ手を差し出すと、二人はあからさまにホッとした表情を浮かべた。
イルカの言葉は本当だろう。
二人はここで、二人羽織りの練習をしていたのだ。
それは本当だろうが。
「但し」
再度、瞳に力を込めて男を見つめる。
「・・・次はないよ」
殊更低い声でそう告げると、そんなカカシに慄いた男は、焦ったようにコクコクと頷いた。






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