始まりの雨 5 カカシが里に帰還したのは、大晦日の夕方だった。 あれからずっと降り続いていた雨に邪魔され少し時間が掛かってしまったが、部隊の皆を新年までに無事帰すことが出来て良かった。 雨に濡れ、疲れた身体を引き摺り小さく溜息を吐きながら受付所に入る。ストーブの上に置かれたヤカンのしゅんしゅんと鳴る音にどこかホッとする。 「・・・あ!」 さすがに大晦日だからか他の者は休みを取っているのだろう。受付所に入ったカカシを見止めた途端そう声を上げたのは、カウンターに座っていたイルカ一人だけだった。 「お疲れ様です、カカシさん」 「ん。イルカ先生もお疲れ様」 笑みを浮かべてそう言ってくれたイルカにふわりと笑みを返す。 すると、カカシの銀髪から水が滴ることに気付いたらしいイルカが、慌てたように立ち上がった。 「ずぶ濡れじゃないですか!ちょっと待ってて下さい。今、タオル持って来ます」 そう告げたイルカが奥にある棚へと向かうのに「すみません」と苦笑しながら、カカシは受付所に設置されている棚から報告書の用紙を抜き取った。 「ペン借してもらえますか。濡れちゃってたから報告書は書いてこれなかったんです」 カウンターへと近寄りながら、棚からタオルを取り出してくれているイルカにそう声を掛ける。 「どうぞ、使って下さい」 そう言ったイルカがタオルを手に近付いてくるのを視界の端に捉えながら、カカシはカウンターの上にあったペンを取った。 少し腰を屈め、カウンターの上で報告書を書き始めたカカシの頭に、背後からパサリとタオルが被せられる。 「書き終わったらちゃんと拭いて下さいね。風邪引きますから」 「ん。ありがと」 イルカの優しい心遣いを受け、カカシの口元が緩む。 身体は冷え切っているが、イルカのお陰で心はすっかり暖かくなっていた。 カカシが報告書を書いている間、少し離れていたイルカがカウンターへと戻ってくる。その手には小さな盆があり、お茶が入った湯呑みが乗せられていた。 「どうぞ。これ飲んで温まって下さい」 目の前に置かれた湯呑みから、暖かい湯気と共に良いお茶の香りが漂う。 こんなにも至れり尽くせりなのは自分だけだろうか。そんな期待を僅かにしつつ、カカシはイルカへ「ありがとうございます」と笑みを向けた。 「・・・大晦日なのに大変でしたね」 手に持っていた盆をカウンターの上に置いて椅子に腰掛けたイルカが、そう言いながら報告書を書くカカシを見上げてくる。 「イルカ先生だって同じじゃないですか。大晦日なのに」 苦笑しながらそう告げると、イルカはハハと笑った。 「家族とか恋人のいる同僚と代わったんです。俺は毎年一人ですから」 そうであって欲しいと願っていたが、恋人は居ないとハッキリとイルカの口から聞かされ心が喜んでいる。 「お互い淋しい独り身はつらいですね」 笑みを浮かべながらそう言ってみると、「・・・カカシさんなら女性が放っておかないでしょう?」という言葉が返ってきた。報告書に落としていた視線を少し上げる。 「・・・イルカ先生と毎日のようにココで会ってるでしょ?年末どころか年始だって任務で忙しい男に、女なんて居るはずないじゃないですか。オレだって淋しい独り身ですよ」 笑みを苦笑に変えながらそう告げると、イルカの頬が僅かに染まった。ゆっくりと俯く。 イルカの伏せた視線が泳いでいる。何かを迷っているようなその仕草。 それを見たカカシは小さく首を傾げた。 イルカの唇が僅かに震えながら開かれる。 「俺は・・・カカシさんに毎日のように会えて、今年はそれほど淋しくないんです」 小さく告げられたその言葉に、カカシのペンを持つ手がピクリと震えた。 (え・・・?) 思わず、俯いたままのイルカをまじまじと見つめてしまう。 「それって・・・」 どういう意味ですか。 そう訊ねる前に、イルカが顔を俯かせたままガタリと椅子を鳴らして立ち上がった。カカシと顔を合わせないようにして踵を返し、背後にある窓際へと歩みを進めていく。 