I want you, you want me 4






顔を洗い、着替えを済ませてリビングに戻る。
先に食べていて構わなかったのに、彼はテーブルに着き、手持ち無沙汰な様子で直江を待ってくれていた。
「お待たせしました」
直江も急いでテーブルに着く。「いただきます」と二人揃ってそう言って、直江は綺麗な色をしたオムレツを一口食べた。
「・・・美味しい」
直江の口から思わず漏れたその一言に、テーブルを挟んで座る彼がチラと視線を向けてくる。直江の言葉を疑っているらしいその視線に、直江は笑みを浮かべ一つ頷いて見せた。
「本当に美味しいですよ。しかし・・・、少ない材料でよくこれだけ作れましたね」
冷蔵庫には卵と野菜が少々、それから牛乳くらいしかなかったと記憶している。たったそれだけの材料で、これだけ作れるという事は、彼は料理を作り慣れているのだろうか。
テーブルの上の料理を眺めながらそう訊ねると、褒める直江の言葉に照れたのだろう。視線を少し伏せた彼が、僅かに恥ずかしそうな表情を浮かべた。
「・・・しばらく生活が苦しくて自炊してたからな。一通りの料理は作れる」
そう言いながらバケットを千切っていた彼が、それを一口食べた途端その瞳を僅かに見張る。
「それ、美味しいでしょう?近所でも評判のパン屋さんなんですよ。食パンも美味しいですから、後で明日の朝食用に買いに行きましょうか」
ふと笑みを浮かべて彼にそう提案する。すると、彼は口に入れたバケットを咀嚼しながら一つ頷いた。
あまり多くを語らない彼だが、よく気を付けて見ていればその表情は豊かだ。
今も、パンを買いに行こうという直江の提案が嬉しかったのか、彼の頬が僅かに緩んでいる。それに気付いた直江は、小さく笑みを浮かべていた。
パンを買いに出るついでに、この近所を散策するのもいいかもしれない。直江も引っ越してきたばかりで知らない場所が多いが、以前ここに住んでいた兄からお勧めの店はいくつか聞いている。
昼食は外で食べようか。
そう考えた所で、直江は目の前に座る彼の服のサイズが合っていない事を思い出した。
出掛けるのであれば、新しい服を調達しなければならないだろう。彼の服はボロボロになってしまって、着れたものではない状態になっている。
(あいつに頼むか・・・)
知り合いに服飾関係の仕事をしている人間が居る。酒の一本でも用意すれば、適当に見繕って持って来てくれるだろう。
まだ眠っているかもしれないなと思いながらサラダを口にした直江は、不意に小さく苦笑した。
名前も知らない彼の事を、余程気に入っているらしい。彼のために何かしら動こうとする自分が不思議に思えた。
仕事でもないのに誰かの為に動くなど、直江にとっては珍しい事だ。
目の前に座る彼に視線を向ける。その彼は、直江の視線に気付く様子も無くバケットを美味しそうに食べている。
どこにでも居る若者だと言えばそれまでだが、そうさせる何かが彼にはあるという事だろう。
それにだ。
彼が明日まで居るつもりらしい事を知り、喜んでいる自分がいる。休日は一人静かに過ごす事が多い直江が、誰かと休日を過ごしたいと思ったのはこれが初めてだった。




「旦那って、男もイケちゃう口だったんだ・・・」
玄関を入ってすぐ、そこに置いてあった彼の靴を見止めた途端そう呟いたのは、千秋修平という名の服飾デザイナーだ。茶髪に長髪。派手な服装で年も若いが仕事は出来る。
その千秋に開口一番そう告げられた直江は、その眉間にくっきりと皺を寄せていた。
直江と千秋が出会ったのは数年前だ。最初は仕事上のみの付き合いだったのだが、千秋の物怖じしないその性格で、いつの間にか酒を呑みに行く仲になっていた。今では少し年の離れた友人と言っていい。
「・・・何を馬鹿な事を言っている。早く服を寄こせ」
