心からの祝福を 5






イルカが付き添う許可は、カカシのたった一言で下りてしまった。
「イルカ先生の付き添いを許可してくれる?してくれないなら帰るから」
診察に来た早々、カカシの本気を伺わせる冷々とした声と表情でそう告げられた医師は固まってしまった。イルカだってそうだ。まさかカカシがそんな子供のような我侭を言うとは思わなかった。
本来なら許されるはずのない我侭だ。だが、カカシの瞳には本気の色がまざまざと浮かんでおり、さすがに今日目覚めたばかりのカカシを帰すわけにもいかなかったらしい医師は、渋々「今夜だけですからね」と念を押して許可してくれた。
付き添いが出来る事になったのは嬉しかったけれど、もの凄く恥ずかしかった。明日にはきっと、この事が病院中で噂になっているに違いない。
(もうっ、もう・・・っ!恥ずかしい・・・っ)
消灯時間となり、暗くなった病室内。カカシのベッドの隣に置かれた簡易ベッドの上で、布団を頭からすっぽりと被ったイルカは、もう何時間も心の中でカカシを責めている。
そうやっていつまでも恥ずかしがっているイルカを、先ほどからくつくつと小さく笑っているのはカカシだ。
「笑わないで下さいっ」
「ごめんごめん。謝るから。もうすぐ誕生日を迎えるあなたの顔を見せて・・・?」
聞こえてきたそれは、イルカの耳にとても優しく響いた。イルカの顔が布団からゆっくりと出てくる。
灯りは消されているが、外は月が出ているのだろう。薄いカーテン越しに月明かりが入り、ほんのりと明るい。
そのカーテンを背にベッドの上で上体を起こしたカカシが、口布を下ろしてイルカをじっと見つめていた。声に違わぬカカシのその表情に、イルカの胸がきゅんと高鳴る。
「・・・おいで」
静かな病室内にカカシの低い声が響く。カカシがその手をゆっくりと上げ、イルカへと差し伸べてくる。
「イルカ先生、おいで」
カカシの声は幻術に違いない。怒っていたはずなのにイルカはベッドからゆっくりと降り、ぺたぺたと裸足で床を鳴らしてカカシの側へと近寄っていた。差し伸ばされているカカシの手にイルカも手を伸ばし、そっと乗せる。
すると、カカシのその手にぐいと引き上げられ、イルカはそのままカカシの膝の上に乗せられてしまった。
「いらっしゃい。・・・あぁ、イルカ先生だ・・・」
愛おしそうに瞳を眇めたカカシが、そっと手を伸ばしてくる。その手がイルカの頬を撫でる。
「恥ずかしい思いをさせてゴメンね・・・?でも、どうしてもあなたに一番におめでとうを言いたかったから・・・」
そう言ったカカシが、ベッド側のテーブルに置いてあった時計に視線を向けた。イルカもその視線を追うように時計を見ると、ちょうど日付が変わるところだった。
「・・・誕生日おめでとう、イルカ先生」
見上げてくるカカシが、囁くようにそう言って小さな笑みを向けてくる。
耳に響くその声が、慈しむようなその深い蒼の瞳がイルカの心を優しく振るわせる。涙が溢れそうになる。
おめでとう。そのたった一言をイルカに言う為に、カカシは無理をして帰ってきてくれた。あんな我侭を言ってくれた。
カカシの我侭は凄く恥ずかしかったけれど、でも、本当は嬉しくもあったのだ。
いつもイルカの心の『声』を聞いて、その願いを叶えようとしてくれる優しいカカシが好きだ。
生まれてきた事に、そして今、こうしてカカシと一緒にいられる事に心から感謝しなければ。
「・・・ありがとう、ございます・・・っ」
イルカの涙混じりのその言葉に、ふと笑みを浮かべたカカシがイルカの目尻に浮かんだ涙を拭ってくれる。
「それとね、プレゼントもあるんです。喜んでくれるといいんだけど・・・」
「え・・・っ?」
そう言ったカカシが、側にあるテーブルにその手を伸ばした。棚から掌に収まるくらいの丸い石を取り出す。
プレゼントまであるなんて思わなかった。喜びにぱぁと笑みを浮かべたイルカの手を取ったカカシが、イルカの掌の上にその石をそっと乗せてくる。
艶やかな色を放つ綺麗な漆黒の石だ。けれど、所々白い模様が入っている。まるで夜の闇に降る銀白の雪を見るようだった。
掌の中、周りの景色が映るほどに研ぎ澄まされたその石を見つめるイルカの目元が緩む。
「綺麗・・・」
「黒耀石なんです。イルカ先生、書類を扱うことが多いでしょ?だから、書鎮をと思って。・・・さっきあなたとオレがちょっと嫉妬した女性ね、とても腕のいい研磨師なんですよ。オレのクナイの研磨はいつも彼女に頼んでいるんですが・・・」
そう言ったカカシが、再び棚から何かを取り出した。今度は小さい。
「これも。それと同じ石から作って貰いました」
差し出されたカカシの掌を覗き込むと、それはイルカの掌の中の石と同じ模様だったが四角くて小さかった。小さな穴も開いている。
(ドッグタグ・・・?)