その顔が赤いような気がするのは気のせいではないだろう。いつも露になっているイルカのうなじが真っ赤に染まっている。 その後姿を見つめるカカシの心臓が徐々に高鳴りだす。 イルカが淋しくないと言った。毎日のようにカカシに会えて、淋しくないと。 胸が期待に大きく膨らむ。 イルカもカカシと同く、恋心を抱いてくれているのだろうか。 友人としてではなく。単に緊張するというだけでなく。 カカシのように、恋焦がれてくれているのだろうか。 「あ・・・」 窓の外を見ていたイルカが、小さく声を上げる。 その声につられるように、カカシも窓の外に視線を向けると、外では雨に混じり雪が降り始めていた。 手に持っていたペンを置き、頭に被せられていたタオルを首に掛ける。そうして、カカシはゆっくりとカウンターを回った。雨に濡れた口布を下ろしながらイルカの側へと近付く。 「・・・オレもです」 「え・・・?」 イルカの隣に立ち、外の雪混じりの雨を眺めながらそう告げると、イルカが視線を向けてきた。カカシもイルカへとゆっくり視線を向ける。 そうして、見つめてくるイルカを見つめ返しながら、カカシは小さく笑みを浮かべた。 「オレも、あなたに毎日のように会えて今年はそれほど淋しくないんです。・・・それどころか、任務続きで良かったとさえ思ってる・・・」 イルカを見つめる瞳を愛しさから眇め、囁くようにそう告げると、イルカの顔がかぁと真っ赤に染まった。カカシから慌てたように視線を逸らし、顔を俯かせる。 それを見たカカシは、その手を伸ばし自らの額当てを取り去った。それをきつく握り締め、イルカへと身体ごと向き直る。 「・・・イルカ先生」 イルカが真っ赤に染まったままの顔をおずおずと上げる。 その漆黒の瞳に映る自分の姿が、イルカへの気持ちを余す事無く伝えられているといい。 この瞳が、イルカを愛しいと思う気持ちを伝えていてくれるといい。 「イルカ先生」 囁くようにイルカの名を呼びながら、カカシは緊張から僅かに震えるその手を伸ばした。 ほんのりと染まったイルカの頬。雨に濡れた指先でそっと触れると、その頬は痺れを感じる程に熱く感じた。 (逃げないで・・・) そう願いながら一歩イルカへと足を踏み出す。ゆっくりと顔を近づけていく。 見つめ返してくるイルカの顔がくしゃりと歪む。 逃げられるかもしれないという不安は、イルカの手がカカシのベストをきゅっと掴んで来た事で掻き消えた。その仕草が泣きそうな程に嬉しい。 「カカシさ・・・っ」 「・・・ん。・・・好きですよ。好き・・・」 心からの想いをイルカへと告げながら、僅かに震えるその唇にそっと口付ける。その暖かい唇に何度も何度も。 (好きだ・・・) 何度だって伝えたい。 イルカの事がどれだけ好きなのか。イルカにどれだけ救われているのか。 カカシの想いが全て伝えられているといい。 「好きです、イルカ先生・・・」 潤んだイルカの瞳を見つめながらそう告げ、カカシはイルカの背に手を回した。抱き寄せようとして、自分の身体が雨に濡れている事を思い出し躊躇う。 だが、躊躇いを見せたカカシの濡れた身体に、イルカの方から近付いてくれる。 肩におずおずと乗せられる頬。カカシの頬を擽る漆黒の髪。それらが堪らなく愛しい。 イルカをきつく抱き締める。イルカの暖かい身体が、カカシの冷えた身体を暖めてくれる。 「・・・俺も、好きです・・・っ」 背中にイルカの手が回され、耳元でそう小さく告げられたその瞬間。 外では雪混じりの雨が降っているというのに、カカシの心と身体は太陽に照らされたように暖かくなった。 (・・・あぁ・・・) イルカが愛しい。 そんな想いで溢れ、胸がいっぱいになる。 イルカの身体を抱き締めながら。 カカシは、その暖かい存在に優しく抱き締められているような、そんな気がしていた。 |
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