明けぬ夜 2






楽しい時間は過ぎるのが早かった。
カカシがイルカと子供たちとの食事を終え、一楽を出る頃には、辺りはすっかり暗くなってしまっていた。暗い夜道を、あちらこちらで灯る店の明かりが照らしてくれている。
「気をつけて帰れよー」
「はーい」
子供たちを心配するイルカの言葉に、少し離れた所から子供たちが良い子の返事をしてくる。可愛らしく手を振ってみせる。
「明日も朝一で任務だからな。遅刻するんじゃないぞー?」
だが、カカシがそう声を掛けると、子供たちは揃いも揃って「そっちこそ!」と可愛くない言葉を投げ返して駆け出した。その後ろ姿を見送るカカシの顔に苦笑が浮かぶ。
いつもの事だからとカカシは気にしなかったのだが、子供たちの元担任であるイルカは見過ごせなかったらしい。
「あいつ等・・・!」
子供たちを笑顔で見送っていたその顔に、途端にくっきりと眉根を寄せたイルカが、続いて「すみません・・・っ」と深々と頭を下げてきた。
「あぁ、いつもの事ですから」
そう言って笑みを浮かべて見せたのだが、イルカは再度謝ってくる。
「本当にすみません・・・。俺の指導不足ですね・・・」
子供たちはもうイルカの手を離れているのだから、指導不足だと言われるとしたら現・上忍師であるカカシの方だろうに、自分のせいだと言うイルカに苦笑する。
卒業してからも子供たちの事を心配し、想っているのだろう。イルカという教え子想いの良い先生に指導されていたからこそ、子供たちはカカシのあの試験に見事合格してみせたのだ。
「そんな事はありませんよ、イルカ先生」
落ち込んでいるのか、少し下がってしまっているイルカの肩を、励ますようにぽんぽんと叩く。だが、イルカの肩が下がったまま上がらない。
困ったカカシは、一つ溜息を吐いた。
「あのね・・・?」
そう言ってカカシは、内緒話をするようにイルカの耳元に顔を寄せた。何を言われるのかと不安なのだろう。カカシに耳を貸すイルカの眉間に小さく皺が寄る。その漆黒の瞳が不安そうに揺れる。
それを視界の端に捉えるカカシは、口布の下で浮かびそうになる笑みを堪えるのに必死だった。イルカの分かりやすいその表情が可愛らしくて堪らない。
「・・・オレが遅刻するのはホントなんです」
真面目な顔をしたカカシが小さな声でそう告げると、その言葉は全く予想していなかったのか、イルカがぷっと小さく吹き出した。
「す、すみません・・・っ」
続いて、笑ったりして失礼だと思ったのだろう。慌てたように口元を押さえる。そんなイルカの仕草を見るカカシの顔に、堪えきれない笑みが浮かぶ。
(かわいい)
ころころと変わるイルカの表情に視線が捕らわれる。目が離せない。
感情がこうも表に出るのは忍としてどうかとは思うが、そんなイルカだからこそ子供たちから慕われるのだろうとも思う。
カカシに笑みを向けられ、恥ずかしそうな笑みを向けてくるイルカを見つめるカカシの瞳が、柔らかく細められる。
「・・・イルカ先生はこの後、何か用事でも?」
「いえ、帰るだけですが・・・」
「じゃあ、これから呑みに行きませんか?さっきはアイツ等の手前、飲めませんでしたから」
カカシがそう誘うと、イルカは少しだけ迷う仕草を見せたが、すぐに嬉しそうな笑みを浮かべて頷いてくれた。だが。
「あ、でも!」
何かに思い当たったのか、そう言ったイルカが笑みを消す。
階級の違うカカシと呑みに行くのは、やはり気が引けるのかもしれない。続くのは断りの言葉だろうかと思ったが、そうではなかった。
「今度はちゃんと割り勘でお願いします」
そう告げたイルカの表情は真剣そのもので、それを見たカカシはつい、小さく笑ってしまっていた。
一応上忍であるからして、先ほどの一楽ではラーメンを全員分奢らせてもらったのだが、イルカはどうやらそれが気になっていたらしい。
階級が上のカカシに奢ってもらうのを当然と思う人間は多いというのに、それを良しとしないイルカの性格が好ましい。
「ん、分かりました」
カカシが笑みを浮かべてそう約束すると、イルカはその顔に再度、嬉しそうな笑みを浮かべて見せてくれた。




今思えば、その頃からカカシはイルカに惹かれていたように思う。
だからこそ、あの時、中忍選抜試験の件で、カカシはイルカとらしくもなく言い争いをしてしまったのだ。
長く戦地に身を置き、感情を制御する事には長けていたはずのカカシがムキになった。子供たちを想う気持ちはイルカと同じだったはずなのに、意見が分かれてしまった。
いや。
同じではなかったかもしれない。
―――ナルトはアナタとは違う!
怒りをあらわにしたイルカから告げられたその言葉に、カカシの中で育っていた淡い恋心が悲鳴を上げた。イルカにそんなつもりは無かっただろうに、カカシのそれまでを否定されたようで悲しみが込み上げた。
身体に染み込んだ習性で声を荒げる事はさすがにしなかったが、その後のカカシの口からは意地の悪い言葉ばかりが出て来た。
―――つぶしてみるのも面白い・・・。
心にもない言葉を口にするカカシの胸に溢れていたものは、イルカの愛情を一身に受ける子供たちに対する嫉妬だったのかもしれない。その時のカカシの心情を思えば、あれらの言葉は大人気ないの一言に尽きる。
あれから約一年という長い時間が経った今でも、戦地から戦地を渡り歩き、イルカの姿を見る事すら叶わないカカシの胸には、その時の事が茨の棘のように突き刺さって取れていない。去来するのは激しい後悔の念ばかりだ。
いつか里に戻りイルカに会えたなら。あの時、あんな酷い言葉で優しいその心を傷付けてしまった事を詫びたい。
そう思いながら、次々と与えられる任務をただ片付ける日々が続いていた夏のある日。
森の中に張られたテント内で里から届いた巻物の内容を確認していたカカシは、遅れて到着した後方支援部隊の名簿の中にイルカの名前を見つけ、その瞳を見開いていた。
「・・・っ!」
手にしていた巻物を机の上に放り、座っていた椅子をがたりと鳴らして立ち上がる。そうしてテントから出たカカシは、後方支援部隊が居るだろう炊飯所に急いだ。
あちらこちらに張られた大小様々な野営テントの合間を早足ですり抜けるカカシの顔に、嬉しさから自然と笑みが浮かぶ。
イルカが居る。
あれ以来、会う事が出来無かったイルカがここに居る。会える。
もうすぐ夕飯の時刻だ。その準備に入っているのだろう。炊飯所の方向、テントの合間から見える茜色に染まる空に白い煙が上がっていく。
それを目印にして歩いていたカカシは、だが、イルカが居るだろう炊飯所へと向かう事は出来なかった。
「あぁ、ちょうど良かった。ちょっと宜しいですかな。はたけ上忍」
背後から聞こえてきた老齢なその声に、カカシは眉を顰めた。聞こえなかった振りをしたいところだが、声の主はカカシよりもかなり年上だ。それに、何かと言えば皮肉を口にする。無視すれば後々が面倒だろう。
「・・・何でしょう?」
ゆっくりと足を止め、眉間に浮かんでいた皺を消したカカシが振り返った先。短髪に白髪を混じらせた一人の上忍が、媚びるような笑みを浮かべてそこに居た。