2009年カカ誕企画
明けぬ夜 1






この胸の痛いほどの高鳴りに、どうかイルカが気付きませんように―――。


うっそうとした森の中に張られたそのテント内は、灯りを消すと暗闇に包まれる。
だが、忍である二人の目には、外から漏れ入る僅かな月明かりがあれば充分だった。
「・・・おいで、イルカ先生」
その暗闇の中、ベストを脱ぎながら簡易ベッドに腰掛けたカカシは、そう言ってイルカへと片手を差し出した。
ほんのりと頬を染めたイルカが小さく頷き立ち上がる。そうして近付いてくるイルカは、カカシと共にこうして夜を過ごす事にまだ緊張するのか、少しぎこちなかった。
カカシが差し出したその掌に、イルカの手がゆっくりと乗せられる。
暖かいその手を、カカシは怖がらせないよう優しく握った。そっと引き寄せ、イルカを見上げるその顔に、安心させるように小さく笑みを浮かべてみせる。
「寝ましょうか」
「・・・はい」
カカシのその笑みと言葉で安堵したのだろう。イルカの口からゆっくりと息が吐き出され、そうして浮かべたその笑みに、先ほどまで浮かんでいた緊張の色は消えていた。
ベストを脱いだイルカと共にベッドに潜り込み、カカシはいつものようにその身体を引き寄せた。自らの腕の中に柔らかく捕らえる。
「おやすみ、イルカ先生」
「おやすみなさい」
小さな声で挨拶を交わし、そっと瞳を閉じる。
耳に届くのは、外から聞こえてくるフクロウの鳴き声と虫の声。そして、煩いほどに鳴っている自らの心臓の音だけ。
イルカに聞こえていないといい。
そう願いながら規則的な呼吸を繰り返し、眠った振りをする。
身動ぎ一つしないでいると、眠ってしまったのだろう。しばらくしてカカシの耳に聞こえてきたのは、イルカのすぅすぅという規則的な呼吸音。
それが堪らなく愛おしい。閉じていた瞳をゆっくりと開け、腕の中で眠るイルカをそっと見つめる。
力強い漆黒の瞳を閉じると、イルカは子供のように幼く見えた。
戦地ではあまり解かれないというイルカの髪紐を解きたい衝動に襲われる。ゆっくりと片手をあげ、その黒髪に手を伸ばす。沸き起こる衝動を理性で抑え、起こしたりしないようそっと梳くカカシの瞳が切なく眇められる。
(このまま・・・)
夜が明けなければいいと思った。
このまま夜が明けなければ、腕の中のこの存在はカカシの恋人で居てくれる。
それが例え偽りの恋人であったとしても、この確かな温もりを一晩中抱き締めていられる夜は、カカシにとって待ち遠しく、そして、かけがえの無いものになっていた。





