震えるその指先が 後編






好きな人から付き纏うなと言われる事が、どれだけ傷付くかイルカは知っている。
(・・・言えるわけ、ない・・・)
口説かれるのは困るが、カカシにそんな想いは絶対にさせたくない。
嫌だとも良いとも言う事が出来ず、詰まってしまったイルカを見て、銀髪を揺らして小さく首を傾げるカカシがふと苦笑する。
「ゴメンね、追い詰めちゃいましたね」
カカシの戦略なのだろうか。押されたと思った次の瞬間には、あっさりと引いていく。
ふざけているかのように思えるが、カカシのその顔を見てイルカは気付いた。
もしイルカが付き纏うなと言ったら、カカシは本当に去ってしまうのだろう。恋人にはなれないと言えば、カカシはきっとイルカの前から居なくなる。
「・・・どうしてですか」
「ん?」
膝の上できつく握られている自らの拳に視線を落とすイルカは、掠れた小さな声で問い掛ける。
「どうして友達じゃ駄目なんですか。俺、カカシさんとはずっと友達で居たいって・・・っ」
情けない事に、最後の方は涙声になってしまった。
(・・・泣くな、泣くな・・・っ)
今にも泣き出しそうな自分を懸命に律するイルカの隣に、小さく溜息を吐いたカカシがゆっくりと移動して来る。
「友達じゃ・・・」
半個室で、覗き込まれない限り外から中の様子は窺えないとはいえ、周囲と隔絶している訳ではない。
周囲に声が漏れ聞こえないようにだろうか。イルカの隣、肩が触れるか触れないかの距離を保って腰掛けたカカシから、密やかに落とされた声が聞こえて来る。
それと同時に、膝上できつく握られているイルカの手がそっと握られ、イルカはゆっくりと顔を上げた。
そんなイルカの視線の先。
「友達じゃ、そんな顔をしたあなたを抱き締めるコトも出来ないでしょ?」
小さく首を傾げてそう告げるカカシは、見ているこちらが切なくなるような笑みを浮かべていた。
「・・・イルカ先生が家族を欲しがってる事は良く知ってます。出来る事ならオレが与えてあげたいけど、ソレはさすがにムリですからね」
穏やかな声でそう言ったカカシが、その顔に浮かべていた笑みを苦笑に変える。
「子供はムリだけど、でも、あなたとずっと一緒に居る事は出来る」
カカシの意思の強さを反映しているのだろう。
浮かべていた笑みを消したカカシから告げられたその言葉は、イルカの胸に力強く響いた。
「オレに愛されてみませんか、イルカ先生」
「・・・っ」
真摯な眼差しを向けて来るカカシからそう続けられ、イルカは一気に顔を赤らめる。
たが、身体を求められたと思ったのはイルカの勘違いだったらしい。
「そうじゃなくて」
顔どころか耳の先まで赤らめたイルカを見たカカシから、盛大に苦笑されてしまった。
(ぅわ、俺・・・っ)
自分の勘違いが恥ずかしい。
襲い来る羞恥で死にそうになりながらも、ずっと一緒に居るというカカシの言葉にイルカは揺れる。
「・・・でも、俺より先に逝かない保障なんて無いじゃないですか・・・っ」
里の誉れと謳われる程優秀な忍であるカカシの任務は過酷だ。ずっと一緒に居られる保障はどこにもない。
見つめて来るカカシから視線を逸らすイルカがそう反論すると、それを聞いたカカシの深蒼の瞳が愛おしそうに眇められた。
「イルカ先生、気付いてる?」
嬉しそうな笑みを浮かべるカカシからそう尋ねられ、何を言われるのかと警戒するイルカは胡乱気な視線を向ける。
「・・・何ですか」
「さっきから、オレを失うのが怖いから、オレを受け入れたくないって言ってる」
「・・・っ」
笑みを苦笑に変えたカカシからそう告げられたイルカは、その漆黒の瞳を僅かに見開いていた。
「手だって、ホラ」
そう続けたカカシが、いつの間にかしっかりと繋がれていた手を掲げて見せる。
「ずっと繋いでるけど、全然振り解かないし」
繋がれている手に視線を当てていたイルカは、カカシからそう言われて初めて、同性であるカカシに手を握られても嫌がっていない自分に気付いた。繋がれている手からパッと視線を逸らしたイルカの瞳が動揺に揺れる。
(・・・俺・・・っ)
これが例えば他の男なら、たとえ同僚であったとしても、すぐに振り解いていただろう。
嫌ではないのだ。
カカシとこうして二人で過ごす事も、カカシに触れられるのも嫌ではない。
「ねぇ、イルカ先生」
普段から艶やかなカカシの声が甘さを増し、イルカは傍らに座るカカシへと視線を向けた。
「・・・オレに愛されてみませんか」
「・・・っ」
低く変化したカカシの声。同じ台詞でも先ほどとは意味が違うと、かなり鈍いと自負するイルカでも気付く。
口付けるつもりなのだろう。繋がれている手にカカシの唇がゆっくりと寄せられるも、カカシの眼差しに囚われるイルカは、その手を振り解く事が出来なかった。
(・・・振り解ける訳がない・・・)
無骨なイルカの手を握るカカシの指先が、僅かだが小さく震えている。
イルカより先には決して逝かないと言われたなら受け入れられなかっただろう。里一番の忍と謳われるカカシが請け負う任務はそう簡単なものではないと、受付所に勤務するイルカは良く知っているからだ。
けれど、中忍であるイルカが気付ける程、上忍であるはずのカカシが緊張している事が、惑うイルカの心を激しく揺さぶった。
ざわめく居酒屋の一角。
薄暗い半個室内に甘い雰囲気が満ちていく中、イルカの手の甲にカカシの唇が押し当てられ、予想以上に柔らかかったその感触を、イルカが自らの唇でも味わうのにそう時間は掛からなかった。