幸せな時をいつまでも 1






僧侶も走り回る程に忙しくなると言われる師走。
住宅街に入り暗い夜道を歩くカカシは、手に持った小さな箱をなるべく揺らさないようにしながら、恋人であるイルカのアパートへと急いでいた。
口元を埋めた暖かなマフラーの下、カカシから小さな溜息が零れ落ちる。
(忙しくなるのは坊さんだけじゃないっての・・・)
『師』と付く職業にある者は総じて、年の瀬が迫るこの時期は何かと忙しいのではないだろうか。
大学で教鞭を取っているカカシとて、それは例外ではない。
数名ではあるが、卒論・修論を控えた学生を抱える身だ。大学に遅くまで残り、頑張っている彼らを放って先に帰るなんて出来るわけが無い。
ああでもないこうでもないと論文に頭を悩ませる彼らに付き合い、彼らの質問に答え、ほんの少しアドバイスしてやるのもカカシの大切な仕事だ。
それは分かっているのだが、何もクリスマスイブまで残って頑張らなくてもと思ってしまうのは、数ヶ月前、カカシに本以外の恋人が出来たからなのだろう。
去年まではクリスマスも正月も研究室に入り浸って過ごしていたカカシが、一ヶ月も前から会う約束をするくらい、カカシは恋人と過ごすこの日を楽しみにしていたのだ。
それなのに。
手に持っていた鞄を小脇に抱え、スーツの内ポケットから携帯電話を取り出す。パチンと軽い音を立てて開いた携帯電話の液晶画面で時間を確認するカカシから、再び、今度は大きな溜息が零れ落ちる。
(約束の時間、たいぶ過ぎちゃったな・・・)
小学校教諭であるイルカも終業式前で忙しい時期だ。遅めの時間で約束したのにも関わらず、研究熱心な学生たちからようやく解放されたカカシが大学を出たのは、もうすぐイルカと約束した時間という頃だった。
遅くなるという連絡を入れ、イルカの家にこうして急いで向かっているのだが、二人は互いに仕事を持つ社会人で、平日はただでさえ会える時間が少ないのだ。その少ない時間がさらに減ったとなれば、研究熱心で褒められるべき学生たちを恨みたくなるのも仕方の無い事だろう。
用の無くなった携帯電話を内ポケットに仕舞いながら、ようやく辿り着いたイルカのアパートの階段を登る。そうしてイルカの部屋の前に立ったカカシは、僅かに乱れた息を整えながら、小さな箱を持つ手で呼び鈴を鳴らした。
イルカの応答を待つカカシの耳に、バタバタという足音が聞こえてくる。
カカシがやってくるのを今か今かと待ち望んでいてくれたのだろう。覗き窓でカカシの姿を確認したのか、鍵を開ける音がし、玄関の扉を勢い良く開けて出迎えてくれたイルカは、やはりというか、嬉しそうな笑みを満面に浮かべていた。
「お仕事お疲れ様でした、カカシ先生!」
声にも嬉しそうな響きを乗せてそう言ってくれたイルカに、こちらも笑みを浮かべて応える。
「ん。遅くなってゴメンね、イルカ先生。コレお土産です」
浮かべた笑みを苦笑に変えながら謝罪し、それまで大切に持っていた小さな箱をイルカへと差し出す。
「何ですか?」
カカシが手土産を持ってくるなんて思っていなかったのだろう。差し出された小さな箱を受け取りながら、カカシに中へ入るようにと促してくれていたイルカの首が僅かに傾ぐ。
「大学の近くに美味しいって評判のケーキ屋さんがあるの知ってる?」
履いていた靴を脱ぎ、暖かい部屋の中へと入る。可愛らしい仕草を見せるイルカに深蒼の瞳を細めながらそう訊ねると、イルカの表情がぱぁと明るくなった。
「あ、はい!知ってます。時々差し入れで頂くんですけど、甘さ控え目で美味しいんですよね」
その言葉を聞いたカカシから、小さく安堵の笑みが零れ落ちる。
カカシが甘いものが苦手だからと、ケーキは用意しないと言っていたイルカの為に買ってきたのだが、お気に入りのケーキ屋だったようでホッとした。
「良かった。ソレ、そこのケーキですよ」
「え?でも、カカシ先生は・・・」