二種類もプレゼントを貰えるのだろうか。イルカの首が小さく傾ぐ。
「あぁ、こっちはイルカ先生用じゃなくてオレ用なんです。ちょっと持っててくれる?」
カカシにそう言われ、手に持っていた黒耀石で出来た書鎮をテーブルの上に置いたイルカは、小さなそれを指先でそっと持ち上げた。目の前に翳すと、外から零れる月明かりが反射してこちらもとても綺麗だった。
石に目を奪われているイルカの耳にチャリと微かな音が聞こえてくる。ふと見ると、カカシがいつも身に着けているドッグタグをアンダーの下から取り出すところだった。
「・・・この石の石言葉を知っていますか?」
カカシにそう問われたイルカは、以前本で読んだ知識を記憶の隅から引きずり出した。ただの黒耀石なら『不思議な力』だが、白が混じった黒耀石の場合は違う。
「確か・・・、『愛の維持』」
「そう。・・・あなたはオレの誕生日にあなたの愛をくれた。それは今でもずっと変わらず続いてる」
そう言ったカカシが、イルカの頬に再度手を伸ばした。愛おしそうにそっと撫でられ、イルカの口元が嬉しさから緩む。
「・・・あなたは今この瞬間もオレを『好き』だと想ってくれてる。あなたがそうやって与えてくれる愛情にオレも同じだけの愛情を返したいけれど、それはきっと一生かかっても無理だと思うから・・・」
小さく苦笑したカカシがそう言いながら、首からドッグタグの鎖を外した。イルカの手から石を受け取り、それを鎖に通す。
「・・・これからも変わらずあなたを愛していたい。愛させて欲しい。そして、あなたにこれからもずっと愛して欲しい。・・・そうこの石に願うオレを、受け取ってくれる・・・?」
『愛の維持』を石言葉に持つ銀白が混じった黒耀石。その黒耀石で出来たドッグタグを通した鎖をイルカへと差し出しながら、不安そうに揺れるカカシのその瞳と声に堪らなくなる。
カカシの手の中にある鎖に視線を落としたイルカは眉根をきゅっと寄せた。これはカカシを縛る鎖だ。これからずっと、カカシをイルカへの愛に縛り続ける鎖。
「・・・カカシさんの愛情は、これからもずっと俺のものなんですか・・・?」
「うん」
「・・・俺は、カカシさんをこれからもずっと愛してていいんですか・・・?」
「うん」
なんてプレゼントだろう。
カカシは、これからもずっとイルカを愛し続け、イルカに愛し続けて欲しいという約束を、今のこの幸せをずっと続けるという約束をプレゼントしてくれようとしている。
「俺は・・・っ」
その先をイルカは言葉にすることが出来なかった。嬉しさで涙が溢れ出す。声が出せなくなる。
(・・・俺は、これからもずっとずっとカカシさんを愛していくんですから・・・っ。もう愛さないでって言われても聞きませんよ・・・っ?)
だから、続きは『声』で伝える。忍服の袖で涙を拭いながら、カカシにだけ届く『声』でそう訊ねる。
それにふと苦笑したカカシが、イルカへと手を伸ばしてくる。その腕にきつく抱き締められる。
「・・・そんな事、絶対に言わないよ・・・。だから、オレを受け取って?イルカ先生・・・」
耳元でそう囁かれたイルカは、こくこくと何度も頷いた。
当たり前だ。返してと言われても絶対に返してなんかやらない。カカシの愛情は誰にもやらない。これからもずっとイルカだけのものだ。
(はい・・・っ)
イルカはそう心の中で応えると、カカシの手にあるカカシを縛る鎖をその手に取った。




徐々に朝日が昇り始める。
自らの腕の中。カーテン越しの朝日に照らされて幸せそうに眠るイルカを見つめるカカシの瞳が、愛しさから眇められる。
晴れてくれて良かった。イルカの望んでいたケーキは用意できなかったが、イルカが望んでいたように青空でイルカの誕生日を迎え、こうして一緒に祝う事が出来た。
イルカに付けて貰った黒耀石のドッグタグを、アンダーの上から掌で愛おしく押さえる。そして。
(誕生日おめでとう。・・・生まれてきてくれて本当にありがとう・・・)
カカシは、そう心の中で祝福と感謝の言葉を告げながら、朝日を浴びて眠るイルカの頬にそっと祝福のキスを落とした。