風船 前編






アカデミーでのクリスマス会を前日に控えたその日の夜。
クリスマス会で使う犬の飾りを細長い風船で作る事になり、家に風船を持ち帰ったイルカは、風船相手にかなり苦戦していた。
簡単に作れるだろうと風船での飾り作りを引き受けたのだが、ゴムが硬いからか、なかなか膨らまなくて。
なんとか、残るは後二個となるまで頑張って作ったのだが、頬が痛くて堪らない。
痛む頬をぐにぐにと揉みつつ、あと少し頑張ろうと次の風船を膨らませる為、それを口にしようとしたところで。
「さっきから何やってるの?」
「・・・ッ!」
背後から不意に聞こえてきた恋人の声に、帰ってきてるとは思っていなかったイルカは盛大に驚いてしまった。
手に持っていた風船もワタワタと取り落としてしまう。
「ちょ・・・っ、カカシさん!帰ってきてたのなら、ただいまくらい言って下さいっ」
背後から突然声を掛けたカカシを振り返ってそう抗議して、痛いくらいにドキドキしている心臓を押さえながら、「すっごいびっくりした」と呟いていると。
「言ったけど、気づいてくれなかったのはイルカ先生でしょ?オレのせいにしないの」
ちょっと眉間に皺を寄せたカカシに、め、と叱られた。
(うそ、気づかなかった・・・っ)
風船を膨らませるのに夢中でカカシが帰ってきたのにも、カカシの帰宅を告げる言葉にも気づいていなかった。
言われてみれば、カカシはアンダー姿で素顔を晒していて。今さっき帰ってきたというわけではないのだろう。
気づかなかったイルカが悪いのに、何も悪くないカカシに文句を言ってしまったのかと思うと申し訳なくて。
「ごめんなさい・・・」
自己嫌悪に陥ったイルカが素直に謝ると、ふと笑みを浮かべたカカシがおずおずと見上げるイルカの頭をポンポンと撫でてくれた。
「で?オレが帰ってきたのにも気づかないくらい夢中になって、何やってたの?」
「あの、明日、アカデミーでクリスマス会があるんです。その時に使う飾りを作る事になって、風船で犬を作ろうとしてるんですけど、風船がなかなか膨らまなくて・・・」
ほっぺたが痛くなっちゃいました。
カカシを見上げて頬を擦りながらそう言ってみたら、「ふぅん」と呟いたカカシが、イルカの前に回りこんできて、イルカの目の前にストンと胡坐をかいて座った。
「あぁ、ホントだ。可哀想に、真っ赤になっちゃってる・・・」
そう言って、ちょっと眉間に皺を寄せたカカシにそっと掌で頬を撫でられて、イルカのただでさえ赤くなっている頬がさらに赤くなる。
「こんなになっちゃうくらい膨らまないの?この風船」
「そうなんです。ゴムが硬いみたいで・・・」
「ちょっと膨らませてみて」
そう言われたイルカは、膨らませようと取り落としていた風船を拾い上げ、口にしようとしたが。
「ちょっと待って」
と、カカシに止められた。
「え?」
「それじゃあ膨らみにくいよ。ちょっと貸して?」
そう言ってイルカが手に持っていた風船をするりと抜き取ったカカシが、風船を指先で満遍なく揉んだ後、イルカが口にしようとした部分ではなく、風船の先の方を口に含んだ。
(あれ?)
小首を傾げてカカシの様子を見ているイルカの前。カカシの口から先が少し膨らんだ風船が出てくる。
空気が抜けないよう膨らんだ部分の根元を指で押さえながら、風船を返したカカシが続いて風船にふぅと息を吹き込むと。
「うわ、すごい・・・!」
それほど力を入れた様子もなく膨らんだ風船に、イルカは感嘆の声を上げた。
細長い風船を、こんなにも簡単に膨らませる方法があるなんて知らなかった。
(どうやったんだろう・・・)
キラキラと目を輝かせて見つめるイルカに、口を縛って犬を作ってくれていたカカシがふと苦笑する。
「簡単に膨らませる方法、知らなかったんだね。教えてあげようか?」
「はい!」
ぱぁと顔を綻ばせ、意気込んでそう答えたイルカの手に、カカシが最後の一つとなった風船を持たせてくる。
受け取ったイルカに一つ笑みを見せたカカシが、何故か立ち上がる。
そうしてイルカの背後に回り込み、イルカの背中にぴったりと密着するかのように座った。
「あの・・・、カカシさん?」
うなじの辺りにカカシの息が当たって擽ったい。
ちょっと振り返って背後にいるカカシを伺うと、笑みを浮かべたカカシと視線が合った。
(あれ・・・?)
その深い蒼の瞳に、怪しい色が浮かんでいるような気がしたイルカは少し戸惑った。
そんなイルカに構わず、イルカの肩に顎を乗せたカカシがイルカの手の中にある風船を覗き込んでくる。
「じゃあ、まずは。コレ、揉んで?爪を立てないようにして、指先で優しく。ね?」
カカシに耳元で囁くようにそう言われたイルカは、ぴくりと身体を震わせてしまった。
その声が、カカシが夜の営みの時に囁く声に似ていて。
おまけに。
言われたその内容も、カカシに以前、似たような事を言われた気がして。
(そんなはず・・・)
気のせいだ。
カカシは親切に風船の膨らませ方をイルカに教えてくれようとしているだけ。
そう思いはするのだが、背後にいるカカシから漂う夜の雰囲気が、首筋や耳の後ろに掛かるカカシの熱い息がそれを否定する。
「ほら、早く。・・・シて?」
「・・・っ」
はっきりとした、とある意図を持った言葉をカカシが囁く。
それは、いつも淫猥な夜の営みへとイルカを誘う甘い囁き。
卑猥な想像をさせるその言葉とは裏腹に、カカシの手はイルカに触れようとはしていない。
まるで、言葉のみでイルカをそちらの方向へと導こうとでもしているかのよう。
(意地悪されてる・・・のか?)
手がゆるゆると風船を揉み始める。カカシに言われた通りに。
まさか。違うだろうと否定するイルカの心がそうさせた。
だが。
「凄く上手だね、イルカ先生・・・」
「ひぁっ!」
敏感な耳に吐息を吹き込まれるようにそう囁かれたイルカは、高い声を上げると共にカカシが顎を乗せている肩を思わず竦めてしまった。