木の葉の里には、その名の通り多くの木々が生息している。
子供の背丈ほどしかない小さな若木から、樹齢数百年はありそうな大樹まで様々だが、その中の一つ。神社に在る『御神木』と呼ばれるケヤキの木は、太いその幹に古めかしい注連縄を纏い、傍に建つ社務所をすっぽりと覆い尽くす程に葉を茂らせていた。
つい最近まで長雨が続いていたが、梅雨の終わりはすぐそこまで来ているのだろう。傾き始めた夏を感じさせる暑い日差しを、ケヤキの緑が柔らかく防いでくれている。
上忍師であるカカシ率いる第七班の本日の任務は、そのケヤキの下、夏祭りの際に使用される舞台設営のお手伝いだった。
いつものように文句を言うだろうと思われていたナルトが、文句一つ言わず、いつも以上の頑張りを見せてくれたお陰で、日が傾く前にはその任務は終わってしまっていた。
ケヤキの太い幹に凭れたカカシから、小さく溜息が零れる。
(いつもこうだと良いんだけどねぇ・・・)
拝殿の前に造られたその舞台は、かなり大きなものだ。夜まで掛かるだろうと思われていただけに、舞台の袖に居る子供たちを眺めるカカシは、口布の下で小さな苦笑が浮かぶのを抑えられなかった。
ナルトが張り切っていた理由は単純だ。
―――ここ、イルカ先生が立つんだってばよ。
顎から滴り落ちる汗を忍服の袖で無造作に拭っていたナルトは、嬉しそうな、誇らしそうな笑みを浮かべてそう言った。
アカデミーの元担任であるイルカの事を、ナルトはかなり慕っている。そのイルカが立つという舞台の、設営の手伝いが出来るのが余程嬉しかったのだろう。任務終了時のナルトの達成感溢れる笑顔は、いつにないものだった。
他の子供たちもそうだ。サスケやサクラも、いつも以上に頑張っていたように思う。
そうやって、卒業してからも子供たちに慕われるイルカとは、カカシも受付所等でたまに会うが、そのイルカにこんな特技があるとは知らなかった。
真新しい舞台上の一角。
そこに座するイルカが息を吸い、指を滑らせている。その手に持つ小さな横笛から、低く高く、澄んだ音が茜色に染まり始めた空へと広がって行く。
舞手が足を踏み鳴らす音と共に、カカシの耳に響いてきているのは心地よい音色。
軽い練習だとイルカは言っていたが、その表情は真剣で、醸し出す空気は神聖さを帯びており本番さながらだ。
(凄いな・・・)
もう何年も舞っているのだろう。老齢な舞手の流れるような所作も素晴らしかったが、イルカが紡ぐ音色は、カカシの胸に迫るものがあった。
音楽に疎いカカシでも、イルカの笛が素晴らしいと分かる。
舞手がゆっくりと動きを止め、イルカの笛の音も止まる。すると、舞台の袖で練習を見ていた子供たちを筆頭に、周囲の者たちの間からパチパチと拍手が沸き起こった。
「相変わらずイルカ先生の笛は凄いってばよ!」
「・・・唯一の特技だな」
「素敵よねー」
舞台の袖からそう声を掛ける子供たちに、笛を片手に立ち上がったイルカが嬉しそうな笑みを向ける。
「おいおい。そんなに褒めても何にも出ないぞ?」
そう言いながら近付いてきたイルカが、舞台の上で片膝を付く。少し高い位置から手を伸ばし、見上げる子供たちの頭を一人一人優しく撫でる。子供たちを見つめるその瞳は随分と柔らかだ。
そのイルカが子供たちの背後、拍手をしながら近付くカカシに気付き、その顔をかぁと羞恥に染める。
「カカシ先生にはお耳汚しで失礼しました・・・っ」
初めて聞かせるカカシを前に少し緊張していたようだったから、何度か音が飛んでいた。それが恥ずかしいのだろう。軽く頭を下げてくるイルカに、拍手を止めたカカシはふと笑みを浮かべてみせた。
「そんな事はありませんよ。素晴らしい笛の音でした」
カカシがそう告げると、イルカが鼻頭の傷を掻きながら嬉しそうな笑みを浮かべる。
「ありがとうございます。そう言って頂けると嬉しいです」
意外な一面を垣間見たからだろうか。イルカのころころと変わるその表情に、視線を奪われてしまう。
「イルカ先生にこんな特技があるとは知りませんでした。どこで笛を?」
「昔、ここの先代の神主さんに教えてもらったんです。小さい頃は、ここで遊んでばかりいましたから・・・」
イルカが九尾のあの事件で両親を亡くした事はカカシも知っている。そう言ってケヤキを見上げるイルカは、少し淋しそうな瞳をしていた。
「オレにも教えてくれって言ってるのに、イルカ先生、教えてくれねぇんだってばよ」
下から聞こえてきた拗ねたようなその声に、視線を戻したイルカが何を言っているんだという顔をする。
「お前は笛よりも修行だ」
先生らしく、そんな事を言ったイルカがナルトの額当てを小突く。
すると、ナルトが「ちぇ」と唇を尖らせた。それを見て苦笑していたイルカが、「よし」と言って舞台から飛び降りる。
「練習に付き合ってもらったお礼だ。ラーメン奢ってやるぞ!」
「やった!」
イルカがそう告げた途端、ナルトの顔が一気に綻ぶから笑ってしまう。イルカと子供たちが戯れる様は微笑ましくて、見ていると自然と笑みが浮ぶ。
「カカシ先生も一緒にどうですか?」
楽しそうな笑みを浮かべたイルカからそう誘われたカカシは、「是非」と二つ返事で頷いた。