I want you, you want me 6 魚介類が美味しいと評判のその食事処は、街中にあるとは思えないほどに緑を有していた。 庭に面した座敷に通されてすぐ、彼の口からほぅと感嘆の溜息が漏れる。 「すげぇな・・・」 広く造られた庭一面に、白や淡い桃色の可憐な花が咲いている。 「雪割草・・・、ですね。三月下旬から四月上旬が見頃と言われていますから、今が満開なんでしょう」 「へぇ・・・。綺麗だな」 テーブルに着いて胡坐をかいた彼が、庭に視線を捕らわれたまま瞳を柔らかく細める。向かいに座り品書きを手に取っていた直江は、それに気づき、ふと小さな笑みを浮かべた。彼の前に品書きを置く。 「どうぞ。何になさいますか?」 「あぁ、ありがと」 それに気付いた彼が、花から視線を戻し品書きを手に取る。目移りしているのだろう。品書きを捲る彼の視線が迷っているのが分かる。 「うわー・・・、どれも旨そうで迷うな・・・」 小さく呟かれた彼のその言葉に苦笑する。 「美味しいって評判ですし、また食べに来れば良いですよ」 直江も品書きを手に取りつつそう告げると、それを聞いた彼が動きを止めた。品書きからゆっくりと顔を上げた彼が直江に視線を向ける。 「・・・そうだな」 そうして浮かべた彼の笑みは柔らかく、そして、とても嬉しそうだった。 旬な魚を使う事に拘っているらしく、鮮度が高い魚介類は評判通り美味しかった。 シンプルな皿に綺麗に盛られたサヨリの藤造りは、今ならではの食べ方だ。歯ごたえのあるあっさりとした身肉が、直江の舌を楽しませてくれている。 楽しませてくれているのは料理だけじゃない。直江の前。テーブルを挟んで座る彼の姿もまた、直江を楽しませてくれている。 彼が魚介類が好きだと言っていたのは本当だった。 綺麗に焼かれたニシンを食べる彼の箸を持つ手が、一向に止まる気配を見せない。 (凄い食べっぷりだな・・・) 解し身を次々と口元に運ぶ彼を見つめる直江の口元に、ふと小さく笑みが浮かぶ。 大人びた顔をして見せる事の多い彼だが、食事の時は年相応の顔になる。そちらの顔の方がリラックスしているようで、見ていて心地良い。 大人びた顔をする時、彼は少し淋しそうに見えるからだ。 何かを抱えているらしい彼の事をもっと知りたい。帰りたくないと言う彼の事情を話して欲しいとは思うが、直江は無理に聞き出すつもりはなかった。 ゆっくりでいい。ゆっくり直江の元で疲れた心を癒して、それから。 (それから・・・) 鯛のマリネに箸を伸ばしていた直江の手が一瞬止まる。美味しそうに口元を綻ばせ、咀嚼している彼に視線を向ける。 疲れた心が癒えた時、彼は直江の元から居なくなってしまうのだろうか。 直江の視線に気付いた彼が、ふと視線を上げる。じっと見つめている直江を不思議に思ったのだろう。彼が小さく首を傾げる。 「・・・どうした?」 そう訊ねられ、直江はその顔に小さな笑みを浮かべて見せた。 「いえ。・・・箸の持ち方が綺麗だなと思いまして」 内心の動揺を綺麗に隠してそう言ってみると、彼は「あぁ」と箸を持つ手元に視線を落とし、小さく嬉しそうな笑みを浮かべた。 「じいさんが、そういうの厳しくてさ。小さい頃から食事のたび、耳にタコが出来るくらい言われてたからだろうな。箸の持ち方とか褒められる事が多い」 彼の食事の所作は確かに綺麗だった。焼き魚も、綺麗に骨だけ残して食べている。 小さな頃から厳しく躾けられていたのだろう。身体に叩き込まれていなければ、なかなかこうはいかない。 「良いお祖父さんだったんですね」 大人になってから恥をかかないようにと厳しく躾されていた事を彼も理解しているのか、直江がそう言ってみると、彼は「まぁな」と嬉しそうな笑みを浮かべた。 だが。 「すっげぇ怖いじいさんだった」 そう言った彼が、続いて少し淋しそうな笑みを浮かべる。それを見た直江は、その瞳を僅かに眇めていた。 『だった』と彼は言った。彼が慕っていた祖父は、もう他界してしまっているのだろう。 それが彼の抱えている何かに関する事なのか、いつもの大人びた顔を見せている彼が痛ましい。 せめて自分と居る時だけは、年相応の表情を見せて欲しい。 そう思った直江は、その顔に柔らかな笑みを浮かべた。 「・・・もうそろそろ食べ終わる頃でしょう?デザートを持ってきてもらいましょうか。ここ、デザートの白玉も美味しいって評判なんですよ」 直江がそう告げると、甘いものに余程目が無いのか、彼の表情が一気に明るいものへと変化した。 嬉しそうな表情を見せる彼が可愛らしく、ふと笑みを浮かべていると、そんな直江を見た彼がムッとする。 「・・・なんだよ」 怒ったような彼のその声に、直江は浮かべていた笑みを苦笑に変えた。 「いえ、何も」 「・・・悪かったな。男のくせに甘いもの好きで」 拗ねてしまったのだろうか。直江は何も言っていないというのに、その眉間にくっきりと皺を寄せた彼がそんな事を言う。 それを聞いた直江は、その顔に浮かべていた苦笑を深くしていた。 「あなたが甘いもの好きで、私は助かっていますよ?先ほどのジャムも、甘いものが苦手な私は一人じゃ買えませんでしたから。それに・・・」 そう言いながら、直江は彼に向けたその顔から苦笑を消していた。 機嫌を損ねてしまったのだろうか。直江から顔を逸らした彼の唇が尖っている。 「この後に来る甘いデザートも、私の代わりにあなたが食べてくれるんじゃないかと期待してるんですが・・・」 小さく首を傾げて彼を伺う。すると、そんな直江に彼がチラと視線を向けてきた。 何も言わず、ただじっと見つめてくる彼の視線が痛い。 彼の漆黒の瞳は揺らぐ事がない。その力強い視線に晒されていると、何もかもを見透かされているように思えてくるから不思議だ。 今も。 直江を見つめる彼は、その瞳で直江の言葉が本心かどうか確かめている。 「食べて貰えませんか?」 彼の瞳を真っ直ぐに見つめ、困った表情を浮かべてそうお願いする。すると。 「・・・そんなに言うなら食ってやってもいい」 直江の言葉が本心だと理解してくれたのだろう。ようやく視線を逸らした彼がそう言ってくれ、直江は内心安堵の溜息を吐いていた。 機嫌を損ねてしまったかと思ったが、そうではないのだろう。彼の頬が僅かに染まっている。 怒っていたのではなく、甘いものが好きな自分がただ恥ずかしかったのか。 彼を見つめる直江の瞳が柔らかく細められる。 「ありがとうございます」 素直じゃない不器用な彼。そんな彼が、直江には堪らなく愛おしく思えた。 |
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