甘いものが苦手なカカシが、自らケーキを買ってくるとは思っていなかったのだろう。不思議そうにそう言われ、巻いていたマフラーを取るカカシの顔に小さく苦笑が浮かぶ。
「うん。でも、せっかくのクリスマスでしょ?イルカ先生だけでもと思って」
それを聞いたイルカの顔が嬉しそうに綻ぶ。
「ありがとうございます。食後のデザートに頂きますね」
ケーキが入った小さな箱を大事そうに抱えるイルカからそう告げられ、カカシの瞳が僅かに見開かれる。
「・・・もしかして、まだ食べてなかったの?」
夕飯の時刻はとうに過ぎている。遅くなると連絡を入れた際、先に食べてていいと言っておいたのだが、イルカは食べずに待っていてくれたらしい。
今日を楽しみにしていたのはカカシだけでは無かったのだろう。
「一人で食べても味気ないですから」
そう言って苦笑を浮かべるイルカに、申し訳ない想いで一杯になったカカシは、イルカの暖かい頬にそっと指先を伸ばした。
「ホントにゴメンね。もっと早く切り上げれば良かった」
頬を擽りながら眉尻を下げて謝るカカシに、苦笑を浮かべたイルカが小さく首を振ってくれる。
「この時期は忙しいですから仕方ありませんよ。俺が勝手に待ってただけですから気にしないで下さい。・・・カカシ先生も腹が減ってるでしょう?すぐに準備しますね」
柔らかな笑みを浮かべ、優しくそう言ってくれたイルカが愛しい。
「・・・今日は何を作ってくれたの?美味しそうな匂いがする」
良い匂いが漂ってきている。空腹を刺激されたカカシがコートを脱ぎながらそう訊ねると、玄関のすぐ側にある台所に向かい、ケーキの箱を冷蔵庫へと入れていたイルカが面映そうな笑みを浮かべた。
「チキンの香草焼きにしてみたんです。すぐ温め直しますから、座って待ってて下さい」
「ん」
イルカにそう促され、奥へと向かう。
もう何度も訪れた事があり勝手知ったる部屋だ。奥に置かれているコタツへと歩み寄り、手にしていた鞄やコート、マフラーを背後にある本棚の側に置く。
そうしてコタツ布団の中へ足を入れたカカシは、じんわりとした暖かさにほぅと溜息を吐きながら、スーツの上着も脱いだ。ネクタイも少し緩める。
(やっぱり落ち着く・・・)
家主であるイルカと同じく雰囲気が暖かいからだろうか。この部屋に来ると、自分の家のように寛いでしまう。
そうやってカカシがすっかり寛いだ格好になった所で、イルカがワインボトルとコルク抜きを手にやってきた。カカシの背後に無造作に置かれていたコートやスーツに気付いたらしいイルカが、持っていたそれらをコタツの上に置き、その手をカカシへと差し出してくる。
「そんな所に置いてたら皺になっちゃいますよ。掛けておきますから、貸して下さい」
仕方ないなという顔をしたイルカにそう告げられ、イルカを見上げるその顔に苦笑を浮かべたカカシは、言葉に甘えて置いておいたコートやスーツを差し出した。
「・・・ゴメン、お願いします」
受け取ったイルカがクローゼットからハンガーを取り出し、それらを掛けてくれる。その後姿を見るカカシは、ほんのりとした暖かさが胸に広がるのを感じていた。
自分を待ってくれている人が居て、自分の世話を嬉しそうに焼いてくれる人が居る。
その何と幸せな事か。
「・・・イルカ先生」
小さく笑みを浮かべてイルカの背中に声を掛ける。
「はい?」
「好きですよ」
イルカが振り返ったところでそう言ってみると、スーツをハンガーに掛けていたイルカの手がピタリと止まった。続いて、かぁと頬を赤くしたイルカが慌てたように前を向く。
「そんな事言う暇があるなら、ワインの栓でも抜いてて下さい・・・っ」
改めて好きだと言われて恥ずかしいのだろう。怒ったようにそう言われ、イルカの可愛らしいその反応にカカシの笑みが深くなる。
「はぁい」
くつくつと小さく笑いながら良い子のお返事をして、コタツの上に置かれていたワインボトルとコルク抜きを手に取る。
そうしてカカシは、イルカと過ごす幸せなイブの夜の始まりを、ワインを開ける音と共に迎えた。