I want you, you want me 2






直江の自宅マンションは、閑静な住宅街にある。
家族の持ち物だったそれを譲り受けた直江が引っ越してきたのはつい最近だ。静かな環境とコンビニや駅が近く、利便性の高いそのマンションを直江は割と気に入っている。
地下にある駐車場。割り当てられているスペースへ車をとめると、直江は車を降りた。後部座席のドアを開ける。
それまで瞳を閉じていた彼が、その音でようやく瞳を開ける。
「・・・動けますか?」
座席シートから直江を見上げてくる彼にそう問うと、彼は一つ頷いた。直江が手を差し出すと、その手に素直に捉まり、眉間に僅かに皺を寄せながらも自力で車から降りる。
直江は彼の身体を支えながらエレベーターに向かうと、それに乗った。自分の階のボタンを押す直江の手から少し離れた彼が、側にあった壁に凭れ掛かかる。
「・・・あんた、本当に物好きだったんだな・・・」
顔を少し伏せた彼が、不意に掠れた小さな声で呟く。
「マジで自宅に連れて来られるとは思ってなかった・・・」
どういう意味だろうか。僅かに首を傾げた直江が、俯き表情を見せない彼を見下ろしていると、その彼の顔がゆっくりと上がり視線が直江に向けられた。
「オレみたいな素性の分からない人間を家に上げたりして・・・。あんたの家族とか迷惑するんじゃないのか・・・?」
彼のその言葉に小さく苦笑する。口調はぶっきらぼうだが、所々に不安そうな響きが混じっている。
先ほどもそうだったが、彼は人の親切に余程慣れていないらしい。ここまで来ても遠慮する彼がもどかしく思えた。
「心配しなくても、私に同居する家族は居ませんよ。ここは家族向けの分譲マンションですが、少し前までは兄の持ち物だったんです」
そう説明していると、直江の部屋のある階でエレベーターが止まり、扉が開いた。彼の身体を抱えなおし、そこから足を踏み出す。数個しかない扉のうち、最も奥にある扉へと向かう。
「それに・・・、確かに素性は分かりませんが、貴方は悪い人ではないでしょう?」
玄関の鍵を取り出しながらそう訊ねると、彼は呆れたように小さく溜息を吐いた。
「・・・そんなの、会ったばっかなのに分かんねぇだろ」
「分かりますよ。口は少々悪いですが、貴方は私の事情を気遣ってくれている。悪ぶっているけれど、本当は凄く優しい。・・・ですよね?」
鍵を開けて彼を中に促す。そうしながら、小さく笑みを浮かべた直江がそう告げると、彼は僅かに頬を染め、直江から視線を逸らした。
「・・・んな事ねぇよ。あんた、ホントにおめでたいヤツだな」
直江の言葉を否定する彼のその声が随分と小さい。恥ずかしそうな表情を浮かべる彼が可愛らしく見え、直江は顔に浮かんだ笑みを深めていた。
「直江ですよ。名前、教えたでしょう?」
中へと先に上がり、そう言いながら濡れた靴を脱いだ彼に手を差し出す。すると。
「・・・お邪魔・・・します。直江、さん」
直江の手を掴んだ彼の口調が急に丁寧になり、直江はふと笑ってしまっていた。彼の口から言い辛そうに出た自分の名が面映い。
彼の態度が徐々に軟化している。頑なだった彼が、ゆっくりと心を開いていってくれているのが嬉しかった。
「呼び捨てで構いませんよ。それに、少々口が悪い方が貴方らしくて私は好きです」
彼の身体を再び支えながらそう言ってみると、唇を僅かに尖らせた彼が見上げてきた。
「・・・口が悪くて悪かったな」
怒ったようにそう告げる彼のその表情は、直江が今まで見てきた中で一番自然だった。きっと、彼の素はこれなのだろう。
直江は柔らかな笑みを浮かべると、身体が冷えている彼にシャワーを浴びさせるべく、風呂場へと向かった。




そこでも遠慮した彼を風呂場に押し込んだ後、彼の着替えとして小さめの服を用意した直江は、中からシャワーを使う音が聞こえるのを確認して脱衣所の扉を開けた。
浴室へと続くすりガラス越し。シャワーを浴びている彼のシルエットが、ぼんやりと透けて見えている。
若いからだろうか。細い身体だ。
その光景にしばし視線を囚われていた直江は、中に居る彼が不意にこちらを向いたらしいのに気付き、手に持っていた着替えを慌てて籠の中に入れた。
「着替え、ここに置いておきますね」
中にいる彼にそう告げ、すぐに脱衣所を出る。扉を閉めて小さく溜息を吐く。
彼のすりガラス越しのシルエットに見惚れてしまっていた。その立ち姿がとても綺麗だと思った。
(・・・彼は男だぞ・・・)
女性ならいざ知らず、男性である彼の身体に見惚れた自分と、今も続いている理由の分からない胸の高鳴りに戸惑う。
シャワーの音が消え、浴室のすりガラスが開く音がする。それに気付いた直江は、そこから離れた。
シャワーだけでは風邪をひいてしまう。中からも温めた方がいいだろうと、彼に暖かい飲み物を用意すべく、キッチンへと向かう。
ココアでもあれば良かったのだが、生憎牛乳しかない。ホットミルクでいいだろうと、大き目のマグに牛乳を淹れる。
それをレンジで温めたところで、タオルを肩に載せた彼がちょうどリビングにやってきた。用意した直江のシャツは少し大きかったらしい。僅かに俯いた彼が袖を捲っている。
「ちゃんと温まりましたか?」
マグを載せた盆を手にリビングに向かう。一つ頷いた彼にソファを勧め、直江は「どうぞ。少し熱いですから気をつけて」と、ホットミルクが入ったマグを差し出した。
それを受け取った彼が両手で包み込むようにマグを持ち、その端に口を付ける。
「・・・美味い」
ホットミルクを一口飲んだ彼の口から思わずといった風に出たその言葉に、直江はふと笑みを浮かべていた。疲れてもいるようだったから砂糖を少しだけ入れていたのだが、ほんのりとした甘さが彼の口に合ったようでホッとした。
「それは良かった」
盆をテーブルに置き、彼の隣に座る。ゆっくりと味わうように、こくりこくりと飲む彼の漆黒の髪が濡れているのに気付いた直江は、その肩にあったタオルを取った。
「ちゃんと乾かさないと・・・。せっかくシャワーを浴びたのに、風邪を引いてしまいますよ」
そう言いながら手にしたタオルを彼の頭に被せ、艶のある黒髪を拭く。
マグで手が塞がれているからなのか、直江の手にされるがまま髪を拭かせてくれてる彼に直江はふと小さく笑みを浮かべた。彼が手に持っているホットミルクが零れないよう優しく髪を拭いていくと、彼が心地良さそうにその瞳を眇める。
(猫みたいだな・・・)
直江に対する警戒を解いたらしい彼が見せる仕草が、まるで猫のようで微笑ましい。
彼がホットミルクを飲み干すまで、そうやって髪を乾かした後、直江は救急箱を取り出し彼の傷の手当をした。
殴られたらしい口端の傷と、蹴られたらしい脇腹は痣が酷かったが、それ以外は軽い擦り傷程度でホッとした。
手当ての間、彼はあまり喋ろうとしなかった。聞かれたくないのだろうと、直江も怪我の事を問う事はしなかった。
手当てが終わった後。
「・・・ありがと」
小さく呟かれた彼のその声が、随分と柔らかくなっていたのが嬉しかった。