いつも同じ場所で 7 「いえ、その・・・嬉しい、です・・・」 イルカの、その恥ずかしそうに小さく告げられた言葉にもの凄く驚いた。 多分、熱も何度か上がっただろう。体中が熱い。 驚いたまま、回らない頭を一生懸命回してその言葉の意味を考えていたら、腕の中のイルカの事をすっかり忘れていて。 「・・・ごめんなさい。気持ち悪い、ですよね・・・」 そう言ったイルカが、パジャマを握っていた手を離して、腕の中から抜け出ようとした。 「違・・・っ、気持ち悪くなんてない!」 離れていこうとする体を、慌てて再び腕の中に閉じ込める。 力を込めすぎて、イルカが「苦し・・・」と身を捩るが、緩められなかった。 やっとイルカが言った言葉の意味が理解できたから。 (イルカ先生がオレの事好きになってる・・・!) 今日、休みなのにカカシに会いたいからと駅まで来たり。 風邪を引いたカカシの為に、食事を作りに来てくれたり。 カカシを凄く意識していたり。 カカシにちょっと避けられて、泣くほど傷ついたり。 カカシに抱きしめられて嬉しいなんて思ってくれたり。 一ヶ月ぶりに会ったイルカは、カカシへの恋心で溢れていて。 「どうしよう・・・、凄く嬉しい」 心の中で呟く予定だった言葉が、口から零れる。 「え・・・?」 そんなカカシの言葉を聞いたイルカがそっと顔を上げた。いつものように、まっすぐ視線を合わせてくる。 この真っ直ぐな瞳に、カカシは恋に落ちた。 この恋は楽しかったけれど、それと同時に苦しくもあって。 つらくて、もう何度も捨ててしまおうと思った恋心。でも、捨てられなくて。 (やめなくて良かった・・・) 捨てなくて良かった。やめなくて良かった。 今やっと、イルカからも同じものを返してもらえる。 嬉しさから、カカシの顔には笑みが浮かんでいるのに。イルカがだんだんぼやけてくる。 きゅっと眉を寄せたイルカが、手を伸ばしてカカシの頬を撫でてくれて初めて、自分が涙を零しているのだと気づいた。 そうして、イルカもまた泣きそうな顔をしているのに気づく。 「泣かないで・・・」 言おうと思った台詞をイルカに言われてしまって、笑みが浮かぶ。 それは言えなくなってしまったから、その代わりにカカシは別な言葉を綴ろう。 いつか、イルカに言えたらいいと思っていた言葉。 イルカもカカシと同じく、印象に残ったと言っていたあの言葉。 「・・・『毎朝、同じところでいつも出会うあなたを、オレはずっと気になって仕方がなかった』」 イルカに貸した本の中で、主人公が愛する人へと告げる言葉だと気づいたらしいイルカが、ハッとしたように見つめてくる。 この言葉には続きがある。 愛する人へ贈る、最上級の言葉。 「『・・・あなたを、心から愛してる』」 カカシが愛しさを込めてそう囁いた途端、ぶわとイルカの瞳から新たな涙が大量に溢れ出す。 声を押し殺して、再びカカシの肩に顔を埋めて泣き始めてしまったイルカに、返事を言葉では貰えそうにも無いなと思ったカカシは、「返事は頷くだけでいいから」と言って、 「イルカ先生もでしょ?」 と、そう訊ねると。 何度も何度も。 もういいよとカカシが言うまで、イルカは頷いてくれた。 熱のある体で、余計に熱の上がるような告白をしてしまったせいか。 さすがにふらつきを感じてしまい、ようやく泣き止んでくれたイルカに断りを入れて、カカシはベッドの中へと潜り込んだ。 そんなカカシを、心配そうな顔をしたイルカが、真っ赤な目で見つめてくるから。イルカを安心させるように、カカシは少しだけ笑みを浮かべた。 「そんな顔しなくても大丈夫。死にはしませんよ。やっとイルカ先生と恋人になったんだから、いろんな事を話したいし、いろんな所にも行きたいし、いっぱいいろんな事もしたい」 そうだ。 さっさと風邪を治して、イルカといろんな事をしたい。 でないと、せっかく心を通わせたのに、キス一つ出来ないではないか。 心配そうな顔をしているイルカを見ていると、どうしてもキスして慰めたくなってしまう。 愛しい恋人に、こんなにつらい風邪をうつすような真似だけは絶対にしたくない。 (これはさっさと寝たほうがいいな・・・) そう思ったカカシが、布団を引き上げて眠りに入ろうとすると、イルカがぺたんと枕元の床に座った。 