きっとまた手を繋ぐ 12 崖下から吹き上げる秋の風に、高く結ったイルカの黒髪が靡いている。 渡すかどうか分からないと言っていたが、真面目なヤナギはちゃんとイルカに渡してくれていたらしい。カカシが贈った藍色の髪紐は、思っていた通り、イルカの黒髪に良く映えた。 柵の上に両腕を乗せ、秋色に染まり始めている里の風景を眺めるイルカの後姿は、カカシが任務に就く以前よりもはっきりと痩せて見え、カカシの胸に後悔という名の嵐が吹き荒れる。 カカシがイルカの記憶を操縦した事を、イルカは知らないのだ。 記憶を取り戻したイルカが、どんな想いでこの一年を過ごしていたか嫌と言う程に窺えてしまい、イルカの元へゆっくりと足を進めるカカシの深蒼の瞳が切なく眇められる。 「・・・髪紐、使ってくれているんですね」 「・・・っ」 驚かせないようそっと声を掛けたつもりだったが、気配を消していたからだろう。手を伸ばせば触れる距離まで近付いたカカシがそう声を掛けた途端、イルカの身体が大きく震えた。 「カカシ様・・・っ」 慌てた様子で振り向いたイルカが、傍らに立ったカカシの姿を見止めた途端そう呼び、イルカが記憶を取り戻している事を確信したカカシの深蒼の瞳が苦渋に歪む。 随分と名を呼ばれていなかった。 あまり会う機会が無かったとはいえ、イタチにやられて倒れて以降、イルカから名前を呼ばれた記憶が無い事に気付けなかった自分の愚鈍さが忌々しい。 カカシの名を呼んだのは、完全に無意識だったのだろう。そんなカカシを見て、ハッとしたような表情を浮かべたイルカの唇が噛み締められ、二人の間にしばしの沈黙が訪れる。 「・・・あの、俺・・・っ」 「イルカ先生」 居た堪れなかったのだろう。沈黙を先に破ったイルカの言葉を、名を呼ぶ事で遮ったカカシは、ゆっくりとイルカへ向き直った。不安そうに揺れるイルカの漆黒の瞳を真っ直ぐに見つめる。 「・・・あなたの記憶を封じたのはオレです」 「・・・っ」 そうして、後悔の滲む声で告げたカカシの罪の告白。それを聞いたイルカの息が小さく呑み込まれる。 自分の子供が欲しいのではないかと思った。その機会を自分が奪っているのではないかと思った。そして、神様ではない自分でも好きになってもらえるか知りたかった―――。 そう続けるカカシの目の前で、徐々に大きく見開かれていくイルカの漆黒の瞳。 じわりじわりと涙を滲ませながらも、告白を最後まで聞いてくれたイルカから返されたのは、当然の如く平手打ちだった。 拳で殴られるだろう事も覚悟していたカカシとは違い、カカシが甘んじて受けるとは思っていなかったのだろう。カカシの頬を打った途端、驚きに見開かれたイルカの瞳が、続いて苦痛に歪む。 「・・・確かに・・・っ」 頬を打たれても決して逸らされなかったカカシの視線の先。 戦慄くイルカの唇が開かれ、絞り出すように告げられたイルカの声は、今にも泣き出すのではと思う程に震えていた。 「確かに、切っ掛けは神様でした・・・っ。でも、神様だから好きになったわけじゃありません・・・っ」 堪え切れなくなったのだろう。見つめるカカシから隠すように顔を俯かせたイルカから、いくつもいくつも涙の粒が零れ落ち、深蒼の瞳を切なく眇めながらそれを見つめるカカシは、自らの罪の深さを改めて思い知る。 「・・・って言ったじゃないか・・・っ」 泣き震えるイルカの肩を抱き締めたかった。次から次へと零れ落ちる涙を拭いたかった。 詰るように言葉を続けるイルカの姿を見つめながら、カカシは今にも伸ばしそうになる自らの手をぐっと握り締める。 「離れたくないって最初に言ったはずです・・・ッ!」 カカシの側に居たい。側でカカシの支えになりたい。 そう思ったから自分はカカシの伴侶になったのだと涙ながらに訴えられ、知っていたはずなのに信じ切れなかった自分の弱さをカカシは責める。 