I want you, you want me 7






デザートを二人分食べて満足気な彼と共に戻った直江のマンション。
そこで二人を待っていたのは、労働の時間だった。
彼のベッドを用意するため客間にやってきた二人は、その周囲に積み上げられたダンボールを前に、二人揃って溜息を吐いていた。
(片付けておくんだったな・・・)
忙しさにかまけて後回しにしていたツケが、こんな時に回ってくるとは思わなかった。
「・・・すみません」
手伝うと言ってくれた彼にそう謝罪する。すると、彼はハァと大きく溜息を吐いた後、くるりと踵を返した。
そのままリビングの方へ向かう彼に、呆れられたのだろうかと思っていると。
「動きやすい服に着替えてくる。ちょっと待ってろ」
彼の背中にそう告げられ、直江はホッと安堵の笑みを浮かべていた。夜までにこの部屋を使えるようにするには、さすがに直江一人では心許無い。
「すみません。ありがとうございます」
リビングに消えた彼へと少し声を張り上げてそう告げると、着替えているらしい彼からは「別に」という素っ気無い返事が帰ってきた。
「今夜そのベッド使うのオレだし、おまえには随分と世話になってるんだから、手伝うのは当たり前だろ」
彼らしいその台詞に、ダンボールの箱を開けていた直江の顔に小さく笑みが浮かぶ。
「それに、二人でやった方が断然早い」
早くも戻ってきたらしい彼のその言葉に振り向くと、そこには、寒くないのか半袖Tシャツにジーンズというラフな格好で、頼もしい笑みを浮かべる彼が居た。
先ほどまでの大人びた格好も似合っていたが、彼にはそちらの方が良く似合う。
「寒くありませんか?」
「平気。動いてたらすぐに暑くなる」
そう言った彼が、手近にあったダンボールをさっそく開ける。
「うっわ、原書かよ」
中を覗いて呆れたようにそう呟いていた彼が、その中から数冊取り、背後にある壁一面に備え付けられた大きな書籍棚に視線を向ける。
「・・・っと、そっちの棚に入れておけばいいのか?」
「はい。お願いします」
ダンボールの中身は、その殆どが書籍だ。彼は片付ける事に慣れているのか、次から次へとダンボールから取り出しては棚へ綺麗に並べていく。
その手際の良さに感心しながら、直江も書籍以外のダンボールを片付けていると、棚へと向かっていた彼が不意に声をあげた。
「あ、これ知ってる。ベストセラーになったやつだろ?」
見れば、彼の手の中に有名な賞を取った作家の本がある。
「えぇ。読まれた事がありますか?」
そう問うと、手にしていたその本を棚に並べる彼から、「いや」という言葉が返ってきた。
「一度読んでみたいとは思ってたんだけど、時間が無くてさ。まだ読んでない」
「それ、お貸ししますよ」
そう言いながら、直江は視線を手元に戻した。
「え・・・?」
「ここに居る間は暇でしょう?お好きな本を読んで下さって構いませんよ」
ダンボールを片付けながらそう告げる。すると、しばらくして彼から、「さんきゅ」という小さな声が返ってきた。
振り返らなくても分かる。彼はきっと、嬉しそうな笑みを小さく浮かべているのだろう。その笑みを思い浮かべた直江の顔にも、ふと小さく笑みが浮かぶ。
いつまででも居てくれればいい。その本棚を全て制覇してしまうくらい長く。
次のダンボールを開ける直江は、そんな事を思っていた。




ベッドの周りに山のように積み上げられていたダンボールは、彼が頑張ってくれたお陰で見る見るうちに減り、夕方には彼の身長では届かない棚の上部を残すだけになった。
「素晴らしい手際でしたね」
綺麗に整えられた棚を見上げ、満足気な笑みを浮かべている彼の隣に並び立った直江がそう告げると、彼は汗が滲むその顔に「まぁな」と、得意気な笑みを浮かべて見せた。
「引越しのバイトとかしてたからな。こういうのは得意」
そう言った彼が、その頬を流れ落ちる汗をTシャツの袖で拭う。それに気付いた直江は、その顔にふと苦笑を浮かべた。
「・・・汗をかいてしまいましたね。シャワーを浴びていらっしゃい。その間に店屋物を頼んでおきますから。何か食べたいものはありますか?手伝って貰った御礼に奢りますよ」
直江のその提案に、疲労しただろう身体を解していた彼が小さく首を傾げる。
「んー・・・。ピザ、かな」
若者らしい注文ではあるが、そんなもので良いのだろうか。
「ピザでいいんですか?」
「コーラも付けてくれたら、もっといいけどな」
ニヤと笑みを浮かべた彼にそんな事を告げられた直江は、ふと笑みを浮かべていた。引越しのバイト代くらいのものを要求しても構わないというのに、どこまでも欲の無い彼が愛おしい。
「お望みのままに」
ビザにコーラと言わず、チキンやサラダ、デザートにアイスだって付けよう。それだけ注文したとしても、若い彼ならペロリと食べてしまうに違いない。
直江の了承の言葉に嬉しそうな笑みを浮かべた彼が、一つ伸びをする。
「じゃあ、オレはシャワーを浴びてくる」
「風邪をひくといけませんから。ちゃんと暖まって下さいね」
汗を流すだけにするつもりだったのだろう。直江のその忠告を聞いた彼が、途端に嫌そうな表情を浮かべる。
子供のようなその表情に苦笑する。片手を伸ばした直江は、彼の少し汗ばんだ黒髪に指先を絡めた。
「・・・ちゃんと暖まりなさい」
擽るようにその手を揺らし、瞳を柔らかく細め再度そう告げる。すると、彼の頬が僅かに染まった。伸ばした直江の手をやんわりと避ける。
「わーったよ」
そういうつもりはなかったのだが、子供扱いすんなとでも言いたいのだろう。彼の唇が少し尖っている。
それを見た直江から小さく笑みが零れる。
「髪の毛もちゃんと乾かすんですよ」
背を向けた彼に、怒るかもしれないなと思いつつもそう告げてみる。すると。
「子供じゃねえんだから!いちいち言われなくても分かってるッ」
振り返った彼にギッと睨まれた直江は、つい小さく噴出してしまっていた。
昨夜、髪の毛を乾かさずに居たのはどこの誰だったか。
(かわいい)
毛を逆立てた猫のような彼の反応が可愛らしくて堪らない。
口元を片手で押さえ隠してはいるが、くつくつと小さく肩を揺らして笑う直江に気付いた彼が、その顔をかぁと羞恥に染める。
「・・・ッ、行って来るッ」
「行ってらっしゃい」
直江がこんなにも笑うのは久しぶりではないだろうか。
叫ぶようにそう言って客室を出る彼を見送った直江は、しばらくの間、浮かんでくる笑いを収めるのに苦労した。