仲直り 後編






綺麗に焼かれた秋刀魚の塩焼き、それから茄子の味噌汁。
時間が経つにつれて冷めて行く二人分の食事を眺め、古惚けた卓袱台の前に一人座るイルカは小さく溜息を吐く。
(・・・熱々が一番美味しいってのに)
使われているのは、いずれも季節はずれの食材ばかりだ。可能な限り新鮮なものを選んであるが、時期外れの産物である事は否めない。
出来れば熱いうちに食べて欲しい。
そう思っているのだが、まだ拗ねているのだろうか。
一ヶ月間の出入り禁止を言い渡され、イルカ宅を出て行ったただ飯喰らいの居候であるカカシが、夕飯の時刻になったというのに未だ帰って来る気配が無い。
今日でちょうど一週間。そろそろ音を上げて戻って来るだろうと思われたのにだ。
最初は任務が長引いているのかもしれないと思ったが、既に終わって里に帰還している事は、受付所に勤務するイルカが一番良く知っている。
どうする。と、ますます冷め行く食事を眺めながら考え込む事しばし。
(・・・仕方無い。迎えに行くか・・・)
こちらから折れるのは癪だが、少々叱り過ぎてしまった感はある。もしかすると帰るに帰れなくなってしまっているのかもしれない。
「完全に冷めたら美味しくないからな」
誰に言うでもなくそう一人ごち、イルカはよいしょと立ち上がる。
そうして壁に掛けておいたベストを手に取ったイルカは、暖かい部屋から暗い夜空の下へと足を踏み出した。




暦の上では春だが、まだまだ厳しい寒さが続いている。少々風が吹いている事もあり、夜ともなると外は凍えるように寒かった。
白い息を吐き出しながら心当たりを探し回るも、イルカが知るのは上忍待機所と上忍寮くらいのものだ。
(・・・あの馬鹿・・・っ)
そのどちらも当てが外れてしまい、上忍寮の前で冷えた指先に息を吐き掛けるイルカは、どこにも姿が見えない銀髪の持ち主を詰る。
もしかすると擦れ違ってしまったのかもしれない。もう部屋に帰って来ていて、家に居ない自分を忠犬宜しく待っているかも。
希望的観測であるが、そう思ったイルカは、上忍寮の前に設置された街灯に見送られながら自宅へ戻るべく足を進める。
その道すがら、澄んだ夜空に輝く星たちを仰ぎ眺めるイルカはふと思う。
(・・・俺、何も知らないんだな・・・)
こうして探してみて初めて気付いた。共に暮らし始めてだいぶ経つというのに、自分はカカシの事を何も知らされていない事に。
イルカの事なら何でも知っていると、何かにつけ豪語するカカシを相手にしていたからだろうか。イルカも、カカシの事なら何でも知っているつもりになっていた。
好きな食べ物、好きな本。それから、イルカが大好きだという事は嫌という程に思い知らされているが、それ以外の事は何一つとして知らない。
(・・・あの馬鹿・・・)
聞こうとしなかったイルカも悪いが、何一つとして話していないカカシも悪い。
胸を覆っていく淋しさをカカシを詰る事で誤魔化すイルカが、自宅へと続く橋に差し掛かった時。
「・・・こんな所で何やってるんですか」
夜の闇に浮かび上がる橋の袂。手持ち無沙汰な様相で佇むカカシの姿を見止めたイルカは、その眉根にくっきりと深い皺を刻んでいた。
イルカが発した低いその声で、イルカの怒りを察したのだろう。カカシの眉尻がしゅんと下がる。
「・・・怒って」
「怒ってますよ。当たり前です」
カカシの言葉を遮ってそう言い放ったイルカは、ぐっと奥歯を噛み締めながら大股でカカシへと歩み寄る。
拳骨が落とされるとでも思ったのだろう。カカシの前に立ち、片手を上げたイルカを見たカカシが肩を竦ませるが、イルカが掲げた手がカカシを打つ事は無かった。
「・・・こんなに冷えて」
いつからここに立っていたのだろうか。
漆黒の瞳を切なく眇めるイルカの視線の先。そっと触れたカカシの頬はイルカの指先よりもずっと冷たく、まるで氷に触れているかのようだった。
「風邪をひいたらどうするんです。あなたは仮にも里を担う上忍なんですよ?体調管理も仕事のうちだって知ってるでしょう」
口調は強かったが、身体を心配するイルカの言葉を聞いたカカシの眉尻がさらに下がり、口布と額当てで覆われたその顔がくしゃりと歪む。
「・・・怒ってない・・・の?」
捨てられた子犬のような顔をしたカカシから確かめるように尋ねられ、イルカは小さく苦笑する。
「・・・もう怒ってませんよ」
頬と同じく冷え切っていた銀髪。それを、わしゃわしゃと撫でながらそう告げると、どうやら感極まってしまったらしい。
「イルカ先生・・・っ」
深蒼の瞳に涙を滲ませるカカシから、痛い程にきつく抱き締められた。首筋ですんすんと鳴る音を聞きながら苦笑を深めるイルカは、よしよしと頭を撫でてやる。
「・・・家に帰ってご飯食べましょう。ね?カカシさん」
顔を擽る銀髪に鼻先を埋めるイルカがそう告げると、小さくはあったが「ん」と嬉しそうな応えが返り、それを耳にしたイルカは、堪え切れない笑みを小さく浮かべていた。