そうして、手を布団の中に差し入れてきて、カカシの手を探し当てて握る。 「じゃあ、俺がカカシ先生が眠るまでお話します。何か聞きたい事ありますか?」 「ん?じゃあねぇ・・・、イルカ先生がいつオレを好きになってくれたのか聞きたい」 きゅっと手を握り返してそう言うと、かぁと赤くなったイルカがそれでも、恥ずかしそうに頷いてくれた。 そして、イルカがしっかりと視線を合わせて語りだす。 「・・・多分、初めて見たときから好きだったんだと思います」 「初めてって、大学の講義の時?」 こくんとイルカが頷く。でも、たった一度、しかも大ホールという事は、もの凄く遠目にしかカカシの姿は見れていないはずだ。 「最初は、マイク越しにでも素敵だと分かる声に聞き惚れて・・・。そして、遠目にでも綺麗だと分かる銀色の髪が印象に残りました」 そう言ったイルカが、繋いでいない手の方を伸ばしてカカシの髪に触れた。愛おしそうに細められるその瞳に、カカシも愛おしさが募る。 「今年の四月に、今住んでいるところに引っ越して、初めて乗った電車の中でカカシ先生を見かけたときは驚きました」 「オレの事、覚えてくれてたんだ」 「はい、髪が凄く印象に残っててすぐに分かりました。でも、その、こんなに格好いいとは知らなかったから驚いちゃって・・・」 恥ずかしそうにイルカがカカシを見つめてくる。 大学で古書を扱う事が多いカカシは、大学にいる間は大抵埃除けのマスクをしている。 それは講義中も面倒だからとそのままで。 イルカは、カカシの素顔を電車で初めて見たのだろう。 褒めてもらえた嬉しさから、ふっと笑みを浮かべてみたら、赤かったイルカの頬が、さらに真っ赤になってしまった。 そういえば、初めて笑みを向けた時も、こんな風に赤くなってかわいかったなと思い出した。 「それで?」 赤くなって口を閉じてしまったイルカに、話を促す。 「・・・それで、次の日も、次の日も、同じ電車の同じ場所でカカシ先生を見かけて。いつもカカシ先生の髪が朝日にきらきら光ってて綺麗で、ついついじっと見てたんです。でも、その時はまだ、この気持ちは尊敬だと思ってました。カカシ先生の講義に凄く感動したから」 そこからはカカシも知っている。 イルカは、自分の気持ちを尊敬だと勘違いしたままカカシと話すようになり。 夏バテになったカカシを、本当に心配する気持ちから家に呼んだのだろう。 そうして、カカシが学会の準備で忙しくなり、一ヵ月会えなくなるまで尊敬だと勘違いし続けた。 「尊敬が恋だと分かったのはどうして?」 「その・・・、カカシ先生があの電車に乗っていなかった日に、気づいたんです。カカシ先生としばらく会えないのが分かって、凄く淋しくて、会いたいと思っている自分に。それで、この気持ちが尊敬なんかじゃなくて、好きなんだと気づきました」 それから毎日毎日、イルカはカカシに会いたいと思ってくれていた。 毎日、あの電車に乗るたびに、カカシの定位置になっていたポールに凭れて、カカシを想ってくれていたのだそうだ。 「学会が終わったってメールが来たときは凄く嬉しくて。カカシ先生に凄く会いたくなって、今日、学校休みだったのに駅まで行きました。でもまた乗ってなくて、心配だったのと、声だけでも聞きたくなって電話したんです」 勇気を出して電話して本当に良かったです。 そう言ったイルカが、握ったままのカカシの手を引き寄せて布団から取り出し、そのまま口元へと運んだ。 イルカの可愛らしい唇で、指にちゅと口付けられてしまったカカシは、風邪に倒れている我が身を心底呪った。 直に出来ないのならと、イルカが口付けてくれた指を今度はカカシが引き寄せ、同じ所にちゅっと音をたてて口付ける。 「治ったらオレもいっぱいお話しますよ。どれだけあなたの事を愛しているか。それと、声がちゃんと治ってからもう一度告白をやり直させて?」 あなたが素敵だと言ってくれた声で、もう一度告白したい。 そう言ったカカシに、一瞬驚いたような顔をしたイルカが嬉しそうに笑みを浮かべた。 それはもう、花が満開に開くような芳しい香りすら届いてきそうな微笑み。 「是非、お願いします」 そう言ってくれたイルカに、カカシも笑みを浮かべると。 体の病魔をさっさと追い出す為、イルカの手の温もりを感じながら目を閉じて、少しの休息に身を投じた。 |
← |