心が聞こえる 15






ベッドの上で上体を起こしたイルカは、窓の外で沈み始めた夕日を見つめていた。
来てくれるだろうかと考えて、来ないかもしれないという恐怖に包まれる。来てくれる保障も、それ以前にカカシに聞こえた保障も無いのだ。
それに、イルカの気持ちはカカシには迷惑以外の何ものでもない。
そんな気持ちを知らなかったとはいえずっと聞かせていたなんて、今思い出しても恥ずかしいと思ってしまう。
けれど、あの時。
羞恥に顔を染めたイルカが考えた事は、カカシを傷つけた。
―――・・・ゴメンね。
カカシが最後に告げた悲しそうな声が今でも耳に残っている。カカシを傷つけてしまった事がとても辛い。
謝りたい。
そして、今日は特別な日だから。どうしても言いたい言葉がある。
でも、会いに行きたくても足を怪我していて動けないイルカだから。カカシに伝わるといいと思いながら、心の中で会いたい会いに来て欲しいと願った。
少しだけでいい。会いに来て欲しい。
謝りたいし、言いたいのだ。どうしても。
「・・・謝るのはこちらの方ですよ、イルカ先生」
不意に聞こえたその声に、イルカはハッとした。
そして、浮かんでくるのは喜びと、それから大量の涙。
声のした方向を見たいのに、声の主を見たいのに。こんなに泣いていたら困らせてしまいそうで動けない。
(カカシ先生・・・っ。来てくれた・・・っ)
「・・・うん。呼んでくれたでしょ?イルカ先生に呼ばれて凄く嬉しかった・・・」
着ている病衣の袖で、次から次へと溢れ出す涙を拭っていると、その言葉と共にカカシがイルカの視界に回ってきてくれた。
ベッドの側に立ち、額当てを取って口布を下ろしたカカシは、少し悲しそうな表情を浮かべていた。
「・・・そんなに泣かないで、イルカ先生・・・」
そんな言葉と共に涙を指で拭われる。イルカがいつも見ていた指。大好きな指だ。
(ごめんなさい・・・っ。傷つけるような事を考えてしまって、ごめんなさい・・・っ)
ひっくひっくとしゃくりあげるほど泣いていて、声が出せそうに無い。カカシに届くもう一つの声でそう告げる。すると、カカシはイルカの頭をそうっと優しく撫でてくれた。
「悪いのはオレで、あなたは何も悪くないんです。だからもう謝らないで。ね?」
優しい声で顔を覗き込まれながらそう言われ、その優しさがとても好きだと思ったら、イルカの瞳からはまた涙が溢れ出した。