「それに、子供ならたくさんいます・・・っ」 そう言いながら大きく深呼吸したイルカが、自らの忍服の袖で涙を拭いながらゆっくりと顔を上げる。 「道を逸れてしまった子も居ますが、俺とあなたが育てた子供たちは今、その子を取り戻す為にそれぞれの道を歩み、頑張っている。この里の子供たちは皆、俺たちの子供です・・・っ」 見つめるカカシの視線の先。真っ直ぐに見つめ返して来る漆黒の瞳を涙で潤ませながらも、力強い声でそう告げられたカカシは、その深蒼の瞳を僅かに見開いていた。 「そうでしょう・・・?」 涙を堪えているのだろう。眉根をきつく引き絞るイルカからそう問われ、切なく眇めたカカシの深蒼の瞳がゆっくりと閉じられていく。 決して赦されないだろう事をした自覚があった。赦されなくて当然だと思っていた。 イルカが離れて行っても仕方が無い。全ての罪を告白した今度こそ、イルカを完全に失ってしまうのだろう。 そう思っていたのに―――。 「・・・ん・・・。ありがと、イルカ先生・・・」 赦されるなんて思ってもいなかった。友を亡くしてからというもの、一度も泣いた事の無かったカカシが泣いてしまいそうだった。 俯くカカシの狭い視界が揺らぎ始め、懸命に涙を堪えるカカシの視線の先。そっと伸びて来たイルカの僅かに震える手がカカシのベストの端を掴み、そうして寄り添って来たのは、以前と変わらず温かいイルカの身体。 「・・・辛かった・・・っ」 カカシの肩に額当てを押し当てるイルカから、掠れた小さな声でそう訴えられ、それを聞いたカカシは堪らずイルカの身体を掻き抱く。 「もう手を離そうなんて考えないで下さい、カカシさま・・・っ。俺はそんな事望んでません・・・っ」 きつくきつく抱き締めるカカシの背に縋るようにイルカの手が回され、震える声でもう二度と手を離さないで欲しいと望まれたカカシは、イルカの首筋に埋めたその顔を、今にも泣き出しそうな程に歪ませていた。 「・・・ゴメンね、ゴメン・・・。ありがと・・・」 馬鹿な事をしたと心から謝罪し、赦してくれてありがとうと感謝する。 そうして、一生涯共に在る事を今度こそ固く誓い、再び溢れ出したらしいイルカの涙が落ち着くまで「愛してる」と何度も告げる。 「・・・イルカ先生」 たくさん泣いてしまったから恥ずかしいのだろう。カカシの肩口からなかなか顔を上げようとしないイルカの名を呼ぶカカシは、ベストを掴んでいるイルカの手をそっと握った。 「イルカ先生」 まだ顔を上げてくれないイルカの名を呼び、顔を上げて欲しいと再度願うと、おずおずといった様子でイルカの顔がようやく上げられる。 真っ赤に染まった目元が覗き、カカシの深蒼の瞳を至近距離から捉える漆黒の瞳には、まだ止まらないらしい涙と、これ以上無い程に幸せそうな笑みを小さく浮かべるカカシが映り込んでいた。 「・・・愛してる」 小さく小さく、囁くように告げたカカシのその言葉を受け、嬉しそうな笑みを浮かべて見せてくれるイルカが堪らなく愛おしい。 「・・・カカシ様」 「ん・・・?」 以前と変わらず、遠慮がちに掛けられるイルカの声。それを聞き、小さく首を傾げるカカシは続く言葉を促す。 「・・・カカシ様への誕生日プレゼントを用意してあるんです。貰ってくれますか・・・?」 渡せるかどうかも分からない状況だったのにも関わらず、準備してくれていたのだろう。漆黒の瞳を僅かに揺らすイルカから、そんな事を告げられたカカシの深蒼の瞳が僅かに見開かれ、続いてゆっくりと、愛おしそうに眇められていく。 「・・・もちろんです」 小さく笑みを浮かべてそう返すカカシは、口布越し、嬉しそうな笑みを浮かべるイルカの目尻にそっと口付けながら、こんなにも自分を愛してくれているイルカを、もう決して手離す事はしないと心新たに誓っていた。 |
← |