恋情に舞う夜 9 美味しい料理と言うものは、多少時間が経っても美味しいものらしい。 出汁が中まで染み込むようコトコトとじっくり煮られた大根の煮物は、イルカの好物の一つだ。口元に差し出されたそれにぱくりと食い付く。 途端、口の中いっぱいに拡がる大根の甘みに、もぐもぐと咀嚼するイルカの相好が盛大に崩れてしまう。寒くないようにと、シーツを纏わされた身体から力が抜ける。 (しあわせだ・・・) たったこれだけで幸せな気持ちになるのは単純過ぎる気がしないでも無いが、美味しいものを食べると本当に幸せな気持ちになるのだから仕方が無い。 頬を緩めながら、次は何を食べようかと布団の傍らに置かれた膳に視線を向けた所で、イルカの耳元で、ふふと小さく笑う声がした。 さすがにちょっと疲れてしまったイルカの為に、立てた片膝と片腕でイルカの身体を支えてくれているカカシだ。 イルカの仕草が可愛くて好き、なんて言っていたカカシだから、カカシが箸を差し出すたびに雛鳥のように口を開けるイルカを可愛いなんて思っているのだろう。先ほどから、カカシの顔に蕩けるような笑みが浮かんでいて、消える事がない。 普段ならば反論して自分で食べると言うところだが、今のイルカは疲れと眠気と空腹で反論する気力すら無い。 「次はなぁに?」 「あ、えっと・・・。じゃあ、出汁巻き玉子を」 イルカの世話を焼くのが余程嬉しいのか、楽しそうな声でそう問われたイルカは、膳の上で金色に輝き、その存在を主張する出汁巻き玉子を遠慮する事無く指名した。 カカシが手にした箸を伸ばし、一口大に切ってくれる。 「・・・はい。あーん」 そうしてそれを口元に差し出されたイルカは、再びぱくりと食い付いた。 ここの出汁は本当に美味い。噛むごとに出汁の旨みと卵の甘みが口の中に広がり、イルカの相好が再び崩れてしまう。 「美味し?」 カカシの小さな笑い声を含みながらのその問い掛けに、口の中の出汁巻き玉子を飲み込みながら一つ頷く。 「・・・すっごく美味しいです。あの、カカシさんは食べないんですか?」 小さく首を傾げてそう訊ねたイルカに、カカシは「ううん」と一つ首を振って見せた。 「オレはイルカ先生が食べた後に食べるからいいよ。また出汁巻き玉子食べる?」 「はい。ありがとうございます」 笑みを浮かべて頷いたイルカの為に、出汁巻き玉子を一口大に切ってくれていたカカシが、何かを思い出したのかふと小さく笑みを浮かべる。 それに気付き、小さく首を傾げていたイルカに「あーん」と出汁巻き玉子を食べさせたカカシが、イルカの身体をそっと抱き寄せた。それに逆らう事無く、咀嚼しながらカカシの肩口に頭を預ける。すると。 「今日は、ありがとうっていっぱい言われてる」 そう言ったカカシから、額にそっと口付けられた。 「・・・オレね。誰かに褒められたり感謝されて、嬉しいって思った事があまり無かったんです」 それを聞いたイルカの首が僅かに傾いだ。 イルカは、誰かに褒められたり感謝されて、嬉しいと思う事がたくさんあるからだ。 アカデミーの子供たちからなんて、毎日のように「先生凄い!」と賞賛の嵐だ。手本とならなければならないのだから当たり前なのだが、褒められて悪い気はしない。 それに、感謝されて嬉しい事だっていっぱいある。少し手伝っただけなのに与えられる、ありがとうという感謝の言葉は、擽ったいけれど、とても嬉しい。 そんな、イルカにとっては日常的な事が、カカシにはあまり無いと言う。 「でも、カカシさんは素晴らしい戦歴を持ってるじゃないですか。そんな事は・・・」 無いだろうと言いかけたイルカの言葉は、カカシの少し淋しそうな笑みを見た事で、イルカの中に飲み込まれた。 (あ・・・) それを見てようやく気付く。 素晴らしい戦歴を持つカカシだからこそだ。 褒められたり感謝される事は、イルカよりもカカシの方がはるかに多いだろう。けれど、それは誰かの命の上に成り立つものだ。 嬉しいなんて思えるはずがない。任務で与えられる賛辞や感謝の言葉は、カカシにとって虚しいだけなのだろう。 イルカにとっては日常的な事が、その手を汚す事が多いカカシにとっては日常では無い。 「すみません・・・」 それに気付かず、心無い言葉を告げた自分が恥ずかしい。俯いたイルカは、小さな声で謝罪した。 カカシが苦笑したのだろう。頭上からふと笑う気配がする。頭をそっと撫でられる。 「謝らないで?オレはイルカ先生に感謝してるんですよ」 優しい笑みを浮かべたカカシが、俯くイルカの瞳をそっと覗き込んで来る。 「あなたの側に居ると、今日みたいに嬉しいがいっぱい貰えるもの」 カカシの少し冷たい指先で、慰めるように頬をそっと擽られたイルカは、少し泣きそうになってしまった。 カカシが言う『嬉しい』はきっと、『幸せ』と呼ばれるものなのだろう。 イルカの側に居ると幸せだと、そう言ってもらえて凄く嬉しい。過酷な日常を送るカカシの支えに少しでもなれているのなら、これほど嬉しい事は無い。 カカシの肩口に顔を埋め涙を堪えるイルカの背を、カカシの手が優しく撫でてくれる。 「あなたに出逢えて良かった。・・・オレを待っててくれてありがと、イルカ先生」 その言葉に小さく首を振るイルカの身体を、カカシがきつく抱き締めてくる。 続いて、長い間待たせていた事を謝罪する言葉が聞こえてくるのだろうというイルカの予想は大きく外れ。 「・・・愛してる・・・」 耳元で囁かれたその言葉は、我慢していたイルカの涙を溢れさせるのに充分だった。 どうやらそのまま眠ってしまったらしい。ふと目覚めたイルカの身体が僅かに震える。 (・・・びっくりした・・・) 寝起きに端正な顔が目の前にあると吃驚する。 瞬間高鳴った胸を落ち着かせながら、目の前にあるカカシの顔をしばし観察する。そのイルカから小さく笑みが零れ落ちる。 カカシの少し長い銀色の前髪がその目元に掛かる様は、イルカの目に、普段のカカシよりも少しだけ幼く見せた。 気配で起こしてしまったのだろう。程なくしてカカシの長い銀色の睫が動き、深蒼の瞳が覗く。 「・・・ん?」 辺りはまだ真っ暗だ。夜明けにはもう少し時間があるだろうから、もう一眠りくらいなら出来るだろう。 何でもないと小さく首を振ったイルカは、カカシの胸元に顔を埋めた。カカシの腕がイルカの身体をより引き寄せる。 相変わらずカカシの腕の中は安心する。 ゆっくりと息を吐き出しながら力を抜いたイルカは、その口元に小さく笑みを浮かべ、ゆっくりと瞳を閉じた。 |
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