やっと涙が止まってくれる。
その間ずっと宥めるように、俯くイルカの頭を優しく撫でていてくれたカカシに、「すみません」と言ってイルカは小さく笑みを浮かべた。
「もう大丈夫?」
ベッドの脇に座って心配そうな顔で訊ねてくるカカシにこくんと頷く。
「・・・それで、オレに言いたい事って何かな」
言われて思い出した。カカシが来てくれた事が嬉しかったのと、許してくれたのが嬉しくてすっかり忘れていた。
「あの・・・っ」
「うん」
「今日、お誕生日ですよね?」
ずっと前、綱手に頼まれて書類保管庫の整理をしていた時に偶然見つけたのだ。忍者登録書を。
周りに誰もいないのを確かめてから、その中からカカシのものを探し出してこっそり見た。忍としてとても優秀な事を再認識して、それから誕生日を知った。
その時は、あの中忍試験から半年経った後で既にカカシの誕生日は過ぎてしまっていたから、次の誕生日は必ずプレゼントを用意してお祝いを言おうと思っていた。
中忍試験のあの言い争いの後、イルカに「ゴメンね?」と謝ってくれたカカシの事を、多分その時からずっと好きだったから。
「ご迷惑だとは分かっているんですけど、お祝いだけでも言わせて下さい」
少し驚いたような顔をしているカカシに笑みを向けると、イルカはその口を開いた。
「お誕生日おめでとうございます。カカシ先生」
あなたが生まれてきてくれて、そして、こうして出会えて嬉しい。そんな気持ちをこの一言に込めた。
「・・・イルカ先生」
カカシがベッドから降り、床に膝をつく。ベッドに座るイルカの手を取る。
見上げてくるカカシはどこか困惑した表情で、その顔を見たイルカはハッとした。
そういえばさっき、随分前からずっと好きだったと考えてしまった。考えている事が分かってしまうカカシに、また気持ちを押し付けてしまった。
申し訳なくて、視線が合わせられない。
イルカがスッと視線を逸らすと、カカシが慌ててその視線を追うように体を倒した。
「違いますっ。そうじゃなくて・・・。イルカ先生は、その・・・、イヤじゃないの・・・?」
「え・・・?」
何が、だろう。視線を戻してカカシを見つめる。
「考えてる事が全部オレに知られてしまう事。・・・気持ち悪く、ないの?」
カカシがどこか辛そうな表情を浮かべながらそう聞いてきた。
もしかして、過去にそう言われた事があるのだろうか。
恥ずかしいとは思うが、気持ち悪くは無いからイルカは急いで首を振った。
「気持ち悪くなんてありません。もうご存知だとは思いますけど、俺の頭の中は教え子達の事と仕事の事と、残りは殆どカカシ先生の事でいっぱいなんです。単純すぎて知られるのはかなり恥ずかしいんですけど・・・」
そう言って苦笑したイルカを見て、カカシが泣きそうな顔を浮かべる。
それを見たイルカは、また何か傷つけるような事を言ったり考えたりしただろうかと焦った。
「っ、違います・・・っ。どうして、どうしてあなたはそんなに優しいの・・・っ」
カカシが立ち上がる。
そのまま手を引き寄せられてぎゅっと腕の中に抱き込まれて、イルカは驚いた。それなのに。
「そんなあなたが・・・、そんなあなただから、オレも凄く好きなんです・・・」
なんて、カカシがもっと驚くような事を言うから。
せっかく止まっていた涙が溢れ出す。信じられなくて、嘘だと思った。
「嘘じゃない、信じて。凄く好きなんです。あぁ、あなたにもオレの心が聞こえればいいのに・・・」
そんな事を言ったカカシが、イルカの瞳を覗き込んでくる。
その瞳が凄く優しい。そのくせ、どこか感情の嵐を押さえ込んでいるように見えて、イルカは切なくなった。
聞こえないはずなのに、カカシのイルカを求める心が聞こえる気がした。
(・・・嬉しい・・・。凄く嬉しい・・・っ。カカシ先生が好き。大好き)
また凄く泣いていて声が出せそうに無い。心の中で強くカカシを想う。
「・・・イルカ先生」
苦笑したカカシが、イルカの頬に流れる涙を拭ってくれる。そのまま上を向けさせられて、涙が残る目元に、額に、頬に、そして。唇にもキスが落とされた。
突然の事に驚いて動けないイルカに、カカシが優しい笑みを湛えて見せる。
「そんなに嬉しい事を考えないで。胸が苦しくて息が出来なくなりそうです。オレの心臓が持ちませんよ」
カカシに凄く近くで瞳を見つめられながらそう囁かれ、また同じ事を考えてしまったイルカの唇には、再び甘いキスが落とされていった。



『声』が聞こえなくなればいいと願ったカカシだったが、今はその『声』がとても愛おしい。

『カカシ先生、好き・・・っ。大好き。生まれてきてくれて、本当に嬉しい。ありがとう』

イルカの『声』は、変わらずカカシを愛してくれた。
「・・・こちらこそありがとう。イルカ先生・・・」
イルカの『声』と、イルカの愛情に包まれて。
カカシは、今まで生きてきた中で一番幸せな誕生日を、最愛の人と過ごした。