眉間に皺を寄せたままの直江が手を差し出すと、千秋はハァと大仰に溜息を吐いて見せた。
「はいはい。ほんっと人使いの荒い旦那だこと。俺様に持って来させるなんて、旦那くらいだぞ」
その手に持っていた紙袋を差し出しながらそう言う千秋の苦情を、直江はさらりと無視した。何故ならば。
「で?アレはどこよ」
服の入った紙袋はもう受け取ったというのに、千秋の手は差し出されたままだ。くいくいと指先で催促され、溜息を一つ吐いた直江は足元に置いておいた紙袋を拾い上げた。
千秋が言う『アレ』とは、市場ではプレミア価格が付いており、入手困難になっている酒だ。
仕事柄、どんなに入手困難な酒でも手に入れられるルートを持っている直江だが、今回は朝の弱い千秋を叩き起こした上、無理を言って持ってきて貰った為、殊更入手困難で高い酒を要求された。
これを再び手に入れるのは、いくら直江でも苦労するだろう。それを分かっていて要求しているのだから性質が悪い。
だから、服をわざわざ持ってきて貰った礼など言わない。
(言ってたまるか)
直江が無言で差し出した紙袋を受け取った千秋が、中身を確認もせずにニヤと笑みを浮かべる。どれだけ入手困難で高価なものであっても、直江は一度約束したものを詐称したりしないと知っているからだ。
「毎度ありー」
「・・・人の弱みにつけ込んでると、後が怖いぞ」
低くそう告げると、千秋は「おー怖」と、ひょいと肩を竦めて見せた。
「自宅には一度も女の子をお持ち帰りした事の無い旦那が、男をお持ち帰りしたってのは、旦那のファンの女の子たちには内緒にしとくさ」
からかう様な笑みを浮かべた千秋がそう言って少し身体を倒し、直江の背後にある奥を覗く。それに気付いた直江は、自らの身体でその視線を塞いだ。
それを見た千秋が驚いたという表情を浮かべる。
「おいおい。服を持ってきてやった俺様に紹介しないつもりかよ。随分とご執心じゃねぇか。・・・拾っただけなんだろ?まさか本気で喰っちまったとかじゃねぇだろうな」
「・・・いい加減にしろ。彼はそういう相手じゃない」
奥でテレビを見ているはずの彼に聞かれないよう声を潜めてはいるが、直江の語気が強い。彼の事をそういう風に話す千秋に多少の怒りが沸いた。
彼本人の人柄を知れば、そんな言葉は決して出てこないだろうとは思うのだが、彼を千秋に紹介するのは躊躇われた。
だいぶ心を許している直江にすら名前を告げようとしない彼だ。訳ありなら、出来るだけ人と接触しない方がいいだろうという配慮もあったが、それよりも。彼を誰にも紹介したくないという気持ちの方が強い。
千秋の言う「ご執心」はきっと当たっている。千秋は面倒見のいい男だ。彼に引き合わせれば、きっと千秋だって彼の為に何かしら動こうとするだろう。
孤独な瞳を見せる彼の為にも、味方は多い方がいいのかもしれない。だが、彼に頼られるのは自分一人で良かった。
醜い独占欲だ。自覚はある。
「用が済んだなら帰れ」
千秋よりも頭一つ分高い位置からそう告げる直江の声が低い。いつまでも千秋がここに居ると、彼が出てきてしまうかもしれない。
直江と違い、年も近そうな千秋を彼に会わせたくなかった。
「・・・訳ありなら、あまり執着しない方がいいぞ」
呆れたようにそう忠告した千秋が、手に持っていた紙袋を肩に担ぐ。どうやら直江を心配してくれているらしい。本当に面倒見のいい男だと、直江はそれに苦笑して見せた。
「じゃあな。また何かお困りの事がございましたら何なりと。・・・酒は必要だがな」
笑みを浮かべた千秋が丁寧な言葉でそう告げる。ひょいと片首を倒したその首の後ろで、長めの茶髪を結って出来た小さな尻尾が揺れた。
「あぁ。また連絡する」
直江のその言葉にヒラヒラと手を振り玄関を出る千秋を見送った後、直江は彼の為の服を手にリビングへと戻った。